女性「9条の会」ニュース40 号 2017 年6月号

 

1面  

平和的生存権こそ根源的人権である!                           大脇 雅子(弁護士)
 

 2017年5月3日の憲法記念日に、安倍首相は、東京都内で開かれた改憲を訴える会合へビデオ・メッセージを寄せて、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と意見を表明した。なぜ2020年という憲法と関係のないオリンピックの年なのか。
 改憲の意見表明について衆議院予算委員会で問われると、「私は総理大臣としてここに立っているので、自民党総裁の立場としての発言は読売新聞のインタビュー記事を読んでいただきたい」と、驚くべき発言をした。総理のよって立つ地位は国会議員という立場によるのであって、総理だからと国会における説明責任が免責されるわけではない。
 そこで読売新聞の記事を読んでみた。取り立てて中身が濃い論説ではない。論理的でもない。9条改憲にふれて「9条1項、2項をそのままにして、自衛隊を明記する」というのだが、どのように書き込むのかが不明である。
理改正の理由として「憲法学者の7割が違憲の疑いを持っていた、これには多くの人たちが驚いたと思う」
と述べる。多くの憲法学者が自衛隊に違憲の疑いを持っていることは公知の事柄であって、私も同じ意見である。別に多くの人たちがいまさら驚いてはいない。それをひとつの動機として改憲をしようというのは、学問の自由と思想の自由への介入となると思う。
 政府の解釈も、自衛隊は専守防衛、侵略のための武力行使をしないという限度で合憲とされ、市民の側からは、権力の暴走に歯止めをかける立憲主義の立場から政府の解釈は受け入れられてきた。憲法体系からすると、どう書き込むにせよ、9条2項を残して自衛隊を書きこむこととの整合性に欠けるので、大きな自己矛盾を抱え込むことになる。目的論や自衛力限界論から違憲説はつねに生まれてこよう。
「自衛隊」と「高等教育の無償化」の加憲は、公明党と維新の党を鎖につなぐための方便で、憲法改正の突破口に過ぎず、憲法9条2項を空文化し、次には憲法9条2項を消去するための段階的改憲のすすめではないかと、疑わざるを得ない。
憲法を深く読めば、私たち一人ひとりが、戦争の惨禍から逃れ、国際平和を希求する平和的生存権を根源的かつ基本的人権として持つことにこそ魂があることに気付く。平和的生存権は、人が恐怖と欠乏からまぬがれ、平和の裡に生存する人間の尊厳を保障する固有の権利であり、平和を創出し、そのために活動する権利を保障する。2016年12月19日、国連総会は「平和への権利宣言」を採択し、「平和を享受する権利」を認めた。すでに平和的生存権は国際基準となっている。時代に逆行することなく、私たちは、確信を持って、国際紛争の平和的解決を求めて、憲法9条の改憲に反対していかなければならない。
最近テレビで憲法改正賛成という若い人が「憲法改正をして、日本が強い国になれば、僕たちの生活もよくなると思う」と言うのを聞いて驚いた。トランプ現象と同じ現象が日本で起きているのかもしれない。私たちは、憲法改正賛成の草の根の運動に敏感になり、憲法9条に生活の根を深く、深く張っていく必要がある。  
                                          (女性「九条の会」世話人)

 


2面〜6面   女性「九条の会」憲法学習会        日時 2017年5月12日  於 文京男女平等センター

  アメリカの軍産複合体の正体  
─アメリカの例から日本の将来をみる    講師 西川純子さん

                                         (獨協大学名誉教授)

 軍産複合体とは、軍事的組織と兵器産業が結合して生まれる軍事体制のことです。軍産複合体は概念ですから、目に見えるものではありません。しかし、この言葉を使うと、国家と産業が国民の安全保障のためと称してどのような権力構造を作り出しているかがよくわかります。まずはこの軍産複合体がどのようにして生まれたか、そしてそれが今日までどのように展開してきたかをお話したうえで、軍国主義から平和主義に生まれ変わったはずの日本においても軍産複合体の足音がきこえつつある現状について触れたいと思います。

