女性「9条の会」ニュース46 号 2018 年11月号

 

1面  

   「辺野古ノー」沖縄の思いを重く受け止めて                  関千枝子 (女性「九条の会」世話人)

                                                                

 9月30日の夜。テレビは台風報道一色、沖縄知事選挙の結果はなかなか入ってこない。想定外の大型台風で、一般番組が吹き飛ぶのは仕方ないとしても、沖縄の状況がわからないのは…。イライラしているとNHKの出口調査の結果が入ってきた。玉城優勢。やった!でも台風を心配して期日前投票が多かったというから、これだけではわからない。テレビは、沖縄のことは少しも言わない。沖縄知事選は、本土の人にとってその程度のことなのか。腹立たしい。
 そのうち玉城当確という情報が入った、バンザーイというメールがあちこちから入ってきた。
ほんと?
 それまで沖縄知事選の予想は互角というのが多かった。自民、公明が、がっちり手を組んだ組織選挙。菅官房長官自らが、乗り込み(安倍首相が外国に行っているとき、官邸を空にして!)、人気の小泉進次郎を3度も送り込んだとか。小泉を若い女性がわっと取り囲みサインをねだる様子が報道され、沖縄でも、とあきれ、選挙の趨勢が本当に心配だった。
 ほんと、勝った?
 そのうちテレビでも玉城勝利が分かったが、中継もなく、票数もわからない。朝になって新聞を見て、8万票の大差をつけての勝利と分かった。すごい!
 でも、翁長未亡人の訴えが涙を誘ったからと言った記事もあり、沖縄の人々の心を馬鹿にしているように思えた。
 政府の衝撃は大きかったと思う。安倍首相は、この結果を「真摯に受け止める」と言った。だが、その後発表された内閣改造は、真逆の「ウルトラ改憲、辺野古推進内閣」である。辺野古問題を考え直し、アメリカと真剣に協議しようなどと言う気は少しもないらしい。
 それにしても、玉城知事勝利を書いた報道が少なかった。まるで政府に遠慮しているような「地味」な扱い、そんな中で、ようやく分かったことは、強力な自民公明連携作戦が行われたが、市長選挙で成功した戦術が今度は成功せず、公明支持者の3割が玉城氏に投票した。企業などへの締め付けがひどかったが、成功しなかったらしい。締め付けられると逆に、怒りが増し「沖縄の心」をしっかり示したということだろう。本当に沖縄の人はすごいと思った。
 この沖縄の人に応えて、私たちは何をすればいいか。選挙中何もできない自分を恥じ、沖縄の人に聞いたら、「簡単。沖縄の民意を無視するような政府を選ばない事」と言われた。まことにその通りだが、現実は本当に難しい。でも、とりあえず、安倍首相が固執している憲法改憲を何としても食い止める闘いを広げること、これしかないと思っている。
   
                                                             
 
                                       

2面〜6面                 女性「9条の会」憲法学習会      
                                                  
日時 2018年9月22日  於 文京区立男女平等センター
 
                      憲進む政治の私物化─瓦解する官僚たち

                
           
       
                 講師 望月 衣塑子 さん

                       (東京新聞社会部記者)

