女性「9条の会」ニュース47 号 2019 年4月号

 

1面  

   こんな「予算」を許していいのですか?               毛利 亮子 (女性「九条の会」世話人)

                                                                

【真実】 旅先で映画「記者たち」(2017年・米)を観ました。「イラクは大量破壊兵器を保持している」ことを理由にアメリカがイラク戦争に突入した時、真実を伝えることに執念を燃やした記者たちが、政府の捏造、情報操作であることを突き止めるまでの話です。
 戦争ではありませんが、私たちの国にはここ数年だけでも森友問題・加計問題、毎月勤労統計ほかの統計不正問題などが次々に国会で取り上げられ、報じられながら「関わりない、忖度はない」と役人の配置転換などで誤魔化され、納得できない現状があります。永田町も霞が関も嘘で固められていると思わざるを得ないのは悲しい事です。
【沖縄】 沖縄で県民投票が実施され、辺野古基地反対の民意が明らかになりました。政府は沖縄の心に寄り添うと屡々言いながら「普天間基地の危険」を盾に話し合いに応じていません。軟弱地盤問題が浮上して完成
時期が延び、膨大な資金がさらに必要になった今こそ、埋め立てを中止して「普天間基地の危険 除去」の方法について深く話し合うべきだと思うのです。
【予算】 101兆円を超す2019年度予算が成立しました。防衛費は5兆2574億円と5年連続過去最大です。
 ハノイの米朝首脳会談が物別れに終わった後、政府は「日本を取り巻く安全保障環境が格段に速いスピードで厳しさと不確実性を増している」として日米首脳会談の度に米国製防衛装備品を購入しています。トランプ氏に礼を言われるほどに。
 秋田市と萩市に配備し、 年度運用開始予定のイージス・アショアに今年度は1757億円の整備費を計上しましたが、これは「自衛」のためと言われると反対はできません。しかし最新鋭ステルス戦闘機F A6機を681億円で購入するのはどうでしょう。
 私たちは破壊・欠乏・恐怖・死でしかない戦争は2度としないと決めました。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全生存を保持しようと決意した(日本国憲法前文)」のですから攻撃のための武器は必要ない筈です。「理想」だとわらわないでほしい。問題が起きたなら話し合いを重ねて解決するのが当然で、政治を担う人々も国民一人ひとりも相手を理解しようと努めなければいけないと思います。
【選挙】 今年は4月に統一地方選挙が行われ、夏には参議院議員選挙が予定されています。女性には闘い取ったという歴史をもつ選挙権です。明日に生きる若い世代には特に、あなたの権利を行使してより良い国会・政府をつくって下さいとお願いしたいのです。
 近年投票率の低さが気になります。人任せではなく主権者であることを自覚して人を選び、党を選ぶ。今国会ではまだ憲法審査会は開催されていませんが、選挙結果では容易に改憲が発議されることになるのは明らかです。私たちの代わりに政治にかかわってくれる代議士を、一人ひとりが慎重に選びたいと考えます。
   
                                                             
 
                                       

2面〜6面                 女性「9条の会」憲法学習会      
                                                  
日時 2019年3月7日  於 東京ウイメンズプラザ
 
                                 ひとりの責任

                
           
       
                 講師 澤地 久枝 さん

                   (ドキュメンタリー作家・九条の会呼びかけ人)

■はじめに─能「望恨歌」


 ひとり一人が覚悟をして立ち向かわなければ、世の中良くなるわけがない。そのことをお互いにわかり合いたいと思って「ひとりの責任」というタイトルに決めました。それで、(チラシを見せて)これは韓国の言葉で「マンハンガ」と読むそうですが、日本語読みをすれば「望恨歌」というお能の会が四 月二〇日にあります。これは朝鮮の人達をテーマにしたお能です。おつくりになったのは亡くなられた多田富雄さんなのですが、一四年前に韓国の釜山で上演されたきり、日本では上演されませんでした。そこで有志の方が集まってやることになったのです。
 一九三〇年代に朝鮮半島から徴用という名前で大勢の男の人が強引に日本本土に連れてこられて辛い労働をさせられ、大勢の方が亡くなっています。その中で若い夫婦が引き裂かれて夫が連れてこられて亡くなったのですが、故郷で待っている妻は少しもそんなことは知らないで待っていたのです。別れてから四〇年近くなってから、夫が残した手紙が遺物の中から出てきたものを、誰かが彼女に届けたのですが、手紙を受けとった妻は見る影もない老婆になっていたけれども、その手紙を