 《アメリカの軍産複合体》

 Ⅰ 国防生産基盤

 
 アメリカでは第2次世界大戦をたたかったのは、国防生産基盤でした。平時の生産基盤が戦争に動員されると国防生産基盤に変わるのです。戦争が終われば国防生産基盤は平時の生産基盤にもどります。戦争景気とか戦争成金とかいう言葉がありますが、第1次世界大戦の時は戦争で一儲けを企む人たちがしこたま武器を生産して、戦争が終わった途端に破産しました。このようなことのないように、第2次世界大戦の時には、平時の生産を戦時の生産に転換するための費用を政府が受け持ちました。例えば自動車会社の場合に、今まで作っていた乗用車を戦車に転換するための設備投資を政府が行ったのです。航空機を軍用機に、船舶を軍艦に転換する時も同様でした。こうしておけば、戦争が終わっても企業は破産するどころか、税金で作った工場を安く払い下げてもらえるのです。第2次世界大戦においてアメリカの国防生産基盤は「民主主義の兵器廠」と呼ばれるほどの威力を発揮したのです。

Ⅱ アイゼンハワーの選択

 しかし、大戦が終わって間もなくソ連邦との間で冷戦が始まると、アメリカの兵器生産は国防生産基盤では追いつかなくなっていきます。核兵器やミサイルのような今までとは次元の異なる新兵器が登場してきたからです。1945年にアメリカは原子爆弾を開発して、広島と長崎で実験したのですが、これで天下無敵と思いきや、2年後の1947年にはソ連邦も核爆弾の実験に成功しました。1957年には、ソ連が人工衛星とミサイルの開発に成功してアメリカを出し抜きました。劣勢を挽回するためにアイゼンハワー大統領が選択したのが、軍産複合体だったのです。新しい兵器の開発においてソ連との競争に勝つためには、国防生産基盤ではなく、先端の科学を駆使して兵器の開発に専念する恒常的な兵器産業が必要だと彼は判断したのです。このような恒常的な兵器産業が軍事的組織と結びついて生まれる関係をアイゼンハワーは軍産複合体と呼びました。 アイゼンハワーが大統領として異色なのは、軍産複合体の登場を手放しで喜んでいたわけではないということです。彼は軍産複合体が強大な権力を握ることによってアメリカの自由と民主主義的な手続きを脅かすようになることを怖れていました。彼は1961年に大統領を辞めるに際して、軍産複合体が強大になりすぎないよう国民が監視し続ける必要のあることを言い残しています。
 「ホテルニュージャパン火災事件」をご存じだろうか。当時の社長が火災報知器が度々鳴ると客の印象が悪
いのではないかと考え、作動を止めるように従業員に命じていたことが大惨事となった原因だった。火災報知器が鳴らなかったため、火事になったことに気付かずにいた人々が、逃げ遅れて大勢亡くなったのだった。アラームを止めてしまうと、一見運営がスムーズにいって便利なようだが、万が一のことが起きたときに大惨事を防ぐことができない。これを国に当てはめてみると、現憲法はさまざまなところにアラーム機能をちりばめているのだが、憲法改正によって、日本という国がホテルニュージャパンの方向に向かわないだろうかという心配がある。
 チェック&アラーム機能は、現在でもかなり形骸化している。私は、一連の国会での議決の様子、安保法案の議決の様子を見て、これは危ないと感じたので、『安保法案違憲訴訟』の原告にならせていただいている。
 歴史の教訓から学んだ国は、憲法の中にアラーム機能をちりばめている。権力分散のしくみと人権保障が立憲主義の最も大事な2本の柱であると考えられている。

Ⅲ ケネディの合理化

 ケネディ大統領は、アイゼンハワーの遺言に応えて軍産複合体の合理化を行おうとしました。兵器生産に競争原理を導入して競争入札制を採用し、国防省が合理的な価格で兵器を調達できるようにしたのです。一方で国防省の改革もすすめて、兵器の発注窓口を国防省に一本化しました。これを主導したのは、ケネディが自動車会社フォードから引き抜いたロバート・マクナマラです。
 しかし、マクナマラはヴェトナム戦争を仕掛けて失敗しました。彼は後になって、ヴェトナム戦争は間違いだったと懺悔しますが、彼の罪状がそれで晴れるわけではありません。むしろ彼の功績は、ヴェトナム戦争の失敗によって、アメリカ人に厭戦気分と平和の思想を呼び覚ましたことでしょう。軍産複合体はこの時代に、人々の批判にさらされ、兵器の開発に協力した科学者がキャンパスを追われる例もみられるようになりました。

