女性「9条の会」ニュース5号 2007年2月号

 国民投票法案」は改憲の入り口 

  2月27日、柳沢伯夫厚生労働大臣の女性蔑視発言で、人々の怒りは沸騰。
  基本的人権の軽視、平等感覚の不在、男女を問わず人間を働く機械とみなす格差社会、おぞましい戦争の記憶等々、受け取るイメージはそれぞれに違っても、安倍内閣の求心力は確実に下がりました。
 教育基本法改悪に反対する市民や政党の声を無視して、政府与党は昨年暮れに改悪を強行に採決しました。つづいて新年早々、憲法第九十九条により、憲法を守るべき立場にある安倍首相は、「新しい時代にふさわしい憲法を、今こそ私たちの手で書き上げていくべき」と話しました。
 現在開かれている第166通常国会の会期は6月23日と予定されています。政府与党は憲法記念日の5月3日までに国民投票法案(改憲手続き法案)の採択をめざしています。
 市民運動の手足を縛る「共謀罪」は見直しを図るようですが、かつての治安維持法よりも厳しいといわれるこの法律が制定されれば、戦前回帰は万全となります。私たちの改憲阻止の運動も正念場を迎えました。「九条の会」ではアピールに賛同する「会」が2月1日に6020に達し、11月24日に、東京の日本教育会館で第二回全国交流集会の開催を予定しています。女性「九条の会」も、せめて全都道府県に誕生させて、力を発揮しようではありませんか。
 いま衆議院憲法調査特別委員会(中山太郎委員長)では、自民・公明両党の「国民投票法案」に対案を出した民主党案との修正協議を行っています。法案自体に反対ですが、協議内容には多くの問題があります。
 投票権が一八歳以上となっています。憲法は若い人の未来を左右するので、引き下げるべきではないかとか、定住外国人の除外は不当ではないかとか、改正には有効投票数の過半数を必要とするとなると、低投票率ではわずかな数で成立してしまいます。
 一括投票方式が挙げられています。例えば「自衛軍を保有するか」と「海外派兵を認めるか」という異なる問題を九条関係として一括されるとどうなるでしょう。宣伝についても資金面でCMの効果など不公平になるのは必至で、発議から投票までの期間が短く、公務員や教育者の意見表明の禁止など、よく学習する必要があります。
 改憲阻止に地方選挙は重大です。

 

女性「九条の会」 学習会

ふたたび 女を戦争の支え手に?!

2007年1月27日(土) 於 津田塾会5階

日の丸・君が代の強制が意味するもの
 -原告は何を訴えて勝利判決をかちとったか -  講師 原田 収さん(予防訴訟原告)