 

■内勤の仕事(政治部)に左遷

 ひとり一人が覚悟をして立ち向かわなければ、世の中良くなるわけがない。そのことをお互いにわかり合いたいと思って「ひとりの責任」というタイトルに決めました。それで、(チラシを見せて)これは韓国の言葉で「マンハンガ」と読むそうですが、日本語読みをすれば「望恨歌」というお能の会が四 月二〇日にあります。これは朝鮮の人達をテーマにしたお能です。おつくりになったのは亡くなられた多田富雄さんなのですが、一四年前に韓国の釜山で上演されたきり、日本では上演されませんでした。そこで有志の方が集まってやることになったのです。
 一九三〇年代に朝鮮半島から徴用という名前で大勢の男の人が強引に日本本土に連れてこられて辛い労働をさせられ、大勢の方が亡くなっています。その中で若い夫婦が引き裂かれて夫が連れてこられて亡くなったのですが、故郷で待っている妻は少しもそんなことは知らないで待っていたのです。別れてから四〇年近くなってから、夫が残した手紙が遺物の中から出てきたものを、誰かが彼女に届けたのですが、手紙を受けとった妻は見る影もない老婆になっていたけれども、その手紙を抱いて「これで会えたね」と言うのです。その話を多田さんがお聞きになって、これはお能以外には表現の方法がないと考えました。これは全部をそぎ落として待っている気持ちになってつくられたお能です。
 どうして最初にこの話をしようと思ったかというと、今年は朝鮮半島の人々が独立と民主政治を願って戦い、日本の軍隊に鎮圧された三・一事件から一〇〇年なのです。私たちの国は勝手に明治一〇〇年とか一五〇年とか言いますけれど、その歴史の中には日本だけではなくて、日本が原因になって辛い試練を受けた人たちがどれだけいるかということを振り向きもしないで、「いい一五〇年だった」と言うことは私は許されないと思うのです。

■金子兜太さんの書 「アベ政治を許さない」のこと

 

 今日は金子兜太さんの色紙をお持ちしました。もう四年も前になりますが、兜太さんにお願いして書いていただいたのですが、これをコピーして毎月三日の午後一時から国会正門前でこれを掲げるということをやっています。
 七月一八日に国会正門前でこれを掲げようと思ったのですが、書く人は金子兜太さん以外にないと思いました。でも金子さんは偉い人ですから、電話で頼むわけにはいかないので、金子さんの一人息子の奥さんの千加子さんに電話をして「ファクシミリでお願いしたいと思うけれども許されるでしょうか」と聞きました。すると千加子さんが「大丈夫です」と言って下さったので、ファクシミリで願い状を出しました。けれども待って待って、私は異性の手紙をあんなに待ったことはないのですけれども、六月一九日の午後二時ごろ、待っているところへ来たのでした。思っていた以上に強い文字でした。ここに「六月一八日 澤地久枝様 金子兜太 スローガンを書きましたがこれで良いかどうか率直にご連絡ください。 説明を加えていただき面はゆいご健闘 ご健勝」という手紙が添えられていました。これはいかにも金子兜太さんらしいと私は思いました。

