女性「9条の会」ニュース53 号 2022 年4月号

 

1面  

  憲法をいかし、軍事費を削り社会保障の充実へ                                                                     

                                             今野久子(弁護士)  

■困窮する低年金の女性高齢者


 年金しか収入がなく、それで暮らす高齢者世帯は約6割。国民年金のみの受給権者(納入期間 年以上)の年金は、男性平均5万4014円(月額)、女性5万0015円で4万円未満が %を占める。国民年金は、  年間支払い続けても、年金支給額は月額にして約6万5000円で、生活保護の生活扶助額にも満たない。厚生年金受給権者の平均支給額は月額 万6162円(基礎年金を含む)だが、男性は 万4770円、女性は 万3159円で、実額で6万円も女性は低い。こうして女性の年金受給権者のうち月額 万円未満が %を超える(厚生労働省「令和元年度厚生年金保険・国民年金事業の概況」より)。さらに、最低保障年金制度もないため、無年金者が数十万人もいる。

■単身高齢女性の二人に一人が貧困

 高齢になるにともない、貧困率は高くなる。唐鎌直義元立命館大学客員教授は、高齢者のいる世帯の約4分の1が実質生活保護基準以下の貧困状態にあり、なかでも、女性単身世帯では2人に1人と突出している(2016年現在)と分析している。低年金者が女性に集中しているからである。

■社会保障の後退を許さない幅広い議論を

 安倍・菅政権は低年金の構造的原因にメスをいれることなく、マクロ経済スライドを実施するなど、年金引き下げを強行してきた。このままでは高齢者の命綱は細るばかりである。
 日本も批准している社会権規約は、社会保障の権利の後退的措置は、利用可能な資源を最大限利用してもそうせざるを得ないときに限られ、その必要性や正当性は国が主張し、立証しなければならないとしている(2条、9条、解釈基準となる一般的意見 等)。この「社会保障の後退禁止の原則」は、国際的に確認されたルールである。日本の憲法 条も、1項で国民に「健康で文化的で最低限の生活」を保障し、2項では、国が社会保障などの向上・増進に努めなければならないと定めている。年金や社会保障を切り下げることは、よほどの理由がなければ違憲ということになる。
 日本の軍事予算は毎年膨張し、2022年度予算では、補正予算をあわせると6兆円を超えた。さらなるアップや核共有の議論まで出てきている。
 いまこそ、市民が「憲法をいかし、軍事費を削り社会保障の充実へ」という声をあげるときと思う。昨年全日本年金者組合が「最低保障年金制度実現への提言」(第3次)を発表し、年金制度の抜本的な改革を提起している。財源も含め具体的である。これをきっかけに、誰もが安心して生活できる社会実現のための幅ひろい議論が進むことを願い、参加したい。私も弁護団の一員である年金引き下げ違憲訴訟も正念場を迎えている。司法が、国際人権法と憲法に基づく判断をするよう、原告団へのご支援を切にお願いします。

                                           
 
                                       

2面〜8面             女性「九条の会」学習座談会報告 
                      
                                
日時 2022年2月19日  於 市川房枝記念館

                        
     いま、市民が政治を変える時─衆院選を振り返って
           
             講師 上西充子さん

                    

■選挙結果をどう見るか


 公示前は、自民党は惨敗するのではないかと言われていたのに、惨敗というほどではなく、むしろ立憲が議席を減らしたことが注目され、野党統一候補を出したけれどもダメだったではないか、これをどうみたらいいのだという話になり、混迷している状況だと思います。
  立憲民主党の枝野幸男代表は、共産党には「限定的な閣外からの協力」をしてもらうという言い方をしていました。「政権交代で立憲民主党が与党になったとしても共産党は『閣外』です。共産党には大臣に入ってもらうことは考えてない。今の公明党は内閣に入っていますがそういう形にはしません」ということだったのですが、なおかつ「限定的な」という慎重な言い方もしていたのだけれども、それが伝わりきらないところがあったのでしょうし、共産党の方は「政権交代を始めよう」と言っていましたから、それが「共産党と政権交代するの?」と受け止められる向きもあったのではないかと思います。自公側は「立憲共産党」という言い方をして、選挙のときに危機感を煽ったのです。
 東京9区の山岸一生さんの対立候補が、練馬駅前で演説をしたときに、岸田首相が来て応援演説をしました。練馬区長も来ました。練馬区では菅原一秀さんが蟹やメロンを贈った問題で辞めて、自民党候補が立ったわけですが、「今まで守ってきた自民党の地盤を野党に奪われたらどんなことになるか、練馬は大変なことになります」といった演説を練馬区長がしたのです。そういう中で「立憲共産党」というネガティブキャンペーンが張られたのです。「立憲共産党」というような言い方をする人たちに対して、批判が集まってもおかしくないのですが、そういう言い方が普通に選挙カーの上で口にされるような衆議院選挙だったのです。その中で自民も立憲も共産も議席を減らしたのです。その後、野党側からも、こうだったからダメだったのではないかというようなことがたくさん出てきて、その中の一つが「ジェンダー平等」でした。