 日本国憲法の「改正」を望まない者にとって、上記3法案は不要なものです。秋の国会までに、もっともっと仲間をふやし廃案にもちこめるような盛り上がりをつくりましょう。
 予防訴訟とは、東京都教委の10.23通達そのものが違法であるということを訴えたものです。10.23通達とは、全教員に対して「式典会場において、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」また、音楽教員には「国歌斉唱時にピアノ伴奏を行う」といった内容で、都教委から校長に対する職務命令が、校長を介して都立学校教職員に強制するものです。提訴の内容は、
①国歌斉唱及びピアノ伴奏の義務がないということを確認してほしい。
②起立しないこと、斉唱をしないことを理由として処分をしてはならない。
③損害賠償の3点となっています。
 普通なら不服従に対する処分が行われ、それに対して不当であるという申し立てをするのですが、予防訴訟は、不服従処分を予防するために、通達の無効性の確認を求める訴訟で、不起立や君が代伴奏を拒否した人だけでなく、起立した人や伴奏をした人も参加できるという点が大きな特徴です。私自身も現時点では不起立はしておりませんが、さまざまな思想信条の人が参加できるということで、400名 をこえる原告団となっています。2003年に、10.23通達が出され、模索をする中で、翌年1月30日に228人で第一次提訴を行い、その後、二次三次四次と続き、最終的に401名になりました。実質的に審理が始まったのは、2005年6月からで、昨年の3月の最終弁論で結審となり9月21日に判決が下りました。
 私たちは勝つという予想はしていませんでしたので、「起立して斉唱する義務のないことを確認する」と法廷でじかに聞いた時は耳を疑いました。翌日の朝日新聞には「夢のよう」という見出しがでていましたが、まさにそれは私の実感でした。泣いていらっしゃる方もいました。今後どうなるかわかりませんが、少なくともいい思いをしたと思っています。
 判決の特徴は、事実認定に多くのページを割いていることで、判決全体のほぼ3分の1です。まず国旗・国歌法が制定される国会審議での、小渕総理、有馬文部大臣、野中官房長官が、この法律が制定されても、国旗の掲揚等への義務づけを行うことは考えない、したがって、この法律が制定されても国の態度が変わるものではないと答弁したことを判決は引いています。
 また、都や都教委がいかにひどい暴言をはいたかという点についても、こちらの主張を認めています。判決では、「なにしろ半世紀の間につくられたがん細胞みたいなものですから、そういうところにがん細胞を少しでも残すと、またすぐ増殖してくるという事は目に見えているわけです」などという暴言をいくつか取り上げています。
予想外ではあったけれども、勝訴は裁判の審理経過からすれば当然の帰結で、勝訴の要因は三つあったと思います。
 ①オーソドックスな法律論・教育論を基礎にしたこと。原告側は憲法19条及び教育基本法10条を中心に、子どもの 権利条約など国際的な視野にも立って訴えたし、また、学習指導要領についても「大綱的基準説」を確立した「旭 川学テ事件」の最高裁判決の正しい理解を求め、地裁もその判例にしっかりと依拠していました。
②憲法・教育基本法どころか学習指導要領をすら無視する東京都教育委員会の無法・強引ぶりを詳細に明らかにした こと。原告側は膨大な資料でその点を立証し、主要な点は判決においても「前提事実」として、認定されました。
③原告の、時には身体的症状に及ぶほどの精神的損害を克明に明らかにしたこと。一つ目は原告全員の「陳述書」、二つ目は精神的損害を中心にした七人の原告証言、三つ目は精神科医・野田正彰氏による意見書の提出があります。
 このように地裁では私たちが全面的に勝利しましたが、残念なことに都が控訴しました。高裁の審理は4月ぐらいから始まるのではないかと思いますが、都は敗訴して初めて本腰を入れてきましたし、文科省とかなり連携をとっているようです。
 裁判を勝ち抜くためには、事実・論理・世論の3つが重要です。実は第一審では、最後の世論への取り組みが不十分でした。予防訴訟という言葉を知らない人が圧倒的に多いという状況がありました。知っている人はおそらく4桁はいたでしょうが、5桁以上ではなかったと思います。しかし、今回の全面勝利は、マスコミに大きく報道され、世論をつくっていく条件はできたと思います。このたたかいは、皆さん自身の問題でもあると思うので、ぜひ大きな支援をお願いします。 

家族条項(憲法24条)と憲法改正
講師 植野 妙実子さん(中央大学・中央大学大学院教授)

  