 水脈の果 炎天の墓碑を置きて去る

 金子さんは南洋のトラック島に中尉として配属されていたのですが、飢えて飢えて、飢え死にする人がたくさんいるという状況から、最後の船で日本に帰ってくるときに、この俳句をつくられたというのです。私はこの俳句に出合ったときに、金子兜太さんに会いたいと思い、会いに行きました。一番最後に会ったのは二年前の夏です。七月三一日の鶴見和子さんの「山百合忌」が終わって、ホテルのロビーでくつろいでいらっしゃるところへ尋ねて行ったら、兜太さんが両手を広げたのです。私はためらわずにその中に入っていって抱き合いました。その時私が思ったのは、九六歳というのはこんなに骨骨になってしまうのか、背広を着ていらっしゃるから見たところはがっしりしていらっしゃるのですが、背骨が全部勘定できるくらい痩せていらっしゃったのです。それでも私は兜太さんがそんなに早く亡くなるとは思っていませんでした。けれども、去年の二月二〇日、これは小林多喜二が虐殺されたその日ですね、その日に亡くなったのです。最後は静かに去って行かれたのですが、この文字は安倍という人がいる限りずっと掲げられるわけです。
 今月の三日にも国会正門前でやっていたのですが、今年は初めて雨がふって、雨の中で傘を差して立っていました。終わったら、見たこともない男の人がニコニコ笑って見ているので、「あなたはどういうお考えの方ですか?」と声をかけると、「いや警察の者です」というので、「公安ですか?」と聞くと「公安ではなく警視庁の○○課の者です」と言うのですが、この人はニコニコ笑っているのです。私は「どうぞ御安心ください。私たちは暴れたりはしませんから」と言いました。その日は珍しく、すぐ側に二人乗りの護送車がきていたので、私たちを捕まえにきたのかなと思ったけれども、その人はその車に乗って行ってしまいました。

 

■この国の歴史を若い人に知って欲しい 

 私は九〇年近く生きて来て、こんなに日本の政治がひどかったということは戦争中を含めてないと思います。もう一つ残念だと思うのは世論調査をすると安倍さんの支持率が全然というくらい下がらないことです。これはどういうことでしょうね。今は一〇代の人は戦争と聞くと、「どこと戦争をしたの?」と聞くような時代になっています。私から見たら孫やひ孫に当たるような世代ですが、この国がどういう歴史、それも祖父母の時代にどういう戦争があったかということぐらいは知って欲しい。それが分かっていて、今の安倍内閣を支持するなどという答は出せないだろうと思うのです。でも私も自分のまわりの若い人、弟の孫などに一生懸命語りかけようと思って、読みやすいように努力しながら本を書いたのですが、しばらくして「読んだ?」と聞くと「読んでない」と答えるのです。よそに向かっていろいろなことを言いながら、自分の身内を振り返ると本当に恥ずかしいと思います。その子がちゃんと戦争ぐらいはわかる子になって欲しいと思いながら生きています。

                             

■苦しむ日米の戦死者の家族


 私は一九四二年、六月五日を中心に戦われた、後に「ミッドウエイ海戦」と言われる戦争の、アメリカと日本の全戦士を確定して、結婚していたかどうか、子どもがいたかどうかという膨大な質問事項をつくって、コンピューターを打ち出して解析をする仕事をしました。そのために、日本とアメリカの遺族の方たちに会ってきました。会って分かったことは、戦死されるということは、残された人にとっては本当に辛いことなんだということです。特に母親は、戦死が確定してどうにもならなくなっても、寄港地に立って待つ。「どうして寝ないの?」と聞くと「あの子が帰ってくるような気がした」と言う。こういう話は日本にもざらにあります。 日本には、待っても待っても何年経っても息子が帰ってこない。いつもは雨戸を開けて寝るのだけれど、もう駄目だと思ってその日は雨戸を閉めて寝た。次の朝雨戸を開けてみたら、息子はそこまでたどり着いて力尽きて亡くなっていたという話があります。

 