■「ジェンダー平等」は 余裕のある人の趣味?


 米山隆一さん(野党側無所属議員)は、「私はジェンダー平等や気候変動も出し続けていいと思います。但し出す順番としては①経済②福祉③ジェンダー・気候変動だと思います。③を1番に打ち出すと、「余裕のある人の趣味」に見られてしまうので。又①②についても『人に優しい経済、人に優しい福祉に改革する』という打ち出しだと思います」とツイッターで発言しました。
 でも、ジェンダーや気候変動を一番に出していたかというと、出してはいないのです。それでもこういう書き方になってしまうわけです。
 また、立憲民主党の辻元清美さんが落選しました。フラウの記事によると、選挙後、「あんな女の集会をやっているから」などという声を浴びせられたそうです。「ジェンダー平等という政策はなかなか有権者に届きにくかったし、むしろ反発される感じもあった」とも語っておられます。また、「維新は自公政権批判はせず、徹底的に私を攻撃することで、野党が野党を叩くという構図をつくりました。鈴木宗男さんは、辻元は『頭に虫がわいている』『人でなし』と いう内容をマイクでがなり、吉村さんからは『辻元は何も仕事していない』などと個人攻撃を受け」たそうです。選挙カーからそういうことをあからさまに言われる状況になっていたということです。しかもそのようなことを言う人に批判が向くのではなく、辻元さんが落ちてしまったのです。
 一方で、打越さく良議員(立憲民主党・参議院)は、「女性議員は女性政策に逃げ込まず、外交や安全保障、経済政策など骨太の政策に自ら取り組んでいくべきだ」との山尾志桜里さんの発言に対して、「ジェンダー平等は、『逃げ込む』ニッチななにかではない。差別解消、人権、個人の尊厳
に 関わる問題であり、教育、社会保障、環境や外交や安全保障、経済政策など「骨太の政策」である。その点SDGsを通じて知られてきたし、コロナ禍でもあらわになった。しっかり取り組みます」とツイッターで語りました。
 こういうふうに語るのって大切だと思うのです。同性婚や選択的夫婦別姓をめぐる問題もあるけれども、男女の賃金格差や、非正規であるためにコロナで職を失うこと、住まいのことなど、いろいろなところでジェンダーの問題は絡んでいるのだということが、なかなか伝わらなかったということもあるでしょうね。

■街頭で語られたジェンダー平等


 東京 区では立憲が出ませんでした。公明党が出て、連合が公明党を推薦した地域です。野党統一候補である日本共産党の池内さおりさんが出られて「今こそジェンダー平等を!#東京 区から切り拓こう」と、仁藤夢乃さんとともに赤羽駅前でトークを行い、「子どもや女性に困難を押し付ける政治を変えよう!」と語りました。私はこのトークを見に行ったのですが、池内んは自らの体験を語りながらジェンダーの問題を訴えましたが、女性も男性も周りに集まって聞いていました。いい雰囲気でした。選挙という場で、駅前でやることによって、ジェンダーの問題を女性以外にも耳を傾けてもらえる空間ができたというのはすごくいもしないでいると自由や権利はなくなってしまう。「不断の努力」が連綿と続けられていくためには、自分が努力し続けるだけではなく、あたらしくその動きに加わる人が次々と生まれてくることが必要です。
 若手の候補者が新たに国会議員となって育っていくとともに、若い市民が、 政治を自分ごととして感じ、選挙にかかわり、投票すること。そのことによって、日本の民主主義の流れに新しい要素が加わり、緩やかに新陳代謝が進み、活性化されていく。その、日々新しく更新され続ける流れが、「不断の努力」の連なりを生み出していくのだと思います。
 そう考えたときに池内さんと仁藤さんのように、駅前でジェンダーや性暴力の問題を大っぴらに語る、それによって初めて、これまで政治に関わってこなかった人たちに、関心を持つきっかけを持ってもらう、そして、「自分たちが関わることによって政治は変わっていくのだ」という手応えを持ってもらうことは、とても大切なことだと思うのです。池内さんは当選しませんでしたが、こういう活動を選挙中にすることによって、新たにそういう問題に関心を持つ人が生まれるし、関心を持っていいんだと思う人も生まれる。そういう機会があったことは、ジェンダーの問題を少しずつ争点化していく大事な一歩だと思うのです。