Ⅳ レーガンの軍拡 

 1980年に登場するレーガン大統領は、「強いアメリカ」を公約に掲げていました。「強いアメリカ」とは、軍事的にソ連を凌駕するアメリカのことですから、レーガンは戦争でもないのに軍拡を行います。彼が最も力を入れたのは、SDI(戦略的防衛構想)と呼ばれる戦略で、敵のミサイルを発射時点で捕捉し破壊するミサイルを宇宙から打ち込もうというものです。これは地球上の核戦争の脅威を宇宙の力を借りて取り去ろうという途方もない計画でしたが、レーガンは本気で宇宙の制覇が世界平和に繋がると信じていたようです。そのためにレーガンは膨大な研究開発費を「宇宙予算」と名付けて全国の大学や研究所につぎ込みました。
 科学者がこれを受け入れたのは、レーガンの野望とは別に、「宇宙予算」には宇宙制覇という人類の夢が含まれていたからです。SDI構想は夢に終わりましたが、科学者と軍産複合体の結びつきはこの過程でかつてなく強まりました。 

 

Ⅴクリントンの軍縮 

 レーガンの軍拡は膨大な財政赤字を伴いましたが、結果としては、1991年のソ連邦の崩壊を導くことになりました。冷戦が終わったところで、アメリカは第2次世界大戦以来はじめて軍縮の時代を迎えます。1993年に登場するクリントン大統領の課題は、いかにして経済の安
定を損なわずに軍縮を行うかということでした。そのためにクリントンが行ったのは、「軍民統合」による軍産複合体の合理化です。
 「軍民統合」とは、軍と民の垣根を極力低くすることによって、相互の技術交流をうながすことです。そのためにとられたのが規制緩和策でした。規制緩和によって、軍産複合体に蓄積されていた軍事的な技術が民間に流れると、民間で技術革新がおこります。するとこれが跳ね返って、従来よりも安価な兵器の生産が可能になるのです。クリントン政権は、このような技術の交流が可能なのは、技術に「軍民両用性」(デュアルユース)が備わっているからだと説明しました。
 しかし、この言葉遣いには注意が必要です。技術にデュアルユースがあるということは、軍と民のどちらにも使えるという意味ですから、この言葉を使うことによって軍と民の境界線が消えてしまいます。たとえ軍産複合体から研究開発費を受け取っても、それが民生品の開発にも役立つのであれば、気にすることはないのです。日本では、2015年に防衛省に設置された防衛装備庁が「安
全保障技術研究推進制度」と称して、軍事的な研究費を大学や研究機関に配布し始めていますが、アメリカとは違い、日本では兵器の開発に協力することに消極的な科学者が多いのです。日本の学術会議が、戦争中に多くの科学者が軍国主義に加担したことへの反省から、1950年に、軍事的目的のための科学研究を行わないという声明をだしていることを忘れてはなりません。軍事研究に対してガードの堅い科学者たちに対する攻勢が仕掛けられています。「安全保障技術研究推進制度」から資金をうけとっても、その研究にはデュアルユースがあるのだから心配は無用というのが、防衛装備庁の宣伝文句なのです。
 クリントンの合理化の結果、今まで15あった恒常的兵器産業が5つに絞られました。兵器の種類が限られ、必要な兵器を作る企業だけが残ったのです。軍需産業から出たくない企業は、残ると決められた企業と合併することになります。その結果、ロッキード社、ボーイング社(航空機)、レイセオン(ミサイル)、ゼネラルダイナミクス(潜水艦)、グラマン(戦闘機)の5社がそれぞれ棲み分けて、その分野で独占することになりました。アメリカには独占禁止法がありますが、クリントンは取り締まろうとはしませんでした。新自由主義政策を進めていて、規制緩和を打ち出していたからです。規制緩和があったからこそ、軍と民の共同が可能だったのです。
 その結果、兵器産業から競争が消えました。競合相手がないので、兵器生産のコストは高止まりしています。納期も問題で、ロッキードF35などは納期が遅れに遅れましたが、競争企業がないので国防省は文句が言えないのです。これは武器輸出の問題につながっていきます。いくら多くの兵器をつくっても、国防省だけでは量的に限られます。そこで余剰兵器を輸出したいという企業の願いと、技術を国外に持ち出されては困るという国防省とは対立します。
 もう一つ、兵器の場合には国防安全上の利害があって、敵対する相手に武器を売るのはとんでもない、しかも第三国を経てどこに行くかはわからないということもあるので、常に制限しておかなければなりません。したがって武器を売る国は友好国に限るということになります。企業の側はそれをどう突破するかということで国防省とのせめぎ合いになるわけです。企業の側は、「条件をつけるから買ってください」と相手側に持ちかけます。買う方の関心によって、技術ばかりでなく、道路の建設や特産物の購入まで様々な売買契約が成立するのですが、そうしてまでも企業の側は武器を海外に売りたいのです。恒久的に兵器を生産している企業であるかぎり、生き残るためには国益と対立することもやむを得ないのです。