■隠ぺいされた戦地の実態

 アメリカはミッドウエイ海戦で大きな勝利を収めましたが、日本では正式な戦死の公報には「東太平洋方面で戦死」という表現なんです。ミッドウエイ海戦なんてないのです。なぜかというと、大事な航空母艦が四隻も沈んでいる。できたばかりの巡洋艦「みくま」も沈んで日本は五隻の船を失って、連合艦隊の主力はそこで無くなっているからです。そして三四一九人が亡くなっていますが、ほとんどは日本の男たちです。そういう中で天皇にしかその決定の判を捺すことはできないという海軍の保有戦力というものの一覧表があります。沈んだ「あかぎ」と「ひりゅう」は沈んでいながら一覧表に載っているのです。これを全部発表したら戦争など止めたいとみんなが思うだろうから、最後に一隻の空母が沈んで大きな傷を受けたという発表にして、海軍内部にも秘密にし、陸軍には一切知らせないという決定事項が書類で残っています。それぐらい隠したのです。私は、天皇は分かっていて嘘に加担したと思っていますけれども、半藤一利さんのように昭和史をよく調べていらっしゃる方に伺うと、半藤さんは「天皇は知らされていなかった」と言うのです。知らされなかったとしたら、天皇制というのもずいぶんいい加減なものじゃありませんか。つまり、国の生き死にがかかっているようなことが隠されて、しかも天皇の名前で、沈んだ筈の航空母艦が残されているということ、これは許されないですよね。こういう嘘は。

■今でも続く隠ぺい政治

 人口がどのくらいで、その人たちの年収が幾らであるとかという土台があって、初めて日本という国が見えるんじゃないですか。しかし、去年から今年にかけてそのデータが嘘だということ、手抜きをして架空の数字を出したことがはっきりして、国会で幾ら聞いても、安倍さんは絶対に真向からは返事をしないではありませんか。こんなひどいことがあるでしょうか。つまりこの国は、一番の基礎となる筈のデータに手が加えられて信用ができない。これは国としての体裁が問われることになります。私たちは割にそのことに関して鈍感だと思うのです。例えばヨーロッパやアメリカでこういう問題が起きたら、それだけでその政権は潰れます。日本はとっくに潰れるようなことが次々と起きている。私は国会中継を見ていて日本の大臣は何て凡庸な顔をしているのだろうとあきれるのです。その後ろに官僚のトップがいますね。この官僚たちがいかに駄目になったかということです。この官僚たちの手で調査がやられている、データもつくられている。野党に追い詰められて局長クラスの人が「何も知りません」と言っているけれども、実際に職務に当たった人の中には自殺をした人もいるのです。嘘のデータだということが分かりながら書いた人は死んでいるのです。その人の家族のことを考えてください。かけがえのない命なのです。でもそういう犠牲を出しながら平気でデータがごまかされる。今年になってから、資料はありませんと言われていた記録が出てきた。しかも出てきたものはみんな黒いもので消してある。教えたくないよと言っているのです。こんな政治ってあるのでしょうか。あの人たちは私たちの選挙によって生まれた政治家なのです。私たちが投票をしなかったらあの人たちは政治家だの、大臣だのと言っていられないのに、なぜか安倍さんの意のままになるような人がズラーッと並ぶようになって、次々に失言をしています。

 

■心に残る遺族


 一九四二年のミッドウエイ海戦でアメリカ人の夫が死んだ時に、奥様は真珠湾攻撃のあと、ハワイから疎開して本土に帰っていたのですが、最初の子どもを身ごもっていたのです。夫は飛行機乗りで、行方不明になって戦死と認定され、父親の顔を見ることもない男の子が生まれました。この男の子がベトナム戦争でまた死んでいるのです。父が死に、子が死ぬという例はアメリカではたくさんあります。ワシントン郊外のアーリントン墓地には遺体の帰らなかった者たちの墓地があります。そこに生前会うことになっていた父と子の名前が刻まれていました。これは日本にはないと思いました。 これは日本の話ですが、二〇代の下士官ぐらいの人で、航空母艦に乗っていた人ですが、船が港に入った時に、二晩か三晩、家族を呼んで一緒にいられる日があったのですが、日頃は無口でいろいろなことは言わない人だったそうですが、明日はいよいよ港を出ていくという時に、「お前は私が戦死したらどうするか」と聞いたそうです。奥さんは「一生貴方の妻として生きていきます」と答えたそうです。すると日頃無口な夫が「お前を誰にも渡したくない」と言って泣いたそうです。この時には夫も妻も知らないのですけれども、お腹に赤ちゃんができていたのです。アメリカでは軍隊にいても電話を掛けたり電報を打ったりできるので、我が子ができたことを知らずに死んだという人は一人もいないのですが、日本ではそういうことがあるのです。その人の場合も夫は知らない、生まれてくる子も父親を知らないのです。そういう男の子を産んで、銀行などでお掃除をしながら子どもを育てあげた。この人は最後の面会の時に夫が「お前を誰にも渡したくない」と言ったことは、親にも我が子にも言っていないと思うのですが、夫の言葉を私に語ったのです。「何で自分はあの子が志願して海軍に入るのを止めなかったのだろう。今戦争が終わってみればあの子をむざむざと殺させることはなかった」といって泣いていたお母さんもいました。再婚した人も、再婚した夫を憎んでいるわけではないけれども、やはり「戦死した人を忘れられない」と言っている人に何人も会いました。今、昔の思い出を痛切に持っている人達が高齢になって私たちのまわりから消えていきます。私たちは選挙の結果にがっかりすることが多いのですが、これは戦死した人達にも、日本人によって殺された人達に対しても私は済まないと思うのです。
            

