女性「9条の会」ニュース35 号 2015 年11 月号

 

1面  

「戦争法」廃止の鍵                                         

 アメリカの軍需産業の求めに応じて、強行採決で「戦争法」を押し切った安倍政権は、11月から戦闘地域の南スーダンに自衛隊をPKOとして派遣し、3月からは、かけつけ警護で、任務遂行のためなら発砲も認めるとしています。法案を国会に提出する前に準備は整えられていたのです。
 しかも来年の参議院選挙では「明文改憲」を国民に問うとまで言い出しています。
 「子どもを生んで国家に貢献して欲しい」とか、「戦争に行きたくないと考えるのは利己主義だ」など、戦前回帰の姿勢をむき出しにした言葉がポンポン飛び出す自民党。それでも支持率は40%近くもあることに愕然とします。
 しかし、「戦争法」をめぐるたたかいの中に見える一筋の光、それは若い母親たちや、「何を考えているか分からない」と大人たちを嘆かせていた若者が立ち上がり、自分の言葉で語り始めたことでしょう。
 「はじめは僕も、こんなに平和なのに『戦争反対』なんて、なに言っているんだと思っていました。でも戦後70年間憲法九条が守られ、戦争によって一人も殺し、殺されることがなかったのは先輩たちのたゆまぬ努力のおかげだということをこのたたかいで知りました。これからは、僕たちの子どもや孫に感謝されるように、僕たちが頑張る番です」と言ったシールズの奥田君をはじめ、多くの学生たちが真剣に考え、訴える姿に大人たちは励まされました。
 「僕は今朝5時に起きて、七時から午後二時半までバイトをしてここに来ています。一週間の中で、勉強やバイトの時間を含めると、遊ぶ時間は全然ありません。バイト代も交通費やみんなとのミーティングでの食事代でなくなる。そういう学生が集まっているのです。みんな自分で勉強して来ています。」
 「デモやったら就職困るとか言ってる人いるけど、僕はおかしいことにはおかしいって言い続けます。デモは怖いとかステレオタイプの見方やめてちゃんと現場にきて僕らを見て欲しい。」大変な生活を抱えていたり、就職の心配をしながらも国会前に集まってくる学生。
 「『日本は守ってもらってばかりではいけない、戦う勇気をもたなければならない』と安倍さんは言いました。でも私は自衛隊員に海外で人を殺させる勇気などありません。かけがえのない自衛隊員の命を失わせることを認めるほど私は心臓が強くありません。私は戦争で奪った命を元に戻すことはできないし、空爆で破壊された町を立て直す力もない。日本の企業がつくった武器で子どもが傷ついてもその子たちの未来に私は責任を負えない。大切な家族を奪われた悲しみをこれっぽっちも癒やせない。自分が責任を取れないことを、あの首相のように、『絶対安全』とか言ってごまかすことはできません。」と自分の身に引きつけて考え、真剣に訴える女子学生。
 今年国会前を埋めたのは、やむにやまれずやってきた人々でした。杖を突く人、車いすの人、赤ちゃん連れの若い母親、そして学生や若者たち。こういった人々の声を平然と無視した安倍政権は許せません。しかし、このたたかいの中で誕生した幅広い共同と、若い力こそが参議院選を通して「戦争法」を廃止させる鍵になることを信じたいと思います。        小沼 稜子(女性「九条の会」世話人   


2面〜6面   学習会報告

    「GO!GO!女性たち」明日を拓くのは女性の踏ん張り      

     「戦争法」を廃案に  講師 小森陽一さん

                  

                           

 「戦争法案廃案」を求める人で国会周辺が埋め尽くされた空前の大集会の前日である8月29日に、女性「九条の会」は、九条の会事務局長の小森陽一さんを講師にお迎えして学習会を行いました。
 戦後70年の政治と国民の政治参加の歴史を話していただくことで、少しではあっても、国民の側の主権者意識が成熟してきていることを感じ、勇気を得ました。法案は強行採決されましたが、これからも私たちは主権者意識を強く持って、戦争法案を廃案にする運動を続けて行きましょう。 GO!女性たち
     

空前の国民的運動

■国会前集会で示された共同の力

 空前の国民的運動
■国会前集会で示された共同の力
 衆議院の特別委員会で強行採決が行われた7月15日、国民はまだ法案への理解ができていないという安倍首相の答弁の舌の根も乾かない12時25分、衆議院の特別委員会で強行採決が行われた。朝から国会前で座り込みが行われていたが、夕方には続々と人々が集まり、民主
党の枝野幹事長は、「この日は安倍晋三の祖父が総辞職を表明した日であるのだから、この日を安倍政権の終わりの始まりの日にしよう」と挨拶をし、共産党の志位委員長、社民党の吉田党首など、すべての野党が国会前に集まった抗議集会参加者に挨拶をした。そのこと自体が60年安保以来なかったことであった。
 「九条の会」事務局の渡辺治さんは、今の国民的運動には新しい力が四つあると分析する。一つは新しく生まれた共同の力。二つ目は地方の力。三つ目が保守層の立ち上がり、そして四つ目が広範な女性と若者の参加だと指摘した。
 60年安保の時は6・15の強行採決を境に毎日30万人を超える人々が国会を取り巻き、デモをやったが、それは国会前だけのことで、地方は完全に自民党に圧倒されていた。