■4月27日に、裏献金事件を取材


 私は3年間、千葉や神奈川で社会部担当記者を続け、4年目から東京勤務になりますが、東京に来る前に汚職事件にはまります。業者と、受け取る議員や市長などの関係者の間にどういうことが行われたのかを取材して行くと、ああ、こういうことで2人はずるずるになって、お金を貰って利益を得るということになるんだなと思うのです。そういう人間模様を見るのが面白くてはまりました。
 東京本社では、田中角栄元総理大臣をロッキード事件で逮捕した特捜部(東京地検特捜部)に関わりたいなと思って希望し、2004年から特捜部担当に配属されました。当時の特捜部が内偵して捜査していたのは、歯医者の政治団体である「日本歯科医師連盟(日歯連)」から、自民党中堅の大物議員に対する「闇献金疑惑」でした。私たちはその話を早くから聞きつけて、全国の日歯連の関係者を回りました。その時にラッキーなことに、自民党に対する裏献金リストを入手しました。これは1000万円から始まるのですが、橋本総理への裏献金1億円というのもありました。東京地検特捜部は国内最強の捜査機関と言われ、担当の検事が36人ぐらい、それと検察事務官が90人ぐらいという体制で捜査に当たっていました。現場の検事たちは多くを立件したいという気概を持っていたのですが、全員でやっても、疑惑のある20人を全部立件するのはさすがに難しいということで、上から現場に5000万円以下は止めるという指示が出ました。現場の検事が、この5000万円のハードルをクリアし、尚且つ自民党の大物議員を立件したいと、自民党大物幹事長である野中広務氏サイドへの5000万円裏金贈与に関して、上に決済を取りに行ったところ、難波検事が特捜部の総長から呼び出されて、「細かいことは俺には分からないけれど、森を見ずに木を見てはいけない」と言われたらしいです。よほど彼はは悔しかったとみえて、普段はほとんどネタをくれる人ではありませんでしたが、一週間後に「実は総長にこういうことを言われた」と私に打ち明けてくれたのです。
 私は血気盛んでしたから、「特捜部というのは操作のミスを監視し、チェックするところではないですか、あなたたち一体何をやっているのですか。国民に恥ずかしくないですか」と噛みつきました。幹部の何人かは私に反応してくれて「お前の気持ちは良くわかるけれども、おそらくお前は私の持っている資料を入手して言っているのだろう。もしかしたら、我々はお前が持っている資料や証言の10倍、いや100倍ぐらいを見て、これだけは絶対に手放せないというものだけを選んで、それを持って上に決済を求めに行き、それでも駄目だと潰されているのだ。お前が悔しがっているその気持ちの10倍100倍、俺たちの方が悔しいんだぞ。お前から見ると情けないかもしれないけれども、しかし、見ていて欲しい。政権与党に切り込み、監視機関としてメスを入れることができるのは、他ならぬ特捜部なのだから」ということを言ってくれた方がいらっしゃいました。
 結果として橋本さんへの1億円の裏献金事件に着手することになり裏献金事件に着手することになり、これをきっかけに橋本元首相は辞任に追い込まれました。

 

■内勤の仕事(政治部)に左遷

 私は当時「夜討ち朝駆け」という形で仕事をしておりました。福田財務事務次官のセクハラ問題が大きく出てきましたが、記者は携帯が鳴ると夜の暗いレストランなどにも行ってしまうのです。まさに私は被害にあった彼女と全く同じようなスタイルで取材をしておりました。夜中の 時ぐらいに特捜部の幹部がハイヤーを雇って帰ってくるのですが、社会部の記者は近所迷惑にならないように幹部の自宅近くの公園の茂みの陰に隠れていて、ハイヤーが近づくと物陰から一斉に飛び出して、「今日はお疲れ様でした事件はどうでしょうか」などと質問攻めにします。幹部がまともに答えてくれることはないのですが、事件についての感触を掴むことはできます。終わった後は今度は個別のスクープネタをそれぞれが1~2分、大体それが 時近くまで続きます。それから遅い夕ご飯をかき込んでシャワーを浴びて寝る。寝たと思うと携帯が鳴ります。特捜部幹部からの飲み会の誘いです。私は特捜部の様子を知りたいのでハイヤーを呼んでまた出て行きます。飲み会は午前4時過ぎにお開きになり帰宅。今度は規則正しい生活を送る特捜部の幹部が毎朝5時半に起きて公園を散歩しますので、またハイヤーを呼んで公園の前で待ち伏せる。これを 時間、365日続ける。そんなことを1年半特捜部担当でやっておりました。あるとき東京新聞の幹部から呼び出され、「お前は家に帰っていないではないか。ハイヤーの中で生活しているのか。ハイヤー代を使いすぎる」と言われ、内勤の仕事に左遷されました。

 