■軍備によって生まれるものは?


 戦争が終わって中国戦線から引き上げてくる船の中で、日本に新しい憲法ができて、もう日本には軍隊はない、もう戦争はないというニュースを聞いた。それを聞いて復員してくる兵士達は手を取り合って泣いた、
私もその一人だということを話して下さった男性もありました。もう戦争がないということがわかったときに、どんなにみんなが解放されたか、戦争でいいことは何にもないのです。
   四年ぐらい前です。中国の軍事力が日本を超えて世界第二位になったということが新聞に小さく取り上げられました。それ以来中国は倍々ゲームのように軍事費を増やしてきています。日本はそれに対して非常に脅威を感じて、競争しようと思って、アメリカと一緒になろうと「我々は何をしようとアメリカを支持する」と言ってアメリカの兵器をどんどん買っています。中国が軍事力を増やすことに私はもちろん賛成ではありません。しかし、競争して軍備を増強することには反対です。軍備によって何が生まれますか?軍事産業が肥え太っていく先にいいことがあるでしょうか。私は兵器の研究というものはナンセンスだと思います。核の研究なども最後は結局は爆弾になるし、原発が良くないことは福島の例で私たちは良く知っています。

 

■軍隊を持つということ


 軍隊があるということは非常に恐ろしいことです。かつては二〇歳になったら否応なく徴兵兵検査を受けさせられて、甲種合格になれば何時軍隊に持っていかれるか分からない、その軍隊は野間宏さんが「真空地帯」という本で書かれているように、有無を言わせぬ本当に非合理な社会です。陸軍だけでなく海軍もそうです。ミッドウエイ海戦で捕虜になってアメリカから帰って来た人に会いにいったことがあります。その人に海軍での生活を聞きましたら、休暇があって家に帰る。まず風呂に入れと言われるが、風呂で裸を見られたくない。殴られた後があざになって残っていたというのです。牛や豚だって殴ったからといって言うことを聞いてお乳をいっぱい出すなんてことはありません。でも、軍隊では代々殴られてきている。殴る人は自分も殴られているのです。仕返しなのです。モノも言えないほど打ち据えて、まして軍隊反対などと言ったら殺される寸前までリンチを受ける。ひどい社会だったと思います。
 徴兵制のない国は数えるくらいしかないのです。アメリカには今は徴兵制はないけれども、ベトナム戦争の時には徴兵制が復活しました。ドイツにもあります。でもドイツでは、法律で、信仰やさまざまな理由で軍隊が嫌な人には別の役割を課すということが決まっているのです。ドイツを旅行したときに、バスのドライバーから、「実は昨日が妻の誕生日だったのでここからちょっと外れるだけだから行ってくれないか」と言われて私たちは行きました。ドライバーは四〇代ぐらいの人でしたが、妻は綺麗な一〇代の女性でした。その後はお城巡りばかりなので私はバスに残りました。そこでドライバーにおぼつかない英語で「綺麗な奥さんですね」と声をかけて話を聞いてみると、彼は「軍隊を拒否したのでルーマニアでドライバーの仕事を何年かやった。援助物資を運ぶうちにある家族と仲良しになって、そこの娘さんと結婚したと言っていました。なぜ「徴兵に行かなかったのか」と聞いたところ、「自分は叔父とか血縁の人達が戦死したときに父親や他の家族がどれだけ泣いたかを見て育った。だから軍隊には行くまいと思った」と話してくれました。音楽を聴くための旅だったのですが、十分に英語ができなくてもそれだけのことを聞くことができたのです。