■「総がかり行動実行委員会」の 役割
 去年までは分かれて行っていた憲法記念日を統一して行ういわゆる「5・3集会」を横浜の公園で3万人を集めて行うことができた。これがこれまでにない共闘をつくる力になった。いわゆる連合左派と呼ばれている人たちによる「平和フォーラム」を中心とする「戦争をさせない1000人委員会」というグループと、社共統一型で憲法集会をやってきた「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」と、共産党系と呼ばれている「憲法共同センター」とがいっしょになって「戦争させない、九条壊すな!総がかり行動実行委員会」が結成されて、そこが運動を統一している。これはかつてなかったことだ。ここにはヘゲモニー闘争はしないということを示す工夫がいくつもしてある。首都圏を中心に市民運動をやってきた「九条壊すな!実行委員会」の高田健さんが頑張ってまとめている。「憲法共同センター」は、「全労連」の小田川義和さんを中心にいくつもの組織が連帯している。学者もいろいろな枠組みでグループをつくってきた。
 二つ目の地方の力も大きい。全国の九条の会に対して私たち事務局は、5月から8月を「山場月間にして運動を起こそう」と呼びかけ、「自分たちの地域・分野でこれまでの枠を大きく越えた人々の名を連ねて、戦争立法反対の運動を組み立て、地域・分野の人々にくまなく署名といっしょに運動への参加を呼びかけよう」と提案したが、これは本当にきちんと実践されて、大きく地域そのものを変える役割を果たした。その結果、400近くの地方議会の決議があがった。そのうちの300近くが「慎重審議」や「廃案」を決議している。そしてそのうち一一〇は自民党や公明党までもがその決議に賛成している。
 

 戦後70年に於ける戦争法制の位置


■朝鮮戦争─うやむやになった日本の戦争責任
 日本国憲法が最初に危機に陥らされたのは朝鮮戦争の時である。1950年6月25日に、朝鮮民主主義人民共和国が38度線を越えて大韓民国に軍事侵攻をした。これは国連憲章第二条違反だ。国連は第二次世界大戦後に国連憲章をつくり、戦争はもとより武力の行使や武力による威嚇も禁じている。そしてこれに違反した国が出てきた場合は国連安全保障理事会(以後安保理)で対応を検討するとした。安保理には常任理事国(第二次世界大戦の戦勝国であるアメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国)と非常任理事国がある。この時安保理が開かれたが、ソ連がボイコットした。理由は一九四九年10月1日に中華人民共和国ができていたにもかかわらず、安保理は台湾の亡命政権である中華民国を「中国」としていたからであった。ソ連が出ないとなるとその他の国の利害関係は一致する。中華民国は中国を奪還するチャンスがあると考え、イギリス・フランスも社会主義国ができることを恐れる。アメリカは元々アジアに社会主義国をつくらせないために原爆を落としたくらいだ。ということで安保理は北朝鮮への軍事制裁で一致した。日本を占領している連合国軍が一斉に朝鮮半島に上陸して、北朝鮮軍と戦うという構図である。
 マッカーサーが、この時ほど日本に憲法九条を与えたことを後悔したことはないであろう。彼は自分がかかわってつくった憲法九条を無視するわけにはいかないので、基地を守る能力を持った警察予備隊をつくらせて、1950年9月にインチョン(仁川)から上陸した。北朝鮮軍は釜山まで来ていた。マッカーサー軍が38度線を越えて中国国境まで攻め上るのがその年の秋。中華人民共和国は黙っていられないが、正規軍が出ると第三次世界大戦になるから義勇軍が出て行った。政府は知りませんというわけだ。義勇軍と言ってもソ連軍の最新鋭の戦闘機で武装しているから、連合国軍は一気に38度線まで戻されてしまった。アメリカ政府は51年4月にマッカーサーを更迭する。
 その四ヵ月後九月八日に、日本はサンフランシスコ講和条約と旧日米安全保障条約を結ばされる。朝鮮戦争の只中だから、韓国、北朝鮮は入らない。北朝鮮をバックアップする中華人民共和国も入らない。だから日本の植民地支配と戦争責任は一切追求されない。日露戦争以後植民地にしてきた朝鮮半島や侵略をしてきた中国に対する責任は問われない。日本の植民地支配や侵略、あるいは従軍慰安婦問題に対する責任を、国家として取るということをしてこなかった最大の要因は朝鮮戦争の只中での講和条約にあったと言うことができる。

■押しつけられた「再軍備」
 毎日アメリカ軍が日本の基地から出撃する。兵站、つまり食糧や軍備まで全部日本から調達される。これで日本の大企業が朝鮮戦争特需で復活するが、日本列島全体がアメリカ
の軍事基地化され、野戦病院化することになった。そして講和条約と一体なので、沖縄、小笠原、奄美諸島は日本から切り離されてしまう。九条があるにもかかわらず、アメリカから日本に対する再軍備への要求が入る。
 日米安保条約の発効は1952年4月28日。発効すると再軍備をしなければならない。1952年に保安隊と保安庁が結成され、二年後の54年に陸・海・空を持つ自衛隊と防衛庁が創設された。安倍政権が昨年の7月1日に閣議決定で集団的自衛権の行使を容認したのは、七月一日が自衛隊が創設された日だからだ。「自衛隊は陸・海・空軍ではありません。最低限度の実力です」と吉田茂は説明した。そして「日本領海内で問題が起きたときに限り出撃できる」と国会答弁をした。

