女性「9条の会」ニュース13号 2009年8月1日号 

世界は大きく変化しています

 オバマ米大統領が、プラハで行った演説の中で「核兵器のない世界をめざす」と発言したことは、平和を求める人々に、一筋の光を感じさせたのではないでしょうか。
 ラテンアメリカでは、2004年に南米首脳会議が開かれ、「南米共同体」の設立を宣言しました。ラテンアメリカ・カリブ海地域の三三カ国のうち、40%がアメリカいいなりを拒否し、南米共同体をつくることで紛争の平和的解決と、主権尊重の憲章を土台にした地域共同体をめざしています。
 アジアでも、「東南アジア諸国連合」(ASEAN)は、2015年をめざして「東南アジア共同体」づくりの憲章に合意しました。また、武力によらない平和づくりをめざす「東南アジア友好協力条約」(TAC)に、2008年にEUと北朝鮮が加入し、アメリカも加入の意思を表明しました。この条約の最大の特徴は、「武力による威嚇または武力行使の放棄」や「紛争の平和的手段による解決」、つまり戦争放棄を定めた日本国憲法と共通する目標を明記していることです。TAC加盟国の人口は、世界人口の68%を占め、いよいよ世界の平和秩序が無視できなくなっています。
 こうした中、世界でもっとも平和をめざす憲法をもつ日本では「海賊対処法」が成立し、自衛隊は海賊への危害射撃(警告射撃や威嚇射撃に従わず接近する海賊船を停船させるため、人に危害を加える)と船体射撃の権限を与えられ、さっそく第二陣がソマリア沖へと出発して行きました。実弾を使った戦闘行為がソマリア沖で行われる可能性があるのです。「武器輸出三原則」の緩和も論議の対象になってきました。
 このような日本国憲法の骨抜きを私たちは許すことはできません。
 九条の会の運動は来年発足六周年を迎えます。いま全国には7443の「会」が活動をしています。平和を愛する世界の人々と手を携えながら、九条の会がもっともっと広がっていくことを願わずにいられません。

憲法違反じゃないの?「『武器輸出三原則』の緩和」

 

 政府は今年5月23日、武器や武器技術の輸出を禁止する「武器輸出三原則」の緩和を検討する方針を固め、年末に改定する予定の「防衛計画」の大綱に、他国との武器の共同開発・生産の容認や、共同開発国への輸出の解禁を盛り込むとしています。(日経新聞2009.5.24より)
「武器輸出三原則」は、日本の軍需産業が国際的な武器開発に参入することを阻んできました。この制限のため、国内で生産される武器は、自衛隊による使用に限られてきました。そのため、大量生産することのできない日本の武器は生産コストの高いものになっていました。それでも政府は軍需産業の発展を長期にわたって重視し、防衛省は毎年、一定量の契約を企業と結び、市場価格より30%前後高い価格で製品を買い取ってきました。また軍需品の生産を多くの企業に分散させることで、軍需品生産の経験と技術を多くの企業に蓄積させ、必要時にはすばやく生産に取りかかれることをもくろんでいたものと思われます。
 契約の内容については、三菱重工業を例に取ると、 地対空誘導弾パトリオット、護衛艦、潜水艦、F-15J/DJ近代化改修、新弾道ミサイル防衛用誘導弾(その3)、90式戦車、04式対空誘導弾、UH60J救難ヘリコプターなど、ものものしい兵器名が並んでいます。(防衛省資料)
 いくら量産することでコストが安くなっても、「平和憲法のある国」日本が、武器輸出でもうける「死の商人の国」になっていいのでしょうか。

こんな企業も軍需品生産にかかわっている
  防衛省の『中央調達』(2009年6月15日号)と、自民党の政治資金収支報告書(2008年9月12日官報)を
もとに『2008年度防衛省契約上位15社』についてのデータを作成しました。(献金額は判明した分のみ記載)


 
  