 

Ⅵ ブッシュ(子)の「新しい戦争」 

 ブッシュ(子)大統領は「新しい戦争」を提唱しました。それはネットワーク中心のハイテク戦争のことです。彼はレーガンのSDIを受け継ぎ、発展させようと思っていました。しかし、そのためには莫大な費用がかかります。この問題を解決してくれたのが、2011年9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルの攻撃でした。この事件のおかげで議会は緊急補正予算を組んで、ブッシュの意図する軍拡を応援することになりました。アメリカはテロ退治と称してアフガニスタンに侵攻し、さらに本当の敵はイラクにあると宣言して中東に兵をすすめました。ブッシュにとっては「新しい戦争」の実験だったのです。

Ⅶ  オバマの挫折 

 ブッシュの無謀な戦争と、2008年に起こるリーマンショックという負の遺産を背負って登場したのがオバマでした。オバマは「チェンジ」と叫んで大統領に当選したのですが、思ったほどのことをやりとげることはできませんでした。
 オバマの手足を縛った最大のものは強制的な予算の削減でした。共和党主導の議会は10年間に9170億ドルの削減を課しました。軍事費も聖域ではないというのです。これに対して激しく抵抗したオバマは、結果として彼は軍産複合体を擁護する側に身を置くことになったのです。
 オバマは、最初は核兵器を世界中からなくすと言って称賛を浴びていたのですが、志をとげることなく退場せざるを得ませんでした。

Ⅷ トランプの混迷 

 トランプは軍拡に積極的ですが、その理由はラストベルト(さび付いた工業地帯)の人達を救済するためだということです。しかし、ハイテク兵器の生産はもはや重化学工業の手に負えるものではありません。軍産複合体はもはやかつての重化学工
業を必要としなくなっているのです。おそらく、トランプの試みは混迷のうちに終わることでしょう。
 


《日本の再軍備への道》
Ⅰ アメリカへの依存と脱却 

 安倍内閣は、2014年に「武器輸出三原則」を撤廃して、「防衛装備移転三原則」に変えました。
  「武器輸出三原則」を最初に定めたのは、1967年、佐藤内閣の時です。三原則は、輸出をしてはいけない地域を、国際紛争の当事国、共産圏地域、国連決議によって武器等の輸出が禁止されている国に定めていました。
 1976年三木内閣は、3つの条件をまとめて1項とし、2項に「武器輸出を慎む」を入れ、3項において武器に準ずるものとして武器製造関連施設を挙げています。佐藤内閣の時と違うのは、第2項に、日本国憲法の精神にのっとり武器輸出を慎むというという文言が入っていることです。「慎む」をどうして「禁止」にしないのか、当時の社会党が三木首相に迫りましたが、三木はこれを断りました。三木が退陣してから1981年に、当時の通産大臣が、「駄目なものは駄目だ」という発言をします。これは「禁止」を認めたということだと受け取った野党は、武器輸出禁止を法律にしようとしましたが、与党はこれをかろうじて回避して、かわりに国会決議とすることで決着をつけました。1981年、国会は次のように決議したのです。「我が国は平和憲法の理念としての立場をふまえ、武器輸出三原則ならびに政府統一方針に基づいて武器輸出について慎重に対処してきたところである。(中略)よって政府は武器輸出について、厳正かつ慎重な態度を持って対処するとともに制度上の改善を含めて実行ある措置をこうずるべきである。」以来、武器輸出三原則が事実上の武器輸出禁止令だということに異議を唱えるものはいなくなったのです。
 日本で自衛隊が発足したのは1954年のことであり、これを機に自衛隊の武器を日本で生産する体制が出来上がったのですが、実際には日本の兵器産業は自衛隊の必要とする兵器を提供するレヴェルに到達していませんでした。自衛隊の主要な兵器を調達するにはアメリカから購入
するか、あるいはアメリカのライセンスを購入して生産するしかありませんでした。その背景には、平和憲法と武器輸出禁止三原則があったことは間違いありません。
 これに反発したのが、日本の産業界です。彼らが注目したのは国際的な兵器開発というプロジェクトで、ロッキード社が開発しているF35を、イギリス、イタリア、カナダ、オランダ、デンマーク、トルコ、オーストラリアの8カ国で、共同開発するというものです。これに参加すれば、最新の軍事技術に接することができます。自分で開発する手間を省
いて、先端の技術にアクセスできるとはよい話に違いありません。しかしそれを妨げているのが武器輸出三原則だったのです。 最初は「特例」というかたちでアメリカとの共同研究を実現しようとしました。1982年、中曽根内閣に対して、レーガン大統領からの武器共同開発の誘いがあった時のことです。2003年には、ブッシュ大統領から小泉内閣に弾道ミサイルの共同開発を誘われました。いずれも「特例」で道は開かれたのですが、8カ国との共同開発となるとそうはいきません。当時の野田内閣が考え出したのは、「包括的措置」というもの
で、これによってアメリカだけでなく他国との共同開発にも道が開かれることになりました。しかし、ここまでくると、武器輸出三原則はほとんど無きも同然です。
 武器輸出三原則に終止符が打たれたのは、2014年のことです。安倍内閣は武器輸出三原則を廃棄して防衛装備移転三原則を新たに定めました。新たな三原則とは、(1)当該国が我が国の締結した条約その他国際条約に基づく義務に違反する(2)当該移転が国際連合安全保障理事会の決議に基づく義務に反する(3)紛争当事国への移転となる場合でした。この3つの場合をのぞけば、日本の兵器と兵器技術の移転はなんの拘束も受けないことになったのです。 