■運動の力で自衛隊を制約
 この頃、九条の下での日米安保条約やアメリカの軍事基地を憲法違反とする国民運動が起こってきた。
 一方、A級戦犯は処刑されたが、侵略戦争に荷担した政治家たちが、朝鮮戦争の只中に公職追放を解かれた。処刑を免れた岸信介は、鳩山一郎を党首にして「日本民主党」を結成、アメリカ一辺倒の批判を受けている吉田茂率いる「日本自由党」から政権を奪取しようと考えた。この時に岸信介らがつくり出したのが「押しつけ憲法論」である。日米安保条約で再軍備を押しつけられ、基地が押しつけられていることに国民は怒っていたのだが、それをねじ曲げ、岸らは「アメリカから押しつけられた憲法を変えて、自衛隊を日本年の7月1日に閣議決定で集団的自衛権の行使を容認したのは、7月1日が自衛隊が創設された日だからだ。「自衛隊は陸・海・空軍ではありません。最低限度の実力です」と吉田茂は説明した。そして「日本領海内で問題が起きたときに限り出撃できる」と国会答弁をした。

■運動の力で自衛隊を制約
 この頃、九条の下での日米安保条約やアメリカの軍事基地を憲法違反とする国民運動が起こってきた。
 一方、A級戦犯は処刑されたが、侵略戦争に荷担した政治家たちが、朝鮮戦争の只中に公職追放を解かれた。処刑を免れた岸信介は、鳩山一郎を党首にして「日本民主党」を結成、アメリカ一辺倒の批判を受けている吉田茂率いる「日本自由党」から政権を奪取しようと考えた。この時に岸信介らがつくり出したのが「押しつけ憲法論」である。日米安保条約で再軍備を押しつけられ、基地が押しつけられていることに国民は怒っていたのだが、それをねじ曲げ、岸らは「アメリカから押しつけられた憲法を変えて、自衛隊を日本リンの壁が崩れて東西冷戦が終わり、世界は一つという流れの中で「直ちにイラクはクエートから撤退せよ」という安保理決議が全会一致で上がり、アメリカ軍を中心に多国籍軍が結成された。この多国籍軍に「自衛隊を出せ」とアメリカから圧力がかけられたのだ。日本は海部俊樹政権の時で、四〇代の小沢一郎氏が自民党の幹事長だった。 
 彼はイラクに行くための「国連平和協力法」を国会に提出したが、当時の内閣法制局長官が「従来の自民党政権の説明によれば、日本の領海の中に攻撃があった時にしか自衛隊の装備は使えないのだから、海外に派遣することそのものが憲法違反であるし、まして中東の国に武器を持って参加するようなことはあり得ない」という答弁をしたため廃案になった。
世界の人々はアメリカの腰巾着である日本がなぜ出てこれないのか、いぶかった。1991年から「砂漠の嵐作戦」という空爆が始まるが、その2日目あたりから全世界のマスメディアに「日本が出ていけないのは憲法九条があるからだ」という報道が始まり、初めて憲法九条が世界的な認識になった。
 いつかは傭兵として自衛隊を使おうと思っていたアメリカは怒り、圧力をかけてくる。小沢一郎氏は「憲法調査会」をつくって「国連の安保理決議があれば自衛隊を世界のどこに出してもかまわない」と解釈変更をしようとした。しかし、自民党全体は認めなかった。海部政権は、日本の国民一人あたり1万円である1兆数千億円の軍事費を差し出した。にもかかわらず、アメリカは「日本は金だけ出して血と汗を流さないのか」と脅してきた。これが当時の外務省の幹部や自民党幹部の「湾岸戦争トラウマ」となっている。何とかして自衛隊を海外に出さなければいけないというわけだ。 

■マスメディアの改憲キャンペーンと九条の会の誕生
 小沢一郎は羽田孜を立てて新生党をつくって自民党を出る。鳩山由紀夫は武村正義を立てて「新党さきがけ」をつくる。すでに新党をつくっていた日本新党の細川護煕らとともに、「九条を変えて国際貢献のできる日本を」という改憲選挙を行う。93年の夏のことである。
 それまでは自民党一党だけが改憲を言っていたのだが、改憲政党が複数になった。読売新聞が93年から憲法改正の大キャンペーンを始め、「憲法を改正した方がいい」という人が増えて行く。2004年4月には読売新聞の世論調査で65%が「憲法を変えた方がいい」、「憲法を変えない方がいい」はわずか22%だった。改憲派が3倍いたのだ。 小泉政権が9・11以降アメリカの戦争に荷担していく形で「特措法」で自衛隊を派遣することになる。
 これはもう黙っているわけにはいかないと「九条の会」が結成される。
2004年6月10日にアピールを出して各地で講演会を行った。その結果それぞれの地域、職場、学校で自発的に九条の会が結成されていった。2005年5月3日の憲法集会の段階で、全国で3000の九条の会が生まれ、7月の有明コロシアムの1万人集会で、私は事務局長として、「全国津々浦々に九条の会をつくってください」と呼びかけた。