 長いこと、24条は大日本帝国憲法にあった「家」制度を払拭するというところに意味があるのだということが強調されてきました。結婚生活にはさまざまな権利がかかわっているわけですが、その中の婚姻の自由だけがこの条文によって成立したという捉え方がされていて、結婚生活における男女平等や女性の権利はあまり考えられてきませんでした。
 2項は、家族に関する法律が、「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定される」ことが国家の義務であるということを明らかにしているのですが、今までに、2項に基づいて各法律が精査されたわけではありません。24条が制定された時に、「本質的平等」の解釈めぐって、かなり議論されましたが、「差別ある平等」というふうに解釈をして決着をします。日本人にとっては大日本帝国憲法下の「家」制度の下での女性のイメージが強く、女は男に比べて体力的にも能力的にも劣っているのに平等などというのはおかしいという発想がありました。「差別ある平等」というほうが現実に即しているという理解がされたのです。 当時は、憲法研究者に女性が少なかったこともあって、なかなか24条を深く考えることはありませんでした。この条文は結婚の自由を認め、方針としては家庭で男女が平等であるべきだが、現実的には結婚した者同士の、いわば私人間での契約に基づく、結婚生活のあり方の自由から柔軟にとらえられるべき、と考えられました。
 この24条自体が、脚光を浴びてくるのは「女性差別撤廃条約」を日本が署名・批准する過程においてでした。なぜなら、女性差別撤廃条約の家族像と24条の規定は重なるからです。今日、漸く24条の意義が浸透してきたと考えられるにもかかわらず、自民党から「24条は家族の価値を重視する観点から見直すべきである」という意見が出てきました。そこでは「公共」ということを非常に強調しております。家族の先に国家がある、家族も公共だし、国家も公共、家族を守るということは国家を守るということは国家を守るということだというのです。そういう論理構造が使われています。個人主義という考え方は排斥されてしまっています。
 自民党の家族の保護という考えは、家族のそれぞれの権利を尊重するということではなくて、家族としての制度を保護するという意味合いが非常に強いのです。家族を制度として保護していこうとするとき、結局はさまざまな家族の中で、国家にとって都合のいい家族だけを保護するということになりやすいのです。
 今回の自民党の新憲法草案の中では、24条は改正の対象にはなっておらず、九条の改正に焦点が絞られています。「戦争の放棄」から「安全保障」にかわり、自衛軍を明記して、今までの平和主義の考えを改め、国際協調主義を強めて、国連に協力しよう、あるいはアメリカとの共同軍事行動にも協力していこうというものです。しかし、自民党は憲法改正条項の緩和も同時にかかげておりますので、当然第二
・第三の改正があるということです。まずは、憲法の九条に焦点を当て、その次には、当然自民党の内部で大きな議論になっていた家族の問題が出てくるに違いないのです。個人主義が否定されて、全体主義や公益というものが前面に出てきています。  家族というものはそもそも何なのかということですが、家族とは個人の集まりなのです。まず個人があっての家族ですから、家族の中の個人の権利が尊重されないということになると家族というものも当然尊重されないということになります。個人の権利や尊厳が保障されてこそ家族があり、国家があるのだということが踏まえられていません。
 女性差別撤廃条約の想定する家族像は、男性も女性も同等の権利を持って家族を構成し、男女の固定的・伝統的役割分担意識にとらわれず、男も女もお互いに力や個性を充分に発揮して社会的にも活躍し、家庭においても相互に協力する、そういう家族像です。それが今日の国際的に認められている家族像なのですが、このような家族像に対する理解が全くありません。やはり日本で根強いのは、男性が中心となって働き女性が補佐をする、あるいは男性は外で働き女性は家で家事・育児・介護を担当する、そういう家族像です。今日考えられているさまざまな政策は、むしろこうした後ろ向きの家族像を前提としているように思えます。またジェンダーフリーバッシングはそうした考えを補強するものです。今日提案
されている憲法改正は非常に大きな問題をはらんでいることを認識する必要があります。

 

感想より

★娘の卒業式でまさに国旗・国歌斉唱を強要する事件があった。担任の先生から前日生徒たちに丁寧にお話があり、生徒たちの自主判断に任せるとおっしゃった。当日クラス全員が不起立、先生は(マスクとサングラスつけて起立)だったそうです。保護者席の最前列で私と夫も座っていました。父母の取り組みが十分でなかったのか、その当時は、呼びかけもなく、署名に取り組んだ程度でしたので、先生たちの闘いと判決にはびっくり! 大いに励まされました。安倍内閣の強権政治、改憲の狙いを絶対に許してはならない。
人間としての基本的な権利、尊厳を守ることの大切さを改めて学びました。教育に国家の介入は絶対に許せません。

★24条「家族」の見直しが、私たちが望む真の男女平等や民法改正につながるのではなく、戦前の国歌主義的な、“お国のために”物も人も提供させることを狙ったもので、危険な内容であることを、もっと女性たちの間で学びあっていく必要があると思いました。

★危機的状況の中で私達はどうしたらよいかを考えていたけれど、両先生のお話を伺い、結局個人の意見を大切にすること(自分の意見も人の意見も)が根底になくてはいけないということが理解できました。

★男性ですが、参加させていただきました。私自身、いくつかの「9条の会」などの講演会に参加したことがありますが、24条を中心とした内容の講演は初めてで、たいへん興味深く拝聴しました。新しい視点を加えられたように思います。

★9条改悪、教育基本法改悪、日の丸・君が代強制、24条、25条改悪が一本につながる。権力者の意図がよくわかりました。草の根でこうしたたくらみをはね返す運動を強めていかなくてはなりませんね。