■選挙後の動き ─共闘の見直しか継続か


 衆院選直後の共同通信の世論調査で、野党共闘を「見直したほうがいい」が61%という結果が出るなど、やはり見直したほうがいいのかなという機運が作られているようですが、これは野党支持者の調査結果ではないのです。野党支持者に聞いたら「見直し」は何%になるか、多分過半数に行かないのではないでしょうか。「見直し」というのも微妙な聞き方だと思うのです。「もっと強化を」であっても「もう解消したほうがいい」であっても「見直し」になってしまうじゃないですか。
野党共闘に賛成か反対かと言うならわかるのですが、「見直し」と言ったら「見直し」という割合が高くなってしまうのだろうなと思います。
 その後、立憲民主党と共産党の関係 衆院選直後の共同通信の世論調査で、野党共闘を「見直したほうがいい」が %という結果が出るなど、やはり見直したほうがいいのかなという機運が作られているようですが、これは野党支持者の調査結果ではないのです。野党支持者に聞いたら「見直し」は何%になるか、多分過半数に行かないのではないでしょうか。「見直し」というのも微妙な聞き方だと思うのです。「もっと強化を」であっても「もう解消したほうがいい」であっても「見直し」になってしまうじゃないですか。
野党共闘に賛成か反対かと言うならわかるのですが、「見直し」と言ったら「見直し」という割合が高くなってしまうのだろうなと思います。
その後、立憲民主党と共産党の関係が難しい動きになってきています。連合の芳野友子会長はかなり共産党と距離を置く発言を繰り返しています。立憲民主党と国民民主党の連携について、11月28日のBS番組では、立憲民主党が11月30日に選出する新代表に共産党と選挙協力をしないよう求める考えを示しました。「連合と共産党の考えが違う。立民と共産党の共闘はありえない」と述べたそうです。
 一方共産党の志位和夫委員長は、立憲民主党の代表選で泉健太さんが新代表に選出されたことについて問われ、「心から祝意を申し上げる。野党共闘を力を合わせて前進させたいと願っている。参院選に向けた話し合いをできるだけ早く進めていきたい。共闘は、参加する政党の対等平等、相互尊重が大事であり、参院選協力の不可欠の前提になる」と語っているのですが、泉新代表の方はむしろ離れて、共産との協定は「一方だけが有効と言い続けてもあまり意味がない」とテレビ番組の中で述べています。これは 関西テレビの2021年11月30日の番組の中での発言です。キャスターが「今回、安全保障法制を廃止するなどの政策協定を共産党と結んだり、限定的な閣外協力をすると合意した。衆院選が終わったら、全てちゃらにしますとは、合意文書には書いていない。共産党の小池氏は、閣外協力について、『私たちは 超の小選挙区で立候補を 取り下げたので立憲にも誠実な順守を強く求めたい』と言っている。 こうした政策協定や閣外協力についてはどう考えているのか」と問うたのに対し、泉代表は、「今回の選挙で協力をしていただいた各党のみなさんには感謝しています。一方で書いていないから順守ということではない。協定ですから両者の合意があって初めて成り立つ。一方だけが有効だと言い続けてもあまり意味がないのかなと。各政党が今回の選挙結果を受けて、さまざま反省をしたり検証をするのは当然です。何かしばろうとか、そういう関係になってはいけないのかなと思います」と答えています。