■小泉純一郎政権から第一次安倍晋三政権
 この草の根からの憲法を守る運動を初期段階で潰しておかなければいけない、広がる前に明文改憲をしておかなければいけないと判断したのが小泉政権である。この秋、「郵政民営化イエスかノーかの国民の信を問う」として、参議院で否決された「郵政民営化法」を実現するために衆議院を解散して選挙を行った。彼は「郵政民営化に賛成しなければ刺客を送る」と言って、ワイドショーを乗っ取って「劇場選挙」を行った。自民党はこの時296議席取った。テレビ映えのする女性議員はみなこの時に刺客で入った人たちである。これで明文改憲が衆議院でできることになる。2007年の参議院選挙で3分の2とって一挙に明文改憲をするという路線が引かれ、10月28日に「自民党新憲法草案」を出す。この時は、与党で直ちに明文改憲をやるつもりだったから、国民が動揺しないような穏やかな表現にして、九条第二項を削って「自衛軍を保持する」という文言を入れた。
 同じ日、アメリカと日本の外務防衛会議が行われた。アメリカの国防長官と国務長官、日本の防衛庁長官(当時、現在は防衛大臣)と外務大臣の2+2で、アメリカと、これから軍になる日本の自衛隊がどう協力するかが話し合われ、アメリカ軍と軍事協力をするわけだから秘密が漏れない法律が不可欠であること、大統領と国務長官と国防長官で軍事に関することを一気に決定すると、アメリカと同じような組織が日本にも必要になること、さらに日本軍とアメリカ軍はいっしょに世界に殴り込みをかけるのだから、海兵隊が使うことのできる新しい基地、V字型の二本の滑走路を持つ新基地をつくることを約束した。今の辺野古基地の問題はこの「憲法九条二項を削って自衛軍を保持する」という前提でつくられているのである。そのことを忘れてはならない。この時の内閣官房長官が安倍晋三という政治家だったのである。この時の約束を彼は全面的に実施しようとしてきたのである。このつながりの中で考えていかないと、どれだけ向こう側が本気なのか、どれだけ最後のチャンスとして今やろうとしているのかの緊迫度が見えてこない。

 

「九条の会」運動と世論の変化 



 2006年9月、安倍政権が「自らの任期中に明文改憲をする、その前に戦後レジームを変え、一九四七年教育基本法を変える」ということをスローガンにして成立した。九条の会は全国に4800あったが、この流れを止めることはできずに12月15日に強行採決で教育基本法の改悪が決定した。
 年が明けて、国会では改憲手続き法としての「国民投票法」が議論され始めた。2007年4月の読売新聞の世論調査では3年続けて「憲法を変えない方がいい」という人が増え続け、「変えた方がいい」が減り続け拮抗しているという報道があった。10日後ぐらいに民主党の小沢代表が衆議院特別委員会の枝野幸夫理事を降ろした。安倍政権の下での明文改憲に民主党は協力しないと決めたのだ。自民党と同じ新自由主義二大政党として、わざわざつくられた民主党が、世論が変わることによって方針を転換したのだった。2007年7月の参議院選挙に向けてマニュフェストを出した6月、方針は大きく変わった。「国民の生活が第一」として明文改憲を取り下げたのだ。その結果、この参議院選挙で民主党が勝利してねじれ国会になった。この勝利宣言で、小沢一郎民主党代表は「今、インド洋でアフガニスタンを攻撃している有志国に対して、海上自衛隊が、安保理決議なしに、テロ特措法に基づいて給油活動を行っているのは憲法違反だ」と発言した。小沢一郎という政治家の口から憲法違反という言葉が出るなど私は夢にも思ってはいなかった。世論が変わるということはそういうことなのである。しかし、宮沢喜一政権の時に自衛隊は「非戦闘地域」にしか出せないとなっていた。当時の内閣法制局長である宮崎例一さんは「アフガニスタンのどこにも非戦闘地域は存在しない」と答えた。そこで安倍晋三は9月12日、突然お腹が痛いと言って政権を投げ出したのだった。ブッシュから要求されたことができなかったから、かつての武士が殿様の意向に添えなくて切腹したように彼は辞めたわけである。
 あらためて私たちは、私たちの草の根運動の力で第一次安倍政権を政権の座から引きずり下ろした経験を思い起こしておく必要がある。私たちの草の根運動で世論を変えて政権を倒したのに、その自覚が運動をした側にない。「お腹が痛くなったのでやめちゃった」ぐらいの感じでしかない。今その記憶をしっかり呼び起こしておこう。
 安倍政権には強いプレッシャーがアメリカからかかっている。そして外務省の官僚たちもそこで動いている。戦闘地域に行ってしまって死者が出れば後は何とかなるという考え方を持っていた小松一郎という男を内閣法制局長官にしたのは安倍晋三である。
集団的自衛権の行使を容認して、彼は命を落とした。彼らだって命がけでやっているのだ。

 

 空前の地殻変動が起きていることを示そう!



 2008年4月の読売新聞の世論調査で15年ぶり「憲法を変えない方がいい」という人が多数派になったと報道された。その10日後に小牧飛行場周辺の住民が起こした訴訟に対して、イラクに派遣した航空自衛隊の活動が憲法違反だと名古屋高等裁判所の判決が出された。イラク派兵に関しては一一の裁判が損害賠償を要求して提訴していたが、10は却下された。残る一つの訴訟では、名古屋高等裁判所で損害賠償に関しては原告敗訴はしたが、航空自衛隊がやっていたすべての活動を精査した。武装した兵士をクエートで乗せてバクダッドで降ろしたらそのまま戦闘行為を行うことになる。これは戦闘行為の一環であり、国民の平和的生存権を脅かすものとして「憲法九条違反」の判決を出した。これが「切れ目」をつくった。
 日本の司法は、立法権力と行政権力が行なった軍事行為に対して憲法九条に基づいて違憲の判決を出した。これは草の根の世論に励まされての判決だった。ここが草の根運動が持つ力の証しだと思う。全国の大行動を成功させるために、どれだけ草の根の空前の地殻変動が起きているかを示すことである。地方で草の根運動が行われて来た結果、全国の地方主要40紙はいずれも「戦争法案」に対して廃案か慎重審議という社説を書いている。これは画期的な局面の転換だ。何より大事なことは沖縄は辺野古で頑張っている。辺野古に基地をつくらせないことが安保法制反対と同じ運動なのだ。沖縄の人たちはそれをわかっているから辺野古一本で「オール沖縄」でやっている。明日の大行動を出発点にしてどれだけの運動をつくっていくことができるかどうか、ここが大事なところである。その意味で、地域とそれぞれの分野、みなさんの持ち分として「GO!GO!女性たち」を文字通り実現させるために、可能な呼びかけをすることによって絶対に戦争法案を阻止するよう頑張って行こう。   (完)

 

7面 

有権者の声を国会に届け続けよう!