■「読売新聞社だけはやめて」と父 に…

 内勤が続くとやはり市民の声が聞きたいと思うようになります。その頃、熱心な記者として買ってくれていた他社がいくつかありました。その中で先輩の記者と馬が合ったのが読売新聞でした。「お前ならうちにくればもっとノビノビやれるぞ」と言ってくれたので、実は読売新聞の転職試験を受けてクリアしたのです。翌日に転勤の回答を出すように言われ、父に報告しようと思って、一緒に呑みました。父は全国の労働争議の支援活動をしている人です。私が小さいときか「お前の人生はお前のものだ。お前が何を決めても反対はしない」と言っていた人なのですが、「読売新聞だけは止めてほしい」と言うのです。私は父の言うとおりになるような娘ではないのですが、その時の父の叫びのようなひと言が気になって、東京新聞政治部で仕事を続けることにしました。くればもっとノビノビやれるぞ」と誘ってくれたので、実は読売新聞の転職試験を受けてクリアしたのです。翌日に転勤の回答を出すように言われ、父に報告しようと思って一緒に呑みました。父は全国の労働争議の支援活動をしている人です。私が小さいときから「お前の人生はお前のものだ。お前が何を決めても反対はしない」と言っていた人なのですが、「読売新聞だけは止めてほしい」と言うのです。私は父の言うとおりになるような娘ではないのですが、その時の父の叫びのようなひと言が気になって、東京新聞政治部で仕事を続けることにしました。

 

■記者の仕事は権力者が隠そうとすることを暴くこと


 その後ようやく現場に復帰し、埼玉支局に転勤しました。そこで私が社会部記者として一番記憶に残る取材に巡り会います。それは、地検熊谷支部の国井弘樹さんという検事の「暴力団の組長との裏取引事件」です。取り調べ中に暴力団組長が指名手配中の組員に電話をかけ、隠し持っていたたくさんの拳銃から一丁を取り出してし、それを組長のリビングダイニングに移動させて、「こんなところにありました」と言って出頭するように指示をした。それを国井検事が認めた事件です。「暴力団組長と検事の取引」と一面で書かせて貰いました。すると地検の幹部が「国井という優秀な検事、暴力団の組長と腹を割って話せるくらいの優秀な検事を潰す気でいる」と怒ったそうです。この事件は望月ごときに潰させてはならないという理由で取り下げになりました。
 その後、厚生労働省の村木厚子さんが、課長時代に虚偽の公文書を作成し、それを使用したという疑いで大阪地方特捜部に逮捕、起訴されました。しかし、その後部下が名乗り出たために無罪になりました。ここで村木さんの取り調べを国井さんもやっているということに繋がっていくのです。彼女は後のインタビューでも明らかにしていますが、非常に強引な取り調べを国井さんがやっていたと言っています。彼女は何度も何度も「私は偽の公文書作成に関わってはいません」と訴えても全く聞く耳を持ってくれなかったと言います。このいわゆるストーリーありきの供述調書の取り方というのは国井さん独自のやり方ではなく、代々、東京地検特捜部や大阪地方特捜部がやって来たやりかたを踏襲してきたということなのです。この事件をきっかけに「ストーリーありきの取り調べ」は厳しい批判を浴びることになりました。彼女の事件が無罪になったということに留まらず、特捜部のしきり役であった前田恒彦検事が裁判の過程で、検察庁が証拠として提出していたフロッピーディスクを改ざんしていたということが朝日新聞のスクープで明らかになり、逮捕、起訴され有罪になります。当時の大阪地検特捜部長と副部長も証拠隠滅容疑で逮捕され、彼らも有罪になりました。まさに検査庁始まって以来の不祥事でした。