■参院選に向けた連合の基本方針案


 年が明けて2022年1月21日の朝日新聞には、連合が夏の参院選で支援政党 を明記せず、政党と政策協定も結ばない基本方針案をまとめ、加盟組合に伝えたとの記事が出ました。2月中の正式決定を前に、部外秘の方針案が新聞社に漏れたもののようです。
 組織内候補以外の候補者の推薦基準には、「目的が大きく異なる政党や団体等と連携・協力する候補者は推薦しないという姿勢を明確にする必要がある」との表現が盛り込まれていました。
 推薦決定後も「推薦候補者としてふさわしくない事柄が明らかとなった場合には、取り消しを含む厳正な判断・対応を行う」とし、共産と連 携や協力をする候補者は支援しない 方針が明示されていました。
 この報道に対して、JAM(ものづくり産業労働組合)の安河内賢弘会長は同日に「これはさすがに誤報です。立憲・国民両党の支援は変わっていませんし、野党候補の一本化を真っ向から否定する方針でもありません。そもそも方針決定していません」とツイッターで反応しました。しかし私は「これはさすがに誤報です」という言い方はやめてほしいと思っています。
 方針案が外に漏れた、その方針案の中身そのものを安河内氏は否定していないのです。でもその方針案に賛成ではないのです。彼は芳野さんの動きを止めたくて、こうツイートしたのでしょう。けれども「誤報です」と言ってしまうと、朝日新聞の信頼を棄損してしまいます。

■立憲民主党の衆院選総括

 他方、立憲民主党の衆院選総括はどうだったのでしょうか。1月25日の当初案では、「共産党との連携を理由に(接戦区での)投票先を立憲民主党候補から他候補に変更した割合が投票全体の3%強となっており、接戦区の勝敗に影響を与えるだけの程度を示している」としていましたが、 日に変更された後は、「今回の選挙における1万票以内の接戦で惜敗した選挙区は を数える 。接戦区で競り負けたことは今回の選挙における検証課題の1つであるが、選挙後に行った接戦区対象の分析調査からも、期待した成果までは得られなかったことが示されている。一本化における一定の成果は前提としつつ、より幅広い集票につなげていくことが必要である」という表現になりました。つまり、共産党と組んだから負けたというニュアンスの表現は姿を消しています。

■地域の力で


 衆院選の際 、立憲民主党は共産党と連合の間をどうやって舵取りをしていたのかというと、東京9区の応援演説で安住淳国対委員長は、「やじろべえのように……」と表現していました。ようするに、右手で連合と手をつなぎ、左手で共産党と手をつなぐ。一緒に応援してください、というわけにはいかないけれども、両方とうまくやっているという話でした。ですが、その後にいろいろな声が出てきたということでしょう。しかし、芳野さんがどう言おうと、志位さんがどう言おうと、それはトップの人の発言であって、各選挙区の事情はそれぞれ異なるのです。
 東京8区では立憲民主党の新人の吉田はるみさんが当選されたわけですが、今回の衆院選ではれいわ新選組の山本太郎代表が出馬表明しました。彼は立憲の事前了承を示唆していましたが、吉田はるみさんの支持者は、地元で結束して行動を起こし、山本代表は8区での出馬を撤回。結局、れいわと共産党は候補者を取り下げ、吉田さんが野党統一候補として一本化されました。ここからわかるのは、仮に上の方で何かを考えたとしても、地元の人が吉田さんを強く推している状況があったから、吉田さんは降りなかったのだと思うのです。地元の人達が候補者をしっかり推していくことは、影響力を及ぼすと言えると思います。
 地元で推された野党共闘の候補者は東京では票を取っていて、都内の小選挙区当選者は4人から8人に増えました。吉田はるみさん(東京8区)・山岸一生さん(東京9区)・鈴木庸介さん(東京 区・比例当選)の3人が新人で議席を確保しました。

 この写真は石神井公園駅です。山岸一生さん(立憲民主党)の得票報告会にいろいろな人が集まっているのです。この日は選挙最終日ではなく当選した後の 月1日の報告会なのです。はじめはあまり人はいなかったのですが、話し始めると駅前を歩く人が足を止め、どんどん増えてきていました。いろいろな政党や無所属の人たちが協力して、統一した候補を出すということは意義があったということだと思うのです。 