 

■自衛隊協力と徴兵制


  ドイツにも徴兵制があり、同時に徴兵を逃れて他のことでもいいという制度になっている。韓国もそういう方向に進んで来ているのです。
 日本は逆の方向を向いています。自衛隊に協力をする自治体は六割、これは嘘ですよね。ほとんどの自治体が協力をして名簿を出しているわけです。名簿があっても定員に満たないぐらいしか応募する人がいないのです。正規の職員がいなくなって、どんどん暮らしが苦しくなったら行く人は増えるでしょうね。安倍政権は、アメリカと一緒になって戦争をしようとする方向へ変えようとしているのですが、自衛隊が軍隊として動ききれなくなったときに何をするかというと、一番早いのは徴兵です。
 自衛隊が発足して間もなくの頃、木村という自衛隊の長官だった人に国会で誰かが「なぜ徴兵をしないのか」という質問をしているのです。そしたら「徴兵は一番安上がりだと分かっているけれども、今は国内世論がそれを許さない」と木村さんが答えています。私は徴兵というものに対して非常に敏感に感じざるを得ないでいます。徴兵によってどんなにひどいことが起こるのか、やりたくもない戦争に持って行かれるのは嫌ではありませんか。女の人も徴兵するようになるかも知れません。アメリカで、ベトナム戦争で徴兵制を敷いたときには女の人もいましたね。今日本には徴兵制度はありませんけれど、私たちがもっとちゃんと考えなければならないものです。それに連なる人、死んだ人、それから死んだ人の家族の上にどんなことがあったかということを知っている人は、若い人に伝える義務があると思います。ある日突然、赤紙、徴兵令状がきて、人が足りなくなると四〇歳ぐらいで銃を撃つことのできない右手の不自由な人も徴兵されたのです。
 このような根こそぎ動員が今の中国東北部、以前の満州でもあって、開拓団からも男手を軍隊に持っていかれましたが、銃が足りないので自分が隠れる穴掘りばかりさせられていたということです。右手の指のない人まで軍隊にとる事態が起きる。人手が足りなくなれば強引に民間人も動員します。私は女学校の三年生でしたけれども、やっぱり学徒動員で開拓団に行っています。寝泊まりをする生活を一月経験しました。都会から遠く離れたところで、しかも隣の村に行くのに何時間もかかります。国境に近い所にポツポツと開拓団があって、その開拓団の中が五、六軒ずつに分かれているのです。同じ部落の中で隣の人のところに行くのに何時間もかかるようなところで女子どもだけでどうするのだろうと思いましたね。私の行った四軒目の家は、奥様が臨月でした。「お産の時には女学生さんよろしくお願いします」と言われたけれども、私たちはお産なんか見たこともないので震え上がりました。それから一月足らずで戦争が終わった時、あの身重だった人は新生児を抱えていて、おそらく親も子も生きて帰ってはいないと私は思います。母親は生きて帰ったかも知れないけれど、新生児がどうやって生きのびることができるでしょうか。

 