 これによって検察の信頼は地に落ちたと言われています。この事件以降、自民党に切り込めるような捜査はほとんどできなくなってしまします。そのきっかけをつくったのがこの改ざん事件だと言われています。熊谷事件の時点で取り調べとはいかにあるべきかということを見直していれば、地検幹部の逮捕も、証拠改ざん事件も起きなかったと思うのです。私たち新聞記者が生涯をかけてやり続けなければいけないのは。時の権力者が今最も隠そうとしているのかを明るみ出すことではないかなと思っています。持っていたたくさんの拳銃から一丁を取り出して、それを組長のリビングダイニングに移動させて、「こんなところにありました」と言って出頭するように指示をした。それを国井検事が認めた事件です。私は「暴力団組長と検事の取引」と一面で書かせて貰いました。すると地検の幹部が「望月は、国井という暴力団の組長と腹を割って話せるくらいの優秀な検事を潰す気でいる」と怒ったそうです。この事件は望月ごときに潰させてはならないという理由で取り下げになりました。
 その後、厚生労働省の村木厚子さんが、課長時代に虚偽の公文書を作成し、それを使用したという疑いで大阪地検特捜部に逮捕、起訴されました。しかしその後、部下が名乗り出たために無罪になりました。ここで村木さんの取り調べを国井さんもやっているということに繋がっていくのです。彼女は後のインタビューでも明らかにしていますが、非常に強引な取り調べを国井さんがやっていたと言っています。彼女は何度も何度も「私は偽の公文書作成に関わってはいません」と訴えても全く聞く耳を持ってくれなかったと言います。このいわゆるストーリーありきの供述調書の取り方というのは国井さん独自のやり方ではなく、代々、東京地検特捜部や大阪地検特捜部がやって来たやりかたを踏襲してきたということなのです。この事件をきっかけに「ストーリーありきの取り調べ」は厳しい批判を浴びることになりました。彼女の事件が無罪になったということに留まらず、特捜部のしきり役であった前田恒彦検事が裁判の過程で、検察庁が証拠として提出していたフロッピーディスクを改ざんしていたということが朝日新聞のスクープで明らかになり、逮捕、起訴され有罪になります。当時の大阪地検特捜部長と副部長も証拠隠滅容疑で逮捕され、彼らも有罪になりました。まさに検察庁始まって以来の不祥事でした。
 これによって検察の信頼は地に落ちたと言われています。この事件以降、自民党に切り込めるような捜査はほとんどできなくなってしまいます。そのきっかけをつくったのがこの改ざん事件だと言われています。熊谷事件の時点で取り調べとはいかにあるべきかということを見直していれば、地検幹部の逮捕も、証拠改ざん事件も起きなかったと思うのです。私たち新聞記者が生涯をかけてやり続けなければいけないのは、時の権力者が今何を最も隠そうとしているのかを明るみに出すことではないかと思っています。