 

 九月一八日未明、「戦争法案」が強行採決されました。あれは採決ではないと、手続き的にも違憲という意見も多く、あまりの暴走に怒るしかありません。このまま黙っているわけにはいきません。「戦争をする国」に日本を変えてしまいたい人たちで国会が埋まっている状況を何とかしないと取り返しがつかないことになります。反安倍の国民政府をという声も起こっています。とにかく来年の参院選挙、「戦争法案」に賛成した人、賛成する人には一票も入れない、という運動を始めましょう。

 「署名」にご協力ください

 来年の参院選まで待てない、と思われる方も多いでしょう。安倍内閣はそれまでに着々と「戦争をする国」づくりに励み、改憲の動きも急ピッチで行うと思います。一つ一つ闘わなければなりませんが、とりあえず、足の悪い高齢者でもできる「署名」に取り組みませんか。同封の署名用紙は、「戦争法案反対」の「総がかり行動」に結集した幅広い人たちの統一「署名用紙」です。とにかく私たち国民の多くが、あの法案に反対し、疑問を持ち、あのような形の「採決」に疑問を持っていることを叫ぶ必要があります。署名の目標は2000万人です。これは最低の目標です。3000万、いや4000万の署名が集まれば、これは政府を追い詰め、衆院解散にも追いつめられると思うのですが。
 頑張りましょう。署名用紙を一枚同封します。欄がいっぱいにならなくても結構です。一人だけの署名でも送り返してください。署名用紙が足りないときはすみませんが、ご自分でコピーしてください。頑張って一人でも多くの署名を集め、安倍首相に突き付けましょう。

 女性「九条の会」も、がんばりました。

 国会が緊迫の度合いを増してから、女性「九条の会」も、できる限りのことをしました。
 八月三〇日、国会前総がかり行動。10万人行動ということで早めに国会前に行ったのですが、とにかく人の山で歩くのも大変。
 女性「九条の会」は旗を持って行き国会図書館の前のあたりで集まることにしていたのですが、あまりの人でこの場所に行きつけなかった人も大勢いるという状況でした。これは参加者がそれだけ多かったということでいいことなのですが。最後まで会えなかった人もあり、参加11人は確認できたのですが、もっと多くの方がいらしたと思います。
 この日の参加者は12万人と発表されましたが、警視庁調べは3万人でした(マスコミ報道による)。しかしこの警視庁調べの数は絶対ウソと思います。これ、参加者の実感。
 同じ思いの人を見るだけで元気と勇気がわきました。また、この頃から若い人々が目立つようになり、学生たちの若々しいトーク、素晴らしいと思いました。
  その後も情勢の緊迫で国会のまわりは常に人でいっぱいという状況でしたが、私たちの会は高齢者が増えていますし、病気の方も多く、国会前には個人的に参加することにし、国会議員にFAXやメールで要請しました。やはり、選挙区の有権者から要望が来ると、彼らは気にするというので、選挙区の議員や女性議員の方に、個人の名で要請しました。与党議員には「党議拘束にとらわれず、あなたの良心で考え行動してください」と良識を訴えました。
 これがどのくらい効果があったか。採決の模様を見ると何の役にも立たなかったかもしれません。自民党も公明党も、世論にいらだち「引き締め」に非常に積極的だったようですから。何の効果もなかったかもしれませんが、とにかくできることはやりました。これからも議員をしっかり監視しましょう。有権者の声は耳に痛いはずですから。

 

8面

女性「九条の会」学習会で「明治大学平和教育登戸研究資料館」に行ってきました

                          

 2015 年10月18日(日)秋晴れの午後、明治大学平和教育登戸研究資料館を訪れました。資料館は緑豊かな広大な敷地の明治大学・生田キャンパスの一画にありました。館長の山田朗教授に出迎えられ、はじめに平和資料館ができるに至った経緯をDVDで視聴したのち、山田朗教授の詳しくわかりやすい解説を受けつつ五つの展示室をめぐりました。
 「登戸研究所」は、1937年11月、「陸軍科学研究所登戸実験場」として開設され、旧日本陸軍が防諜(スパイ防止)・諜報(スパイ活動)・謀略(破壊・攪乱活動・暗殺)・宣伝(人心の誘導)などの秘密戦のための兵器や資材を研究製造するために設置した場でした。電波無線関係、毒物・薬物・生物兵器(家畜を殺したり植物を枯らす細菌兵器など)・スパイ用品、偽札・偽造パスポート製造などを行っていました。
 「登戸研究所」は敗戦の1945年8月に解散し、10月に米軍に接収されました。1950年に明治大学が跡地を購入。51年に農学部移転。2010年に「明治大学平和教育登戸研究資料館」として開館しました。
 秘密裡に行われた研究のため、その存在は隠され、公式の記録は残されていない中で、地元の市民や教師や高校生が、地域の歴史を調べようとした努力により、元研究所所員の証言や手記が明るみに出たことも特徴的です。

◆参加者の感想
・資料館ができたという話は聞いていたが、初めて来てみてよかった。
・山田先生のお話で良く理解できた。展示を見るだけではこれほどわからなかったと思うので。
・2度目だったが展示内容が変化していた。また来たい。
・紙漉きから作った風船爆弾がアメリカに届いたというのがすごいと思った。
・アメリカの牛や穀物を殺す毒薬まで作っているなど、戦争の裏側を見た気がする。