 

Ⅱ防衛施設庁と安全保障関連法

 2016年7月に安全保障関連法が成立します。防衛省の防衛装備庁の新設と安全保障法の成立は車の両輪のようなもので、自衛隊が武装して海外に派遣されることが可能になった今、自衛隊のために兵器をどうやって手に入れるかが、防衛装備庁の仕事です。兵と武器という二つの輪が整ったわけで、日本の軍産複合体の足音がいよいよ聞こえてくるようになりました。
 日本の軍産複合体は当然アメリカを手本としているのですが、アメリカと全く同じというわけではありません。このアメリカ型の軍産複合体は、営利的な私企業が兵器産業をおこなっているので、政府との間に緊張関係が常にありますが、日本の場合はおそらく官主導の兵器産業が出来上がっていくのではないかと思います。
  原発と同じで、官が主導する、ほとんど官営と言ってもいいような私企業が出てくるのではないでしょうか。
もう一つの違いは中小企業による下請け生産のことです。アメリカでは中小企業が軍需産業の下請けとして軍産複合体を支えてきましたが、兵器がハイテク化することによって、技術革新に追いつかない下請け企業は切り捨てられるようになりました。現在では、かつてのような物づくりではなく、IT技術やソフト開発技術をもつ中小企業が下請け生産の主流になっています。
 日本では、先日NHKの特別番組でみたのですが、武器フェアが開催されていて、そこを訪れた中小企業の人たちが、自分のところにある技術が軍事的な需要に結びついていることが分かったと言って喜んでいる姿が映し出されていたのです。彼らにとっては軍事的な用途の発見は市場の発見と同じことなのでしょう。しかし、中小企業の人たちに気づいていただきたいのは、それでは防衛装備庁の思う壺だということです。日本の中小企業の技術が素晴らしいものであることをよく知っている防衛装備庁が、大学の次に狙いを定めているのは中小企業だからです。
 現在のところ、学術会議が頑張っていて、防衛装備庁からの資金を受け入れることについては慎重に検討するという声明を出しました。軍事的な研究開発資金を受け取ることに否定的な姿勢を示している大学も増えています。しかし、自民党政府がテロ防止や軍事的抑止力の強化を理由に、日本の軍産複合体の形成を狙っていることは間違いありません。これに対してどう抵抗するか、結局は平和憲法を守るために何をするかということだと思います。皆様のような9条を守る運動を展開されている方々とともに、私もできる限りのことをしたいと思っております。本日はご静聴をありがとうございました。          完

 

 

wam「女たちの戦争と平和資料館」見学 

                                      関 千枝子(女性「九条の会」世話人)