 

                             

■武器輸出解禁─未来の日本はどうなる


 二人目の子どもを授かり、育休明けに出合ったのが、第二次安倍政権による「武器輸出解禁」という動きでした。これは1967年に、憲法九条を柱に、当時の佐藤栄作首相が、「武器輸出3原則」を提唱します。これによって「防衛庁がつくった武器はあくまでも自衛隊が使う武器の使用に限る。海外には売りません、海外との共同開発はしません」ということを掲げ、それを長らく日本の防衛装備政策の根幹に位置付けてきました。
 これを第二次安倍政権が「防衛装備移転3原則によって撤回し、海外に武器を輸出することができ、海外との共同開発も可能になりました。たとえば2016年6月には日本の陸上自衛隊がつくった武器を、フランスのパリで行われている国際武器見本市「ユーロサプリ」に展示し、各国の軍事研究者にアピールして売っていいということになりました。これまでは旧3原則というものがあったので、このような大がかりの国際見本市には、日本はあくまでもオブザーバーとして参加するだけでしたが、武器輸出解禁によって違う方向になってしまったのです。東京新聞では「平和国家の流れに大きく逸脱する流れで、問題がある」という記事をガンガン書きました。すると、三菱重工傘下の中小企業に取材に行ったとき、社長から「三菱重工から、望月記者には何も答えるなと言われているもので…」と言われてびっくりしました。三菱重工には700社ぐらいの下請け企業があるので、それを全部当たってみることはできませんでしたが、主だった中小企業には全部同じように言われました。
 防衛審議官のところでは、「東京新聞の望月さんね。待ってましたよ」と応接室に通され、「君にとって国防って何なの?国益って何なの?君は国防ってものが全然分かってない…ああいう記事ばかり書きやがって一体どういうつもりなんだ!」と一時間ぐらい怒られました。防衛省ではこういうことがよくありましたが、「武器解禁本当にいいんでしょうか?」と、しつこく、しつこく取材に行くと、戸惑っているという方が多いのだということもよくわかってきました。「本当はやりたくない」「軍事に関わる費用は評価が低い」「死の商人になるのかと言われるようなリスクは取りたくない」「極秘機密を輸出して、日本の情報が垂れ流されていいのか」などと多くの方が匿名で話してくれました。 オーストラリアのアボットさんという安倍さんとも仲のいい方が、武器輸出解禁の前から「日本のそうりゅう型がほしいのだけれども、売ってくれないか」と水面下で再三にわたって働きかけていました。日本の潜水艦は非常に静かで、深海にいても全く他国に気付かれないので世界一と言われています。記者クラブで防衛装備庁に取材に行き「そうりゅう型」潜水艦を武器輸出の第一号として出すのかと質問したところ、幹部は「そうりゅう型は秘密情報の塊だから、これは出せない」と言っていました。 しかし、その半年後、NSC(国家安全保障会議)で、「準同盟国関係にあるオーストラリアとの安全保障同盟をより強化するためにそうりゅう型の輸出を成功させよう」ということになります。これに対して装備庁は180度方向を変えて、三菱重工と装備庁の合同チームがつくられ、PR合戦を始めます。しかし、そうりゅう型の秘密情報の流出を恐れる幹部もたくさんいました。例えば、音の出ないポンプ、この設計書を元に特許を取ると音が出ないのだということが一目瞭然に分かってしまうので、特許は取れない。このような秘密情報がたくさん入っているらししいのです。これを武器輸出バージョンということで、アメリカがやっているように、レベルを少し落としたものをオーストラリアに売ろうとしました。オーストラリアには2004年からの 年間を見ただけでも 万人、中国からの移民者が急増しています。中国では日本の新幹線、原発、潜水艦、この三つの技術をのどから手が出るほど欲しがっていました。なので、大量の移民者の中に産業スパイや国防スパイを潜り込ませるということがあり得るのです。ということで「日本とオーストラリアの共同開発バンザーイなどとやっていると、4〜5年後にはそうりゅう型と非常に似た潜水艦がある日、中国の潜水艦として使用されるということにもなりかねない」などということを、いろいろな幹部が私に話してくれました。
 戦後日本は憲法九条の下、武力ではなく技術で発展しようとしてやって来ました。日本では防衛企業といっても、最大手でも、武器生産は10%ぐらいしかありません。防衛企業の貿易依存度は5%に過ぎません。これがトランプさん率いるロッキードとかでは %が貿易依存です。つまり武器生産は、戦争なくして発展していかないのです。今、平均5%の防衛企業を、安倍政権の方向性によって、じわじわと %、 %と上げていくと、 年後ぐらいには、アメリカと同じような武器生産の需要、つまり戦争の需要なくしては回っていかない国になってしまうのではないかと思うのです。

 