 

◆ 見学について 
  開館時間水曜日~土曜日 午前10 時~午後4時  入場無料
  団体(10人以上)の場合は、見学希望日の一か月前までに電話またはメールで申し込む
  見学者には、必ず説明員が解説してくれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

    


■「女性活躍推進政策」は女性搾取の政策

 女性活躍推進政策は、女性をいい気分にさせるため、「安倍政権って女性の味方」と思わせるための政策では決してありません。「女性活躍推進法案」というものの中味を読めば良くわかります。そこには、なぜ今、日本は女性を活用しなければいけないかということが書かれているのですが、それこそ、強い日本、強い経済を作り出すための成長戦略をより確かにするためで、「日本の基盤をより強固なものにするために女性の力を推進する」と法案に明記されているのです。この法案には、女性のために女性の活躍を推進するのだとは一言も書かれてはいません。女性の人権をよりしっかり確立するために、女性差別をなくすために、女性の活躍を推進するということは一言も書いてないのです。
 ようするに「女性活躍推進法案」は、今までは強い日本を取り戻すために十分に利用していなかったから、「利用資源としての女性をもっと活用する」ための法案なのです。この政策は別名「女性が輝く政策」と言っています。この「輝く」という言葉、英語では「SHINE(シャイン)」ですが、これをローマ字風に読むと「シネ」となりまして、安倍政権の女性政策は、強い日本を取り戻すために女性を死ぬまでこき使うという政策方針であるということが、はしなくも露呈しているということになります。
 同じように「地方創成」も、これは地方の地域共同体の崩壊を食い止めるためということではなく、「強いお国のために役に立つ地域経済に向かってガンバレ」と言っているだけの話です。すべてが強い日本を取り戻すためという方向に焦点を当てているのです。「大日本帝国」を取り戻すために、アホノミクスで「富国」を取り戻し、憲法改正で「強兵」を実現するというこの両輪に乗って「大日本帝国」を実現するという方向で、彼らは物事を考えているのです。ここを我々は見誤ってはいけないと思います。


■富国強兵まっしぐらの安倍政権

 安倍政権の動きについては、「アメリカべったりではないか」とか、「アメリカの言うことは全部聞いている」、「アメリカを喜ばせるために安保法制を進めているのだ」という批判が多いことはご承知だと思います。しかし安倍政権の本心はもっと怖いものなのです。一見、アメリカに言われたから頑張っているように見えていますが、実は彼らは自分たちの「大日本帝国」を立ち上げるために、アメリカを利用しているのだと思います。安倍首相は、第一次安倍政権の時代から「戦後レジウムからの脱却」という言い方をしています。すなわち、「戦前に戻る」ということです。アメリカとの関係は戦後レジウムそのものです。ということですから、戦後レジウムの脱却を掲げる彼は、「アメリカとは仲良くしていれば良い」程度の考えを持つという風に騙されてはいけないと思います。本音のところでは「アメリカとも戦争ができるようになればいい」というところなのかも知れません。というわけで、「大日本帝国」を目指して富国強兵まっしぐらである。それが「取り戻したがり病」に侵されているチーム・アホノミクスの正体なのです。
 その彼らにとんでもないところに連れて行かれるようなことがあってはならない。二度と再び「お国のため」にという言葉に惑わされることがあってはならないと思います。


■正義と平和が抱き合うとき、戦争なき未来が実現する

 正義と平和が抱き合うという言葉はキリスト教の旧約聖書の言葉です。旧約聖書はイエスキリストが出現する前の時代のものですが、その中に詩編という神をたたえる詩が編纂されています。その中に「慈しみと誠が巡り会い、正義と平和が抱き合う」という言葉があります。神の国においては慈しみと誠が巡り会い、正義と平和が抱き合うということです。さらっと読むと「美しい言葉だな」でおしまいになる言葉ですが、冷静になって考えるとこれはなかなか難しいことだと思うのです。神の国ではなく、我々の日常では「慈しみと誠はすれ違う」「正義と平和はいがみ合う」ことが多いことに思い至ります。自分が正しい、自分こそが誠を持っていると思っている人にとって、自分と違う誠を持っている人に対して慈しみ合うことができるだろうか。沖縄の二紙は潰してしまえと言っている人が、そうでない人に対してどれだけ慈しみを持つことができるのだろうか。反対にヤツらに対して我々がどれだけ慈しみを持てるかということでもありますが、人間にとってそれは難しいことなのです。国会でもそうですね。自分の主張ばかりを押し通して「こういう考えはどうですか」という質問には回答さえしません


