女性「9条の会」ニュース30号 2014年7月号
 
1面

 来年は創立10周年      本尾 良


 女性「九条の会」が創立一〇周年を迎える来年は、日本が第二次世界大戦に敗北し、大戦が終わってから、ちょうど七〇年目に当たります。
 そして、もう一つ忘れてはならない大切なことは、二〇歳以上の日本の女性が、「参政権」を得てから七〇年目を迎える、記念すべき年でもあります。「参政権」の獲得が決定したのは一九四五(昭和二〇)年、一二月一七日であり、翌一九四六年四月一〇日に行われた第二二回衆議院議員総選挙において、七九名が立候補して、三九名が当選しました。
 女性が参政権を得るまでには、長い間の女性自身の闘いがあったことをご存じと思います。男性の普通選挙権は一九二四年に公布されました。この時既に市川房枝、久布白落実、山高しげりら広い女性の層の婦選獲得運動は始まっていました。「普選」は未だ完成せず「婦選が残っている」と、政府や政党とは中立の立場を宣言して、大正一四年に、・婦人に結社権を与えること(審議未了・婦人に公民権を与えること(直ちに否決)・婦人参政権に関する建議案(貴族院で審議未了)を提出しました。しかし、一九三一(昭和六)年に政府の制限公民権案が衆議院で可決し、貴族院で否決となりました。東京で二万六〇〇〇人が署名し、全関西連合会から二人の代表によって三万人のの署名が届けられたにもかかわらず、民政党内閣提案の婦人公民権案は、貴族院の反対でつぶされました。
 その後、地方組織の拡充や時局問題の研究の力を入れ始めた「獲得同盟」にとって、昭和六年九月の満州事変の勃発は、婦人公民権案の政府提案も有志議員の提案も不可能にしました。
 しかし、敗戦と同時に市川たち婦選獲得運動の有志は、政府に対して婦人参政の活動を始め、占領軍の日本民主化五大改革(トップが選挙権付与による婦人解放)を発表する一日前に、幣原内閣は初閣議で婦人参政権付与を決定したのです。つまり日本自身が推進した男女平等の選挙権、被選挙権なのです。 あれから七〇年。焼け野原から立ち上がった人々は、「平和憲法」のもとで、民主主義を国是として日本を再建しました。
 ところがいま、安倍総理らの「集団的自衛権」という悪法に、石原環境大臣の被災地を貶める暴言に、女性議員にセクハラ発言を飛ばした都議会議員に非難が集中しています。
 願わくは、息子を戦場に送らせない女性議員を増やして、多数を占める男性議員の低劣なヤジなどを許さない政治にしたいものです。(女性「九条の会」呼びかけ人)


 安倍政権の目に余る暴走ぶりに腹の立つ毎日ですが、この間、女性「九条の会」では「ODAの武力化反対」の賛同団体となる、集団的自衛権に関して、それぞれに創価学会や公明党への働きかけを行うなど、やれることはやって参りました。
 しかしながら、与党間の合意はできたとして、集団的自衛権は閣議決定をされてしまいました。でも私たちのたたかいはこれからです。声を出し続けましょう。

 

 

2面〜6面 

池田香代子さんから「積極的平和主義」を学ぶ

 6月14日(土)「21日までには公明党を抱き込んで、
集団的自衛権を閣議決定する」と、自民党が強がる
という緊迫した中、明治大学の一室をお借りして学
習会を開催しました。
参加者88名は熱心に講義に耳を傾けていました。


改憲問題

■改憲しやすい国を目指す自民案

 2012年、自民党は憲法をそっくり変えてしまおうと、憲法草案なるものを発表します。でもこの改正案はあまりにもひどく、3分の2を取れそうもないので、まず96条を先に変えようと言い出しました。「両院の発議を三分の二から過半数にして改憲しやすくしよう。そうしないと民意を反映できない」という言い分でした。日本国憲法は変えにくいと当時よく言われましたが、そんなことはありません。世界の憲法改正の最初の発議は三分の二が八割を占めています。もっと厳しく四分の三にしている国もあります。憲法の変え方を「変えにくく」変えている国もあります。日本が「変えやすく」変えたら世界初の「快挙?」なのです。
   
 

 

■「ヒトラーの手口に学ぶ」自民党

 96条改定も不評だったので、今度は解釈改憲にしようと言い出します。案は首相の私的懇談会で出しますが、その話し合いはずさんで、「資料はその日に配られ、会議が終わったら回収される」とメンバーの中の防衛大の元教授が告発していました。
 憲法全体を変える、ある「条」を変える、憲法には何も手をつけないで解釈を変えると、だんだんに小さくなってきています。これは「マトリョーシカ改憲論」と呼べると思います。けれども侮るのは危険なのです。麻生さんが言いました。「ヒトラーの手口を学んだらどうか」と。ナチス憲法と彼が言ったのは、彼らによって解釈改憲されて骨抜きになったワイマール憲法のことです。ナチス政権は憲法には手をつけず、反対勢力をあの手この手で弾圧し、回りを突撃隊が囲む議会で、多数決によって「全権委任法」を通し、憲法をなきがごとくにしてしまったのです。その過程を、日本はずいぶん前から進めていたのではないかと思うのです。
 現在の日本ではどうでしょうか。昨年12月に成立した特定秘密保護法、NHKの会長や経営委員会にとんでもない人がなっている、あるいは内閣法制局長官に異例なことに外務官僚を据える、テレビ局の社長たちと首相が毎晩ご馳走を
食べているなど、有無を言わせず一枚板に情報を流すような状況をつくっています。こうして自分たちのやりたいことを進めようとしているのです。