■参院選に向けた連合の基本方針正式決定


 連合の基本方針案は、2月中旬に正式決定を目指すと、前に見た記事に書いてありましたが、その正式決定が2月 日に行われました。変わった部分を見ると、支援政党を明記しない方針はそのままなのだけれども、「立憲、国民民主それぞれと引き続き連携をはかることを基本」とするという文章が加わりました。そして「基本政策が大きく異なる政党と連携・協力する候補者は推薦しない」と明記しました。これは維新や共産党を指しているものとみられています。
 連合本体としては共産党と連携するのも、維新と連携するのも良しとしないということでしょう。続いて「ふさわしくない事柄が明らかになった場合には、地方連合会の申請にもとづき、推薦取り消しを含む適正な判断・対処を行う」としています。これはつまり、地方連合会が認めれば推薦取り消しはしないということであって、地元の意見を尊重してほしいという連合内部からの意見を取り入れて修正したと読み取れるのです。
 立憲民主党の衆院選総括にしても、泉執行部に対する内部からの意見によって「共産党と組んだから」と言わんばかりの表現が姿を消したわけですから、「トップの首をすげ替えなければダメだ」と考えるのではなく、中から少しずつ変えていく、地元は地元で動くというふうに、徐々に軟着陸する形になってきているのかなという気がしています。
 そうであるならば私達にできることはなんだろうと考えると、「地元の力」のようなものをどうやって高めていくかということなんだろうと思うのです。

■言葉が、ものの見方を枠づける


 国会のやり取りと団体交渉は似ているところがあります。団体交渉でも、
労働組合が何かを要求しても、相手は「わかった」となかなか言わないわけです。国会でも、野党がまっとうな批判をしても、簡単には事態は動きません。それでも変わるときがあります。野党の議席の数が少なくても変わる時があるのです。それはその議員らの背後にいる人達の動きが重要なんだろうと思うのです。テレビや新聞が報道したり、デモが行われたり、いろいろなところで学習会が行われたりする。それらの動きを通じて、問題が広く世の中に注目されて政府与党が押され気味になって、はじめて相手は妥協するわけです。 その人達の力が小さくなってしまうと、政権の支持率も落ちなくなり、無視されることになります。
 しかし今は、野党のやっていることに注目をしないような世論を、わざと作り上げようとしている感じがあります。「野党は反対ばかり」「野党は批判ばかり」などと言われることが少なくありませんが、そういう言い方では野党側の論理が見えて来ません。実際には、野党は「そのような説明では、説明責任を果たしていない」「そのような違法は許されない」というように理由があって異議申し立てを行っているのですが、それを「反発」といった言葉だけで表現してしまうと、まるで野党が理由もなく、感情的にさわいでいるような印象を与えてしまう。「野党は反対ばかり」「野党はだらしない」といった表層的な見方を強化することに加担してしまいます。
 そのような認識が浸透していくと、対抗勢力は育たず、政府与党の勢力が維持される事になります。
 一例として、代表質問終了時の時事通信の記事を見てみます。
  岸田文雄首相の施政方針演説に対 する各党代表質問が 日終了した。 論戦では政府の新型コロナウイルス 対応をめぐり、野党から厳しい追及 が相次いだが、首相は用意した答弁 書を淡々と読み上げるなど守勢を貫 いた。質問と 答弁がかみ合わない 場面も多く、野党は攻めあぐねた。 (時事通信、2022年1月 日)
 余裕の横綱と力なくそれに向かおうとする体の小さな力士といった感じの表現です。この表現では、質問と答弁がかみ合わない場合も多いのは誰のせいなのかに触れていません。「質問と答弁がかみ合わない」のと、「答弁が質問とかみ合わない」のとでは、意味が違うのです。「何か訳のわからない事を言われたけれど、この場をうまく収めよう」 のようなやり取りは前者でしょうけれども、「こういうことを言われても答えたくないから、話をそらしてしまおう」は後者ですね。だから、こういう言い方だと、どちらの側が問題なのかわからない。「攻めあぐねた」のような書き方では、野党のほうが問題であるように見えてしまいます。
 時事通信の記事を続けて見てみます。