。■多様性と包摂性が出合うとき、「排除なき未来」が実現する

 包摂性という言葉は日常的に使われている言葉ではないので、「包容力」と置き換えてもいいと思います。図の右上のコーナーは包摂性も高く、多様性にも富んでいます。我々が排除なき未来をつくるために目指す場所です。左上のコーナーは、包摂性はありますが多様性はなく均一性の論理が強くなっています。この場所は実は従来型の日本の経済社会です。日本型経済の特徴として、終身雇用とか年功序列制であるとか、護送船団方式などという言い方もされてきました。それは包摂性が高いと表現していいと思います。最後まで面倒を見ます、最後まで抱き止めてあげましょうというわけです。護送船団方式では、誰も置いてきぼりを食わない、みんなで隊列を組んでいっしょに行きましょうということです。ただし、包摂性の腕の中に抱き止めてもらうためには一つ条件があるのです。あまり人と違うことを言ったりやったりしてはいけない、出る釘は打たせてもらう。その代わり陥没した釘は引っ張り上げて横並びになる、それについてきてもらうことが条件だということです。
 右下のコーナーは、多様性は確保されているけれども排他性が勝ってきます。多様性と排他性が出合う場所です。残念ながら今のヨーロッパがそういう場所になって来ています。ヨーロッパというのは多様性そのものです。さまざまな民族、さまざまな歴史、さまざまな文化を持った国々が集まっています。ヨーロッパから多様性を取り除いたら何も残らないと言われるくらい多様性とヨーロッパは表裏一体の関係です。
 その多様な人々がお互いに抱き止めあいながら生活をしているのなら申し分ないのですが、今のヨーロッパは残念ながらお互いにいがみ合う方向になって来てしまっていると思います。ユーロという一つの通貨を持つという現実、それがあるためにと言うべきかも知れません。
 左下のコーナーは、排他性の論理が前面に出てきるところです。そして均一化の論理もあります。排他性と均一性が出会ってしまう場所です。それが暗黒空間ということになるわけですが、北朝鮮とかイスラム国も入ると思います。ロシアもだんだんそうなってきています。では日本の中にそういう空間はないでしょうか。日本の中の暗黒空間と言える場所は、「ハシズム帝国」、わかりやすく言うと大阪市だと思います。あの人も次第に影が薄くなってきていますが、チーム・アホノミクスの方へ急接近しているので、警戒する必要があると思います。そのコーナーには行きたくないところですが、今の日本は「強い日本・強い経済を取り戻す」「誇りある日本を取り戻す」ということでガンガン行けば、その一番行きたくないところに連れて行かれることになるわけです。


■狼と子羊がともに宿るとき、「共に生きる未来」が実現する

 これもやはり旧約聖書の一節で、イザヤ書の中にあります。「狼と子羊は共に宿り、豹と子山羊が共に伏す。子牛と若獅子が共に育ち、小さき子どもが導き行く」というフレーズになっています。小さき子どもとはイエスキリストの前兆ということになります。この「狼と子羊は共に宿り」は今のグローバル時代を考える上で非常に大事だと考えています。狼は強き者、凶暴なる者のイメージ、子羊は弱き者のイメージです。天の国では、最強にして最大の者と最弱にして最小のものが共に宿る、そして先頭に立つのが幼き幼児であるということです。私はグローバル時代を共に生きるというのはそういうことだと思います。グローバル時代というのは誰も一人では生きていけない時代なのです。「取り戻したがり病」に侵されている人々は、「帝政ロシアを取り戻す」ことによって、「大日本帝国」を取り戻すことによって、自力で最強の者になって生きていきたいと考えているということです。実はこれはグローバル時代を生き抜いていく発想と、最も遠いところにある考え方ということができます。


■「傾ける耳」「涙する目」「差し伸べる手」を持つ

 「戦争なき未来」「排除なき未来」「共に生きる未来」を私たちはつくり出すということですが、女性たちは自ずとこういうものをつくり出す特性を溢れんばかりに持っていると確信しています。それを確実に実現するための三つの道具を用意したいと思います。それは「耳」と「目」と「手」です。
 いかなる耳と、いかなる目と、いかなる手を持っていれば三つの未来をつくり出すことができるのかと言うことですが、我々が持つべき耳とは「傾ける耳」です、人の言うことを傾聴する耳を持つこと、自分とは全く異なる正義を持つ人の意見に対しても傾ける耳を持つ。どんなに遠くにいる人の、どんなに微かな助けを求める声にも耳を傾ける。
 我々の持つべき目は「涙する目」です。人の悲しみに涙することのできる目です。人の痛みを自分の痛みとして受け止めることのできる人でなければ、正義と平和を抱き合わせることはできません。慈しみと誠を巡り合わせることはできない。人の痛みを自分の痛みとして受け止めることができなければ、正義と平和を出合わせることはできない。
 我々が持つべき手は「差し伸べる手」です。人を痛みの淵から引っ張り上げる差し伸べる手です。この三つを持っていれば、「戦争なき未来」「排除なき未来」「共に生きる未来」を確実につくりあげることができるのだと思います。
 「傾ける耳」、「涙する目」、「差し伸べる手」の三つですが、思えばこの三つはチーム・アホノミクスが最も持っていないものということが言えると思います。彼らの耳は「聞く耳持たずの耳」彼らの目は「涙枯れし目」、元々持っていなかったのかも知れませんが…。そして彼らの手は、差し伸べる手ではなく「奪い取る手」です。「取り戻したがり病」の最も怖い点は、間違いなく「奪い取り病」に続いています。誰かから何かを取り戻すということは、誰かから何かを奪い取る、資源を奪い取る、市場を奪い取る、人権を奪い取る、言論の自由を奪い取るというようにさまざまなものを奪い取るチーム・アホノミクスが、我々をとんでもないところに引きずり込もうとしているのです。
 それをみなさまの「傾ける耳」、「涙する目」、「差し伸べる手」によって、彼らの野望を打ち砕いていきたいと思います。


■「戦争法案」衆議院で強行採決!
            