■森加計問題と文書の改ざん


 2017年6月1日号の『週刊文春』に、文部科学省の事務方トップだった前川喜平前事務次官が、取材に応じて、安倍晋三首相の意を受けた内閣府官僚らの圧力に負けて、首相の「腹心の友」である加計孝太郎氏が理事長を務める加計学園の獣医学部新設を許し、しかもその過程を綴った内部文書が「本物」であると告白します。
 今年の3月2日には、朝日新聞による「森友文書、改ざん疑惑」という大スクープ報道が出ます。去年、森友問題が騒がれて以降、提出された「決裁文書」が、述べ300箇所にわたって文言が削られ、改ざんをされていたことが分かります。
 この後、麻生さんにマスコミ各社が「改ざん前の文書を持っているのですか」と詰め寄ります。すると、「我々は今特捜部に調べられている被疑者の立場でありますので、文書を出せとは言えない立場であります」と言っていたのですが、週末に改ざん前の文書が出てきて、 枚で決裁文書の改ざんが行われていたことがはっきりします。「昭恵夫人は私人である」などという閣議決定をされているのですが、彼女の名前が改ざん前の文書には、3箇所にわたって表示されていたということもわかっています。それと佐川さんが「政治家の関与は一切ありません」といっていたのですが、改ざん前の文書には関わった人々の名前がズラーッと出てきたのです。その名前は全部きれいにそぎ落とされていました。
 佐川さんは結局証人喚問に呼ばれました。しかしながらほとんど何も答えません。「佐川さん、改ざん前の文書に昭恵夫人の名前が出てきたときどう思いましたか?」「それを見たかどうかは刑事訴追の恐れがあるのでお答えできません」しかし、安倍首相の関与、昭恵夫人の関与、菅官房長官の関与、今井補佐官、谷秘書や職員、彼らの関与を聞かれた時だけはいきなり声が大きくなって、「一切ございません」と言うのです。ここだけは守るぞという姿を見せるわけです。
 その後佐川さんは国税庁長官に抜擢されます。私たちは安倍さんや菅さんに「佐川さんの国税庁長官に問題はないのか」と詰め寄ったけれども、彼らは「適材適所であります」を連発します。しかしながらあることをきっかけに、あっさり、佐川さんの辞任申し出を認めます。近畿財務局の職員が命を絶った、しかもNHKの報道によりますと、その側には遺書があり、その中には「麻生さんの国会での答弁、そして佐川さんの直接的な改ざんへの指示」ということがほのめかされていたということです。これを見たのはどうもNHKの記者だけらしいのですが。ということで、この報道が出た直後に、ずっと適材適所と言っていたのに、あっさり佐川さんの辞任を認めるのです。その時 分間にわたって記者会見が行われました。「麻生さん、今度の事件をどう思っているのですか?」でも麻生さんは全然悪いと思っていないのです。この後も共産党が次々と新たに事実を公開しました。これを見ると、これは官邸と国交省の役人とのやりとりを書いたメモを起こしたものですが、これが「官邸も、不起訴の判断を速く」ということで、法務省に何度も泣きを入れていると書いているのです。三権分立を何と思っているのでしょうか。法務省に早く不起訴を発表しろと泣きを入れているのです、これを野党の人が、国交省に「徹底調査しろ」と持って行ったのですが、この文書が偽物とも、本物とも判断できないとして、「出所不明なので調査はいたしません」ということになりました。
 加計学園の新設について告発した前川さんに対しては、読売新聞から
「文科省事務次官の立場で平日夜出会い系バー通い」という記事が出ました。しかしながらその半年前の9月、秋口に前川さんが内閣人事局のトップである杉田和博氏から呼び出され「何だ君出会い系バーみたいなところに行っているらしいじゃないか。慎みたまえ」と言われます。彼は前から前川さんについては「おもしろくないような場所に行き、教育者としてあるまじき行為」と言って歩いているのです。前川さんの告白がよほど悔しかったのでしょう。「裏切られた」と思っているに違いありません。
 私は前川さんが、なぜそのバーに通ったかを聞いていました。「家が貧しくて高校をドロップアウトした子とかが、最終的に行き着く場所なのです。今の教育行政の中で取りこぼされている子たちにどういう風なことをすればいいのか、なぜあんなところに行くようになってしまうのかを知るためには、実際に会って話を聞く必要がある。あなた方も行ってみてはいかがでしょうか」と話してくれました。

 

■セクハラ疑惑問題

 福田事務次官級の人にインタビューをしたことはたくさんありますが、ここまでのことを言われたことはありません。「すごく好きだという気持ちと、胸を触りたいという気持ちと、キスしたいという気持ちが同時に沸き起こってる」という音声が録音されて残っているのです。「これは福田さんの声ですよね」と追及すると、「みなさん、自分の声って聞いて見るとわからないものですよね」ととぼけているのです、本人は否定しながらも、世の中に迷惑をかけたと事務次官を辞任しました。謝罪撤回をしたという記事がでたその日、麻生氏は「いや、確かにはめられたという意見もある、この際全部男性記者にしてしまえばいいんじゃないか」そういうことを言ってきたのです。今の政治家の重鎮と言われる方々のセクハラ、パワハラ、女性に対する意識が決定的に低いということが露呈された事件だったと思います。

 