■今は戦争前夜


 今は戦争の時代の前夜に入っていますよ。できている法律を見て下さい。秘密保護法にしても、手も足も出ないような法律を安倍さんはもう国会を通したわけです。国会では三分の二以上の議席を持っているではありませんか。既に私たちが身動きできない状況をつくったということです。私がやったわけではないけれども、私たちが今日を招いているのです。ですからその前夜というか、その〝夜〟の中に入っていると思わなければならないですね。
 でもまだ変えられるのです。なぜかというと、悪い法律が発動されるところへはきていない。徴兵制のことも論議されていない。その前夜というのはそういう意味です。だから本当にみんなが考えなければならない。私がこれ(アベ政治を許さないのプラカード)を掲げるのは、足が弱くなっている私のせめてもの意思表示です。でもその他にやることがあります。それはひとり一人が、自分は何ができるか、自分はどういう人生を生きているかということをよく考えること、そして自分だけではなくて自分が愛する者、それから自分の家族、そのために自分は何をするかということをやはり考える。その上でその一つの方法として選挙に行く。
 「アベ政治を許さない」という集会をやっていて、今月の三日には、警察の人が笑って私にものを言うようなことだったけれども、アベ政治の行き着く先には、私たちが捕まるようなことになるかも知れない。澤地久枝がある暴力行為をしていたということをでっち上げれば、それを理由に私を捕まえることはできるではありませんか。そういう時代なんですよ。今日のこの会にいらしているみなさんのように、やっぱりひとり一人がちゃんと考えて、今何をするかということを決断しなければならないところにいるのです。まだ私たちには地方議員選挙もあるし、参議院選挙もある。多分このまま行けば衆議院選挙も同時にやるかも知れません。追いかけるように次々に選挙がある。その時に安倍さんを支持するような結果になったら確実に憲法は変えられて、九条などは吹き飛ばされ、そこに自衛隊を認めるという憲法が出てくるでしょう。だけどそれをさせてはならないのです。そのために何ができるかということをお互いに考えたいと思います。

 

■渡辺一夫さんの「敗戦日記」


■渡辺一夫さんの「敗戦日記」する者、それから自分の家族、そのために自分は何をするかということをやはり考える。その上でその一つの方法として選挙に行く。
語に訳されたのです。これは「敗戦日記」という本として出ています。
 「いよいよ駄目なときがきたら、軍隊の参謀や偉い人達は人間が問題ではない、人などどうでもいい、大事なのは国体だと言っている。国体とは何であるか。誰も掴んだ人はいないではないか。そういう国体を守るために日本人は犠牲になった。まさに崩壊しようとしている祖国、存続しなければならない祖国のために生きのびることが僕の義務だと思う。知識人としては無に等しい僕でも、将来の日本に役立つ、きっと役立つ。ひどい過ちを犯し、その償いをしている今の日本を唾棄、憎悪しているからである。我が国は死ぬべきだ。生まれ変わらねばならぬ。目覚めの時は早く来たれ、朝よ早く来たれ」。つまり日本の戦争が終わること、それが朝だと思っているから、朝よ早く来たれと、こういうことを戦争末期に自分の命をかけて願っていた人がいたのです。

 

■よその国の人と親しくなろう


 今は地球上のどこへでも行けるではありませんか。いろいろなところ
へ行って、そこの人達と話し合うといいと思うのです。「貴方のご家族の中で軍隊に行っている人がありますか?」というような質問ができるといいですね。とにかくまず親しくなることです。どこの国の人だってみんな温かです。最初は何てとっつきにくい恐い顔をした人だと思われるような人も、話をしてみるとにっこり笑ってくれます。会釈をすれば向こうも会釈を返してくれます。つっかえつっかえでもいいから、ただ一つの単語しか分からなくても志は通じます。語学の達人にならなくてもいいのです。よその国の人と会ったときにっこり笑って、警戒しないで挨拶ができて、時には抱き合えるような仲になれるかということが多分大事なのではないかと思います。
 お互いに過去を振り返ってみれば、楽ではない年月をみんな生きているわけです。この一〇〇年、一五〇年、考えてみて下さい。私も自分の祖父母の人生を考えてみると幕末から今日まで、私もよく生きて来たなと思うぐらい、私が良く生きて来たのではなく、私を産んでくれた人達がみんな良く生きて来たなと思うのです。これが今日私がお話ししようと思っていた「ひとり」の意味です。