 3月24日(金)、東京西早稲田にある「女たちの戦争と平和資料館」の見学会を行いました。12人の参加でした。この日は池田恵理子館長が、第1回「日本軍」慰安婦博物館会議の直前で非常にお忙しいのにもかかわらず、わざわざ私たちのために説明してくださいました。
 wamは、早稲田奉仕園という大きな建物の一画にあります。入口を入りますと、すぐ右手の壁いっぱいに女性の顔写真が張られています。これは名乗りでられた元「慰安婦」の方々(写真掲示を認めてくださった方々)です。ひとりひとりの思いが重く伝わってきます。
 中に入るとこの日の展示は、ビルマの日本軍慰安所です。wamはスペースがとても小さいため、一つ一つの掲示板が小さく作られています。掲示の字が小さくなるので「眼鏡」まで用意されていますが、今度のビルマの展示は現地の人の証言がないためということもあって、掲示の数としてはいつもよりすくなく、見やすいような気がしました。ビルマというとすぐ思い出すのが、19万人以上が戦死したと言われる戦争末期の地獄の「ビルマ戦線」ですが、驚いたことにこのビルマに、日本軍は60以上も慰安所を設置していたのです。地図の上に示された慰安所の多さにあきれてしまうくらいです。普通慰安所は後方基地に作られますが、ビルマでは最前線にまで作られたそうで。1944年6月に入ると連合軍の猛攻が始まったそうで、そんな中で「慰安婦」の人々がどんな生活を強いられていたか、考えるだけでも恐ろしいです。
 ビルマの慰安所には朝鮮、台湾、中国などの女性が連行され、その生き残りの方々から模様が分かるのですが、ビルマ現地の女性も大勢「慰安婦」にされたのに、いまだにその方々の被害の告発がありません。これは、性奴隷にされたことを自分の恥と考える女たちに共通する傾向、そのうえビルマには長く軍政がひかれていたという状況の下で、アジア各地で被害者の告発が相次いでも、ビルマ女性からはいまだに沈黙という現実があります。 ビルマの展示の多くは森川万智子さんの調査によるものです。森川さんは文玉珠さんという韓国人当事者に会い、長年彼女と付き合い、ビルマにも何十回も行き調査しました。その結果のたまものと言えるものです。森川さんの仕事は山川菊栄賞や、高良留美子文化賞を獲得しています。
 常設展示では、今までの当事者裁判の記録(全部敗訴ですが、多くの裁判で、当事者の告発した事実そのものは認めています。しかし国としての賠償は棄却)、教科書の変遷などの資料がびっしり掲示されております。教科書もようやく少し掲載され始めたのですが、「逆風」でいまは、全く掲載されない、という状況になっていることなどもわかります。
 池田館長は、ビルマのことだけでなく、「慰安婦」問題について、広く話をしてくださいました。アジアの被害者たちが名乗り出るまでどんな葛藤があったか、しかしいったん証言をしだすと証言を真剣に聞いてくれることに支えられ、自分自身を取り戻していくと言います。被害者のなかには、年少で被害に遭った人が多く、一番若い人は8歳と言いますから全く、いやになりますね。
 「慰安婦」のことを言いたがらない政府は、中学生に性のことを知らせるのはいかがなものかと教科書から「慰安婦」の記述を減らしていきました。参加者(元教師)から、性教育が「右」からの攻撃でどんどん後退し、今学校では大変やりにくくなっている現状が語られました。きちんとしたことが教えられず、そんな中で子どもは変な情報を聞き、関心を持ち、かえって悪い状態に陥っているのです。 子供に残酷なことを聞かせるのはよくないという人もいますが、池田さんによると、ドイツなどではホロコーストのことでも小さいときから少しずつ教えていく教育方法がとられているそうで、何もしないでただ残酷なことを教えるのはいけないと隠す一方の日本とは大いに違うようです。
 性暴力、慰安所に対する日本人男性の意識が問題で、相当「進歩的な」男性でも、女性と全く考えが違うということも話されました。『夜と女と毛沢東』(文芸春秋)で吉本隆明氏と辺見庸氏の対談が話題になりました。(注=この件に関して、池田さんは出典資料をその時持ってこられなかったので、十分お答えできなかったと後でメールをくださいました。)
  二人の問題の部分は220ページに出ています。
 二人はいずれも「慰安婦」被害を認め、日本政府は被害者への賠償責任を果たすべきだとする対話もありますが、二人とも「自分が兵隊だったら悪いことをしていたろうなと思う」つまり「自分も兵隊だったら、慰安所に行っていたはずだ」と述べているのです。 進歩派でも慰安所問題に対する女性との姿勢の違い、やはりこれは問題ですね。
 日韓関係が例の「少女像」問題でごちゃごちゃしています。この問題についてはかなり慰安婦問題に詳しい人でも何のことやらわからず、韓国政府が約束を守らず悪いと思っている人も多いと思います。あの「日韓合意」の押し付けに対して、韓国政府は自分たちの意見で強制的に撤去などできないので、「努力する」と言ったのです。しかしこの像を愛する韓国の人々は怒った。池田さんが韓国に行ったとき、ソウルの大使館前の像の前では女子大生が大勢で少女像を守っていました。若い人々が一生懸命ということは、それだけこの像が韓国の人々の気持ちにあったからでしょう。「合意」以後、韓国各地で「像」は増え続け、今、60以上あるそうです。その中で釜山の像が問題になったのです。
 とにかく安倍首相ら、よほどこの像が嫌いなのですね、たまらんと思っているのでしょうが、かれらがなぜ嫌うか、そして韓国の民衆がなぜ「愛し」、守っているかを考えるべきでしょう。
 wamは本当に小さい博物館ですが、「慰安婦」問題をきちんと毎日本(月、火曜は休み)見せているところは日本ではここしかありません。ぜひ皆さん、一度来てみてください。できたら若い人を連れて来てください。
 今のビルマの日本軍慰安所の特別展は7月末までですが、8月からは日本人「慰安婦」の展示だそうです。
 日本軍「慰安婦」は「商売女がなった」と言われ、彼女らは事実を語りにくい立場にあり、告発証言した人も非常に少ないのですが、これも研究考証がすすんでいます。
                         問い合わせ  wam ☎ 03〜3202〜4633
 