■伊藤詩織さんの勇気

 2015年、4月3日、伊藤詩織さんはTBSワシントン支局長の山口さんと就職の相談をしたときに、記憶を失い気がついたときにはホテルで性的暴行を受けたということで、4月9日に高輪署に被害届けを出します。するとTBSのワシントン支局長というので、これはさすがにやりずらいと言うことで初めは拒否されるのです。しかしながら山口さんが4月26日に米国に移動になると、警察から電話がかかってきて、米国に行ったからやれるかも知れないということで、4月 日に受理され、タクシーに乗り込むときの乗り方やホテルの部屋の様子などの証拠集めを何度も繰り返して、6月8日に高輪署は準強姦罪で逮捕状を出します。 そしてワシントンから降り立つ山口さんを待ち構えていたときに、警視庁刑事部長の中村格氏が、「逮捕取りやめ」の命令を出します。そのため逮捕令状は執行されずに、任意同行に切り替えられます。これによって2016年8月に、不起訴処分になってしまいます。
 この2ヵ月前、山口さんは幻冬舎から『総理』という本を出します。「一躍有名、安倍総理に切り込む男性記者」というキャッチコピーで、安倍さんが官邸の執務室で電話をしている写真のあるポスターが電車の中吊りや地下鉄などに張り出されました。すごいお金をかけた政権PR本です。起訴されていたら「準強姦の被告人が安倍総理に最も喰い込む」となりますね。
 強姦事件は逮捕されても不起訴になることが多いのです。警察は令状を取って聞き込む権限を持っています。なので警察の捜査は結構踏み込んで、証拠が挙がったところで「取りやめ」なんていうことを何件か聞いたことがあります。
 彼女は国連で、日本の性犯罪被害者が声に出せない状況が続いていることを訴えていますし、民事裁判で争っています。
 日本では100人性犯罪被害者がいると、最終的に警察に被害届を出す人はたった4人です。ところが、スウェーデンでは被害者支援センターがあって、被害を受けた男女はここにかけ込み、検査をした後、半年かけて専門のカウンセラーが付いて心のケアをしてから加害者を訴えるか和解するかを時間をかけて話し合っていくそうです。そうすると %の人が被害届を出すと言います。
 今彼女が声を上げることで、少しでも社会のハードルが下がり、声を上げやすい仕組みにしていかなければいけないと思います。彼女には 歳下の妹がいるのです。今声を上げてこの仕組みを変えるように動かなければ、おそらく 年後に妹や妹の友達が同じような被害にあった時に、私がされたように泣き寝入りを強いられることになるんじゃないかと言っていました。社会的な制度を思って出てきてくれたのだと思いました。詩織さんはレイプの被害を受けたということを、顔を出して告発する。しかも訴える相手は総理、総理と安倍さんに食い込んでいる男です。前川喜平さんは巨大な権力に立ち向かっています。2人ともすごい勇気だなと思いました。

 

■安倍政治の終わりがはじまる?


 安倍さんは三選されましたが、今回希望が持てたのは、石破さんがあれだけ地方票を取ったということです。今の安倍一強、官邸の政治の私物化に対して、地方の党員たちは疑問を持っているわけです。この状況が続けば、来年参院選で自民党が大負けする可能性が高いと、官邸の中でも激震が走っています。
 データの捏造、南スーダンの日報隠し、こういう官僚の持っているデータが意図的であれ、マスコミや野党にリークされているのです。つまり、今の政治の私物化、安倍一強の弊害を感じている官僚は増えているように私は感じます。ですから、これからもいろいろな問題が出てくるのではないかと思います。
 そしてメディアと権力の問題もあらためて問われてくると思います。
                                                             (文責 小沼)

 


オスプレイの配備と基地機能の変化            第9次横田基地公害訴訟原告団
                                   団長  福本 道夫

                                                                                   