 小池氏は、沖縄県の米軍基地周辺でコロナ感染者が急増したことを受けた日米地位協定の改定を要求したが、首相は「考えていない」と一蹴。
 野党からは首相の看板政策「新しい資本主義」に関する質問も相次いだが、首相は施政方針演説の内容をなぞるだけで踏み込んだ説明を避けた。 
 挑発めいた質問にも色をなして 反論する場面はなかった。安全運転の答弁に徹するのは夏の参院選を見据え、失言のリスクを極力回避する狙いもあるとみられる 。
  自民党のベテラン議員は「首相の答弁は安定していて良い」と評価した。

 「首相は非常に冷静であって、小池晃さんは挑発しようとしたけれども、失敗しましたね」といった調子の表現ですね。「挑発めいた」とか「色をなして」とか、「攻めあぐねた」とか…。
 さらに、「野党は批判を強めている。 日に質問に立った立憲民主党の泉健太 代表は 日の記者会見で、『事前に質問原稿があって答弁を書けるわけ だから、かみ合う答弁になるように改めてほしい』と注文した。小池氏も会見で『こちらの聞いていることに全く答えない』といら立ちをあらわにした」 と続きます。あたかもあの人達は感情的だと言わんばかりの表現ですね。 まっとうな批判をしているというよりも「噛み付いて」とか「苛立った」とか「攻めあぐねた」とか、とにかく「引ずり下ろそうとしているのだが失敗している」みたいな言い方が国会を巡る政治報道ではよく見られます。

■野党の仕事は批判をして、政権に正しい仕事をさせること


 立憲民主党の小川淳也議員が、ユーチューブで与党と野党の仕事の違いを、このように語ったことがあります。政権与党の仕事は野球でいうと守備であって、守備に就いて国民生活を守ることである。一方、野党の仕事は国民生活が被害を受けないように、 守備の粗(あら)を見つけて、 守備位置を整えさせるプレッシャーをかけることである、と。
 そういう意味では、批判をすることはとても大切なのです。但し、批判の言葉が、「一方的な吊し上げ」とか、「またか」みたいに思われてしまう面もあるのです。

■挑発合戦から意図しない戦争へ


   でも低いからといって戦争が起こらないかというとそうではありません。実際に戦争をするつもりはなくても、今米中はお互いに軍事的に相手より上に立とうと、ナショナリズムを煽って競争しあっているわけです。先日も南シナ海で日本、アメリカ、イギリス、オランダなどで共同訓練を行いました。それに対抗して中国は台湾に戦闘機を飛ばしました。更にその後、中国軍とロシア軍の艦隊が津軽海峡を越えて日本を一周するような行為をしました。お互いに相手がやるならこちらもやりかえすと挑発しあっています。お互いが一歩も引かない。お互いに戦争をする気がなくても、そういう軍事的挑発をしあっているとなにかのきっかけで偶発的な衝突が起こったり、意図しない戦争が起こったりすることもあり得るのです。歴史を振り返ってもあるわけです。第一次世界大戦も一発の銃弾から大戦争に発展したわけです。そういう状況にかかっているというのが今の状況です。    今日本政府がやっていることは、抑止力という名のもとに、とにかく中国に対抗している。訓練をしたり、ミサイルを配備したり。そうやっていくと軍拡競争に陥って、挑発合戦に陥ってそのまま行ったら戦争が起きてしまうリスクが高まっていくと思います。 。

■「安倍やめろ」は怖いと思う人が少なくない

 
 だから新しい人達に届く言葉に変えていくことも大切だと思うのです。 従来型の「断固として抗議する」「〇〇反対」「・・・・は許されない」というような言い方が市民運動の中でもよくありますが、そういう言葉では新しい人にはなかなか届かない。「あの人達はああいう人達」のように受け取られて距離感が出てしまいがちです。「安倍やめろ」というコールをしていた人たちに対して「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と都議選最終日に、秋葉原で安倍首相が言い、「こんな人たち」という言い方に批判がわきましたが、「安倍やめろ」のような言い方では、忌避されてしまう状況があるのではないかとも思うのです。
 国会前などで、若い人たちが様々な言葉で訴え、若い人の心を掴んできました。
「言うこときかせる番だ、俺たちが」
「なんか自民党、感じ悪いよね」
「民主主義ってなんだ? これだ!」
 シールズの奥田愛基さんは 「困難な時代にこそ希望があることを信じて、私は自由で民主的な社会を望み、この安全保障関連法案に反対します」と安保法制の際に、参議院公聴会公述人意見陳述で述べました。