年間100億円以上の武器が廃棄されている
 財務省の09年度分「予算執行調査」の結果が発表されましたが、(2009.7.3朝日4版1面)それによると、最新の武器への更新期間が短すぎるため、更新前に購入した1発約1千万円のロケット弾を使い切ることができず、購入量の約4割にあたる約1000発(100億円分)が不要になり、これを廃棄するために、さらに6億8千万円かかることがわかりました。軍備を否定する日本国憲法下にあって、膨大な税金が軍需費に使われ、しかもズサンな計画で廃棄されている事実には腹が立つばかりです。

4面
映画のご紹介  羽田澄子監督のドキュメンタリー映画「嗚呼 満蒙開拓団」


 女性「九条の会」の呼びかけ人のお一人で、ドキュメンタリー映画監督・羽田澄子さんの演出による、2008年東京国際女性映画祭オープニング作品です。 日本政府の国策で、中国大陸の旧満州・内蒙古へ入植させられた“満蒙開拓団”と呼ばれる日本移民たちは、終戦時の混乱で帰国できず、自力で満州の奥地からの避難を余儀なくされました。彼らの壮絶な戦争体験を数々の証言と共に描いた作品です。岩波ホールでの上映は終わりましたが、これから全国各地で上映が予定されています。まだ予定のない地域では、ぜひ皆さまのお力で「上映運動」をされることをお勧めします。

九条の会からのおしらせ
今年は「全国交流集会」「ブロック別交流集会」に!
 九条の会では、今年は全国1箇所でおこなう「全国交流集会」とはせず、かねてから要望が出ているブロック別の交流集会として、活動の濃密な交流をめざします。
 具体的には、「九条の会」と都道府県の「会」が協議しながら、合意ができたところから順次開催することとします。

加藤 周一さんの志を受けついで  九条の会講演会より
6月2日、九条の会の発足に大きな力を注がれた加藤周一さんの志を引き継ごうと2000人を超える人々が日比谷公会堂を埋めました。九条の会の呼びかけ人など多くの方々が語られました。 その中で澤地 久枝さんは、「九条の会というと、実際には戦争体験がある人が、地域で一生懸命『会』を守り育てている。若い人の関心が薄いと嘆く声もあるけれど、今から約60年前の澤地久枝も聞く耳をもたない人間だった。私は追体験で勉強してきて、今では絶対に戦争をしてはいけないという信念をもっている。そのように考えて、ムキになってものを言おうとしている人間と、あの人たちは何であんなふうに一生懸命やっているのだろう、ご苦労なことだと思っている若い人たちの間に、橋をかけなくてはダメだ。加藤さんは、晩年に、下関に行って大学生たちと話をしたらちゃんと話が通じた。次の年は早稲田に行って学生との交流会をお持ちになった。若い感性というのはゆさぶれば分かる。そうしたわかる言葉で働きかけていけば私たちの思いが伝わる」と挨拶。 加藤周一さんのパートナーである矢島翠さん(元共同通信記者)は「21世紀になったとたんにアメリカで『同時多発テロ』が起き、『テロ対策特別措置法』ができて、アメリカが始めたイラク戦争を援助するということが始まった。それを見ていて加藤はたいへん危機感を持ち、日本の憲法こそは人類の理想の先取りだと信じていたから、『九条の会』のアピールでみなさまに呼びかけ、5年前の6月に九条の会が発足した。
 そこから加藤の人生は大きく変わって、物書きのエゴイズムから抜け出し、『九条の会』を広げる運動、既成の団体に寄りかかるのではなく、一人ひとり、生きて、暮して、ものを考える、そういう人たちが手をつないで、ゆるやかなネットワークをつくる、そういう運動に情熱を傾けた。その最初のねらいはまず達成できたのではないかと思う。」と話されました。
 加藤さんの志を受け継いで、九条の会運動の広がりをさらに大きなものにと願わずにはいられません。