 

今 沖縄で…

                            宮良 瑛子(旧姓 藤崎  (沖縄女流美術家協会顧問)

 月桃の花がゆれ、ひらひらと蝶が舞う、沖縄がもっとも沖縄らしく美しく輝く若夏の今、飛べない鳥のヤンバルクイナ、ノグチゲラ、手ながこがねやハンミョウなど、世界遺産の宝庫である人の住むヤンバル高江の森で、ジュゴンの親子が住む辺野古の海で、今、何が起きているのか…。日本中のどれだけの人が知っているだろうか…。
 「海を守れ、山を守れ、戦争のための軍事基地はいらない!」と、毎日々々現地で非暴力の抗議行動が行われています。
 無抵抗で座り込む人々、罵声をあびせる若い機動隊員を前に〝命どう宝〟と語りかける老婦の声は胸にせまる。
 高齢の上に腰を痛めた私は、このところ現地には行けませんが、那覇の首里から精一杯、高江のヘリパット建設反対、辺野古の海を埋め立てての基地建設はやめよ、と声をあげ続け、発表する作品も人間の尊厳や反戦平和を求める地味な作品ばかりを描いています。
 今春の「九条美術展」には、昨年12月13日午後9時半ごろ、名護の海岸に墜落し、こわれたオスプレイを描き出品しました。在沖米軍のトップは、「住宅や県民に被害を与えなかったことは感謝されるべきだ」と、のたまう…。
 重油で海が汚され、魚介類、海藻などの被害、漁民、県民への謝罪など毛頭思ってもいません。
 これが主権国家、日本の現実なのです。
 戦争とは、特別の場所で行われるのではない。普通の日常のくらしが破壊される。人の心も異常になる。だから、共謀罪も反対すべきです。
                                           (女性「九条の会」賛同者)
 


マスコミに大いに物を申しましょう

世の中ますますきな臭くなっていますが、ここで頑張らないと、取り返しのつかない「戦争をする国」になってしまいます。先日の世話人会議でも、大いにマスコミに物申そうということになりました。
 テレビの場合、新聞のテレビ番組の局の名前がでているすぐ下に、電話番号が書いてあります。ここに電話します。いい番組はほめる、悪いのは意見を言う。いい番組をほめられると、作っている方は勇気づけられ喜びます。番組のことでなくてもいいです。NHKはこの間の共謀罪のとき、衆院本会議の実況をしませんでした。大相撲と重なったのですが、これはけしからんと思い電話しました。とにかく実況はありませんということだけしか言わないのですが、どうも同趣旨の電話が多いようでかなりNHKも困っているようでした。とにかくだめと思っても一応言ってみましょう。絶対に「効き目」はあると思います





 

 

 


 

 


 

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