  「安全保障関連法案」(戦争法案)が衆院で強行採決されました。あれだけ多くの批判があり、違憲の指摘があり、安倍首相自身、「国民の理解を得ていると思えない」と言っているのに、この強行採決、まさに暴挙としか言いようがありません。
 ちょうど一五日の午後、世話人会を行っていたのですが、終了後、世話人数人は国会に向かいました。国会前に集まった多くの人々とともに、大声で、「ノー」と叫びました。
 しかし「戦争大好き一味」が国会で多数を占めていることの恐ろしさをしみじみ感じます。自民党の中にも良識派がまだおられると思うのですが、声も出せないようですね、どうすれば、私たちの「戦争をする国になるのはいやだ」の声を政治に反映させるのか、大変だと思います。でも、絶対あきらめないで、声を上げ続けましょう。
 女性「九条の会」も、これまでできることを精一杯やってまいりました。ご報告いたします。

■五月三日、憲法集会
 横浜の臨海公園での大集会に参加しました。天気晴朗ですが、陽射しが暑過ぎて、後ろの方の日陰に、女性「九条の会」ののぼりを立てて、周りの方にちらしをまいたりしました。一人で参加された女性の方とお話をしてお友達となり、会の「賛同者」になっていただけました。この日の模様、朝日新聞で空撮し新聞にも大きく載りましたが、私たち、後ろの方にいましたので、あの写真には写っていません。でもそれは、いかに多くの方が参加したかということでの証明でもありますね。私たちも憲法9条を愛する方が、こんなにたくさんおられる、ということを実感し、勇気が出ました。

■国会まえ行動 六月一八日には呼びかけ人の江尻美穂子さんが国会前でスピーチをされ、六月二〇日の「女の平和行動」には数人が参加しました。 「女の平和行動」は、女たちが赤い色のものを身に着けて国会を
取り巻こうという運動で、第一回は一月一七日でした。一月の時は、女性「九条の会」でなく、個人で参加したのですが、寒風の中七五〇〇人も集まった女性たちに本当に胸があつくなりました。
 二回目のこの日は女性「九条の会」として参加しようと、幟を持って参加。年寄りの多い私達ですので、初めから国会正門でなく、国会図書館の近くの大きな木の下に陣取りました。

 最初人が少なく思え、心配しましたが、猛暑なので、皆さん熱中症を避けたところに避難していた方が多かったのですね。時間になると、国会に包囲(女のチェーン)完成、戦争法案反対、平和が一番と何度も叫びました。チェーンは四回繰り返されましたが、女性「九条の会」のメンバーは最後までがんばりました。この日は一万五千人の女性が参加したと言います。

■諦めるものですか!
 こんなことをしても何になったか、法案は衆院を強行採決されたではないかと言われるかもしれません。でも、でも、だめでもダメでも頑張るしかないと思います。頑張っているうち、若い方の参加がだんだん増えてきたと思います。一五日の夜は若い方が随分みられました。効をそうして反対の世論が強まれば、内閣瓦解だってあるのではないかと思うのです。皆さんできることは何でもやってみましょう。署名、投書、地域の出身議員(与党の人にも)に手紙を出す。やれることはなんでもやりましょう。


■沖縄は頑張っています

 気温三四度、湿度七五%、連日一〇〇名を超える人が二四時間態勢。厳しい中にも時には歌や踊りもあって、楽天的で粘り強い抗議行動を続けています。ゲート前の座り込みは一周年を迎えました。
 他に例をみない悲惨な地上戦、栄養失調やマラリヤで多くの人々を失った収容所での生活。戦後にも続く占領軍による土地の取り上げ。事件、事故、爆音の被害。沖縄では今も戦争というものがよく見えます。だからこそ「命どぅ宝」。「金をもらえば納得する」式の仲井真前知事や百田発言は許すことができません。「オール沖縄」は県民の祈り、怒り、誇りなのです。辺野古新基地は安倍政権の狙う「戦争ができる国」の出撃基地です。
 やんばる統一連は、名護市内で宣伝を続け、全国に向けても発信しています。日を追って座り込みに県外からも参加者が増えています。「戦争法案反対」「人権と民主主義を守れ」と。「オール沖縄」から「オール日本」へ。このたたかいは、必ず勝利します。
 今が踏ん張り時です。                                        やんばる統一連 吉田敬子  

 

■署名に添えられたお手紙より

 署名、いろいろ働きかけてみました。さまざまな反応に力づけれらたり、ビックリしたり、意気消沈したり・・・自分が署名するのは慣れていたのですが、人にすすめるのは、今回初めての体験で、勉強になりました。姪の子供たちが、小4年と1年生が戦争は絶対反対イヤだという思いで署名していたと姪が手紙で知らせてくれました。感激しました。私が通っている体操教室で相手を選んで数人の方に署名をお願いしたのですが、教室の入口にすぐに「特定の政党への勧誘、物品の販売をお断りします」の貼り紙をされ、署名のお願いをやめたとたん剥がされ、疑心暗鬼になる思いもしました。
 いろいろな体験が、私の心の戦争反対への思いへと繁っていくと思います。国会のデモにも3回参加しましたが、行く度に人数が増えているのを心強く思います。集団的自衛権が夏に通ったら、ノーベルに平和賞もダメになるのではと心配になります。一応現在集まっている分だけ送ります。また。ゆっくり署名のお願い続けたいと思います。
                                                        市川市 大崎 美子


■訃 報  北沢洋子さん
 

 女性「九条の会」の呼びかけ人のお一人でいらっしゃった北沢洋子さん(国際問題評論家)が、七月三日にお亡くなりになりました。
北沢さんはお具合が悪かったに相違ないのに、一〇周年のつどいのために、メッセージをお寄せくださいました。、私たちは誠実なお人柄に甘えて、ニュースの巻頭言をお願いしたり、心から頼りにしておりました。またもや、素晴らしい方を失って残念でなりません。
                  

 

 





 

 

 


 

 


 

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