■素直な気持ちをツイッターで表現


 2018年4月、財務省のセクハラ問題で、麻生太郎大臣が「はめら
れた可能性がある」と言いつのったことがありました。それは他の人が声を上げようとするのを黙らせようとねらったのではないかと思います。それでも「# Me Too」「# With You」や「#私は黙らない」を掲げた集会がおこなわれました。「私は黙らない」というのはいい言葉だなと思います。
 2020年の検察庁改正案のときに大きな力を持ったのがツイッター
です。笛美さんは「1人でTwitterデモ」と名付けて
  右も左も関係ありません。犯罪 が正しく裁かれない国で生きてい きたくありません。 この法律が通っ たら『正義は勝つ』なんてセリフ は過去のものになり、刑事ドラマ も 法廷ドラマも成立しません。 絶対に通さないでください。

という言葉とともに「#検察庁法改正案に抗議します」と書いたのです。これって「安倍やめろ」とはだいぶ雰囲気が違いますよね。この方は本を書いておられて、その中で政治に関心を持ったときに、ツイッターで「安倍は辞めろ」と自分も書いたこともあるけれど、やってはいけないことをやってしまったような後ろめたい感じがあったと書いておられて、その違和感に、広告業界の人間として、向き合われたのです。
 その上で、この検察庁法改正の問題はとんでもない問題だと思ったときに、それをとんでもないとは思っていない人に伝えるためにはどうしたらいいのかと考えて、表現を工夫した。届けたい相手は「うさぎさん」、つまり政治に声を上げてこなかった人と想定した。「なんかおかしい、でも声を上げたら嫌なことが起きてくるのではないか」とか、「あんな言い方ってどうかな」とかと思っているような人たちへの口調として、「うさぎさん」の言葉で話す。その人達が素直に受け入れられる言葉で、今起きていることに対する自分の意見を伝える。だから「こんな暴挙は許されない」という言い方ではなく、「これはおかしいと思う」という自分の素直な言葉として書いた。そういう言葉だからこそ、リツイートがされるのです。「安倍首相のこんな暴挙は許されない」と書いたら、「そうだそうだ」と思う人もいるけれども、「許されないとまで書いてあるものを私がリツイートしたらどうなるだろう」とためらう人もいるのです。だからこのような言い方の工夫って大切だと思うのです。

■国会パブリックビューイング   ~立ち止まれる空間を作る~ 

  この写真は、2018年11月18日に新宿南口で、国会審議の街頭上映を行ったときのものです。入管法改正時のものですが、歩道にスクリーンを設置して、国会で起きていることをそのまま伝えて、国会を市民が監視する活動を起こしたのです。私がパブリックビューイングを行ったのは、スピーチ型の市民活動と違うことをやってみたらどうかと考えたからです。国会の実情について、あえて「反対」は表に出さないことによって、立ち止まって見てもらう事を考えたのです。これも市民運動なのです。

■映画「香川1区」から学ぶ

 大島新監督の「香川1区」という映画をぜひ御覧ください。この映画は「香川1区」での、昨年の衆議院選挙の活動の様子が描かれているドキュメンタリーです。この映画に出てきますけれど、小川淳也さんの事務所は青い鳥をたくさん窓に貼り付けたりして、開放的で明るい雰囲気にしました。公選はがきも爽やかな写真のポストカードのようなものを使うというような工夫を行いました。
 相手候補は地元支配を続けてきた自民党の平井卓也さんです。その中で、地元で声を上げにくかった人たちの声を集めることに成功した物語なのです。
 映画では、選挙で小川淳也さんが町を自転車で走ったり、選挙カーで通ったりすると、手を振る人が大勢出てきます。前作で描かれた2017年衆院選の際は知らん顔をしている人達が多いのですが、今回は道路整理をしている人まで手を振るのです。それは地元の人達が変わったということもあるのでしょうが、選挙の雰囲気が変わった事が大きいのではないかと思います。「関わっても大丈夫だよ」という機運が高まってきたということだと思います。この変化はすごく意味があるのではないでしょうか。
 小川淳也さんは、前回は僅差で負けたのが、今回は2万票ほど差をつけて当選しました。今回の沈滞したような動きの中でも、こういう動きもあったのです。こういう動きを、次の参議院選挙にうまくつなげて行けるかなという期待もあると思うのです。