1.CV-22Bオスプレイの配備
 本年(2018年)4月4日、5機のCV-22Bオスプレイがコンテナ船Green Lakeから横浜ノースドックに陸揚げされた。
 翌4月5日、、5機のCV-22Bは飛行場ではない横浜ノースドックを飛び立ち,横田基地に到着した。この際、基地西側の市街地~基地滑走路上空を通る長円形のコースを2回旋回してから,基地外の北側でヘリモードになり1機ずつ着陸した。まるで、
「これから、この市街地上空で訓練
を行うのだ」と確認するかのような飛行だった。
 そもそも、CV-22Bの横田基地配備計画は2013年7月の太平洋空軍司令官の発言から明らかになっているが、日本政府は2015年5月に米政府からの接受国通報があるまで、この事実について「知らぬ存ぜぬ」で押し通した。そして、日本政府は、横田基地への配備時期が前倒しされ「今夏」に変更されたことも、4月3日まで隠していた。
 ところで、横田基地着陸後の5機のCV-22Bは4月 日に飛び去ったのち、5月 日に再飛来し6月4日に沖縄県・嘉手納基地に向かった。この際,そのうちの1機は故障し奄美空港に緊急着陸した。また,嘉手納基地に到着した4機は、翌日いずこかに飛び去ったのち、6月 日に横田基地に再々飛来した。
 この飛来に対する周辺自治体の問い合わせに、米軍と防衛省は「一時立ち寄り」と説明したが、4機はそのまま居すわり、特殊作戦部隊特有の夜間飛行を中心とする様々な訓練を基地周辺で行い、三沢基地や岩国基地,東富士演習場などへ行く訓練を度々行っていた。
 7月4日には奄美でエンジンを取り換えた1機が合流し、8月 日に「5機のCV-22Bが 月1日付で正式配備される。その後2024年頃までに 機体制になる。」と在日米軍から連絡があったことを政府は公表したのである。
 「正式配備」の意味は明確ではな
いが、当初横田基地とその周辺で行うとされた訓練のうち、行われていなかった人員降下訓練や物料投下訓練や、横田基地を起点としたホテル空域での訓練、三沢基地や沖縄県の訓練場に行っての空対地射撃訓練も早晩行われることになろう。そして、CV-22Bの訓練地関連自治体や住民の反応を見ながら残りの5機の配備時期を決定することになるのではないだろうか。
 結局「正式配備」の名の下、訓練は激化し、騒音と危険がますます増し、飛行方法や飛行時刻の制限などを定めた日米合同委員会合意事項違反(基地外での転換モードや垂直離着陸モードの禁止、飛行高度制限、学校や病院上空など人口密集地での飛行禁止など)が横行することになるだろう。
2.その他の横田基地の変化
横田基地常駐機C-130J-30による人員降下訓練は2012年から頻繁に行われるようになった。日本で人員降下訓練が恒常的に行われているのは沖縄県伊江島と横田基地だけであり、基地外に降下するような事故は横田基地でも起きるようになってきた。

¥本来は輸送中継基地であ横田基地へのジェット戦闘機の飛来は,2016年以降増加の一途をたどっており,離着陸をしないで基地滑走路上空を低空で通過するローパスも増えている。さらに,早朝や深夜の飛行も増えている。
また,2012年に横田基地に自衛隊航空総隊司令部移駐してきた際に,防衛省が「連絡機が時々飛来する程度である。」と基地周辺自治体に説明したにもかかわらず,自衛隊・戦闘機の飛来やローパスが増え,大型ヘリの基地周辺での旋回訓練などもみられるようになっている。
3.まとめ
 以上のように,横田基地の基地機能は変化しつつあり,基地周辺住民の騒音被害や事故への危険度は高まっている。
また,米軍が制空権を持つ広大な横田空域が首都圏を含む本州中央に存在すること,それ以外の日本の上空も米軍機が自由に飛行可能であるという空の植民地状態が終戦後ずっと続いていること,これらにより様々な弊害が起きていることを私たちは忘れてはならない。本来は輸送中継基地である横田基地へのジェット戦闘機の飛来は2016 年以降増加の一途をたどっており、離着陸をしないで基地滑走路上空を低空で通過するローパスも増えている。さらに早朝や深夜の飛行も増えている。
 また2012年に横田基地に自衛隊航空総隊司令部移駐してきた際に、防衛省が「連絡機が時々飛来する程度である。」と基地周辺自治体に説明したにもかかわらず、自衛隊・戦闘機の飛来やローパスが増え、大型ヘリの基地周辺での旋回訓練などもみられるようになっている。
3.まとめ
 以上のように、横田基地の基地機能は変化しつつあり,基地周辺住民の騒音被害や事故への危険度は高まっている。また、米軍が制空権を持つ広大な横田空域が首都圏を含む本州中央に存在すること、それ以外の日本の上空も米軍機が自由に飛行可能であるという空の植民地状態が終戦後ずっと続いていること、これらにより様々な弊害が起きていることを私たちは忘れてはならない。

 

 

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