 

 

男社会で五九年間生きて思うこと        湯川れい子さん(三月七日集会での挨拶から)

 

                                                             


 私は音楽評論論家として五九年生きてきましたが、そこは九八%男性社会。そこで女性が生きるには、ガラスの天井という目に見えない困難があります。女の焼きもちは可愛いけれど、男の焼きもちには命がかかっています。彼らは猿山の猿のように、誰が親分か、自分はどこのポジションか、ナンバー二か三か、どこで生きていくのかということを敏感に考えます。多分そうでないと生きていけないのでしょう。私はこれはジェンダーの問題だと思っているのですが、そう言うと袋だたきに遭います。子どものいる人には分かると思いますが、三歳ぐらいになると女の子はお人形などに興味を持つようになって、男の子は働く自動車に夢中になります。男の子たちは誰かヒーローがいないと育たない。夢が持てない。
私は自分の息子や孫を見ていて考えさせられました。戦うということは、必ず相手がいて、自分は正しくて、相手をやっつけるということ。よその雄が自分のテリトリーに入って来ると追い出して、やっつけて、それで自分のメスや子どものためのエサをかっぱらって来るというDNAを持って生まれてくるのでしょうね。それは抵抗しがたく大変な問題だと思います。エネルギーがなくなってきたり、食料がなくなってくると、いきなり力のある雄が頭角を現わして来る。その典型がボコハラム、一つの戦闘団体ですが、女子高生を二〇〇人もさらって自分たちの性的な相棒にしたり、奴隷にしたりという典型的な雄の発想です。従軍慰安婦の問題もそうです。なぜ戦地にまで女性をセクシャルな欲望のために連れて歩くのか。そのことを恥じないのでしょうか。
 そういう男性社会で五九年生きて来ましたが、どうして生きのびられたかというと、ビートルズやマイケル・ジャクソンやエルビス・プレスリーとか、外国の音楽の情報に通じているといったことから、私がいなくなったら、困る人達がたくさんいたのだと思います。それで何とか潰されないでいるのだと思いますけれど、いつか死ぬ前に書いておかなければ…と思っているのですが、そういう中での圧力は陰惨なものがありました。
 ジェンダーを口にすると、男性からは袋だたきに合いますけれど、でもすごく大事なことだと思います。私たちはまず、女の子に、「分かるでしょう?簡単じゃない。五兆二千何百億円に軍事費は膨らんでいるけれど、イージスアショアを一メートルおきに設置したところで、ミサイルは北朝鮮から日本までは六分でとどいてしまう。その間に打ち落とせる保障はない。アラートが鳴ってから六分で机の下に隠れてどうやって防げるのですか?」と伝えましょう。今は、もっと高速なものができてしまったから、トランプさんは慌てて北朝鮮と仲良くして、ミサイルはこれ以上開発するのは止めようと言ってますけれど…。
 それからもう一つ、私は原発反対を五〇年続けてきました。なぜなら原爆と同じで、私たちに制御できないものだからです。原子力の平和利用という政府の委員会の中にいる時に分かりました。浜岡につくる少し前でしたが、「だって地下断層があるでしょう」と質問したときに「いや、そんなものはありません」と言われたのです。今は浜岡の下に四本もの活断層が入り込んでいることが分かっています。でも、そんな中で五四基もこの小さな日本という地震列島につくってしまったのです。
 小泉さんは、なぜ野党は原発をなくすために一緒にならないのかと言います。今野党が一つになったら勝つと言うのです。なぜなれないか。たった二二万票という連合と言われる労働組合の票で民主党は成立しました。そこを未だに切れないからではないのか?
 私たち一人が頑張るしかないのです。地震がいつ起きるか分からない日本に原発が五四基もあって、止まっていたって原発がある限り、ミサイル一発で住むところがなくなります。だから絶対に軍事費にお金をかけるのはナンセンスです。それだけで人を説得できると思います。原発はいりません!頑張りましょう。
   (女性「九条の会」呼びかけ人)

 

 

 

 


 

 

 
 

 

 

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