■大切なのは「立憲意思」

 憲法はつくった人々がどんな思いで、何のためにつくったかという立憲意思が大切なのです。いつもそこに立ち戻って考えなければいけないのです。「この憲法はGHQがつくったじゃないか」と思われるかもしれませんが、立憲意思というのは憲法の文言を書いた人に留まらないのです。「GHQはいろいろな外国の憲法をつぎはぎしてつくったぞんざいなものだ」と言っている人もいます。けれども「みなさんこれからゼロから憲法を作ってください。起草委員にあなたを任命します」と言われたら、第一回の会議で何をしますか。世界中の憲法や条約や憲章や宣言などを集めませんか。集めてこれは私たちに必要だというのをならべてみませんか。世界中の憲法はそうして出来ているのです。どの憲法もつぎはぎなのです。日本国憲法だからつぎはぎなのではないのです。

■鈴木安蔵の憲法草案とGHQ

 日本国憲法にとって重要なパーツをいろいろなところから持ってきたからといって一週間やそこらで憲法草案が出来たとしたら手品です。実はこの手品にはタネがあるのです。
 GHQには、民間から多くの草案が寄せられていました。その中でも、敗戦の年の12月26日に発表された鈴木安蔵たち憲法研究会の憲法草案に関心が集中します。GHQは翌日に翻訳に出しますが、念のためにこれだけは二通りの翻訳に出すのです。翻訳が出来上がった大晦日にラウエル大佐は総司令官に呼ばれ「この日本人のつくった憲法案を評価せよ」と言われます。彼は正月を返上して三日ぐらいでラウエルレポートを書き上げます。レポートには「これはすぐれて自由主義的な草案である」と書いています。2月1日、新聞がすっぱ抜いた政府案(松本草案)が旧帝国憲法の焼き直しであることに驚き、憲法草案をつくる秘密グループをつくって、草案をつくらせますが、その中心人物の一人がラウエル氏なのです。彼はご存命の時にNHKの取材に応えて、「私とあと二人の手元には鈴木安蔵さんたちの憲法の英訳がありました」と言っています。
 鈴木安蔵さんは福島県の南相馬市小高地区のご出身です。福島は高知と並ぶ自由民権運動の盛んな地域でした。彼の研究リストには当時の私擬憲法が70も80も出てきますが、その中でも高知の植木枝盛さんの憲法案については複数の論文を書いておられます。
 GHQ案が出た後、日本側がそれにいろいろなことを加え、戦後初の総選挙で出来た国会で、生存権などを加えて出来たのが日本国憲法なのです。
 立憲意思で最も重要なことはその次の段階です。憲法を見たときに私たちの親の代はものすごく歓迎しました。これが立憲意思です。憲法に命を注ぎ込んだわけです。当時の人々はなぜこの憲法を支持したのかということに立ち戻って憲法は解釈しなければならないのです。

■「翻訳調」という抗議

 日本国憲法に対するもう一つのいちゃもんとして、翻訳調だというものがあります。これはGHQ案を急いで翻訳して閣議にかけた時に一人の閣僚が、ある一語を翻訳調だと言ったのです。その一語とは「象徴」という言葉です。それがいつしか「憲法全体が翻訳調だ」ということになってしまったのです。現行憲法には山本有三が関わっているのです。そして美しい日本語にする努力をされたのです。私は名文だと思います。
 日本の憲法よりも後に出来た憲法で王様がいる国の憲法では「象徴」という言葉が好んで使われています。これは良いと思ったのでしょう。どこの憲法もそうやっていいとこ取りをしていくのです。だから後からつくられたものほどよくなっていくのです。自民党の憲法が出来たら憲法の歴史にも大変な例外をつくることになってしまいます。

 

 

積極的平和主義

■平和学による積極的平和

 この言葉は盗っ人猛々しいコピーです。積極的平和というのは平和学が長年かけてつくり出した大切な概念です。単に戦争状態ではないことが平和なのではない。全ての人々が差別や貧困や劣悪な環境から免れて生きる喜びを謳歌する。これが積極的平和であるということです。平和学では構造的暴力がないことと言います。平和学はヨハン・ガルトゥングさんが中心になっています。ガルトゥングさんは日本に長くお住まいで奥様は日本人です。日本国憲法から平和学という学問が生まれたと考えても良いと思います。構造的暴力のない状態、例えば今インドでは女性がレイプされる、なのに適正な処罰も行われなかったりで大問題になっています。インドは戦争をしているわけではありませんが平和な状態とは言えません。

■安倍さんの「積極的平和主義」

 積極的平和は英語ではポジティブピース、ポジティブな平和です。安倍さんの言っている積極的平和主義は、英語にするとプロアクティブ・パシフィズム、もう一つの言い方はプロアクティブ・コントュリビューション・フォ・パシフィズム、これは「太平洋の危険に対して事前に行動する」、つまり、「先制攻撃」のことです。
「攻撃は最大の防御なり」それが平和であると言っているのです。まさに21世紀のニュースピークです。
ニュースピークとは、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に描かれた架空の言語のことで、某国では、心理省=歴史の改ざんや都合の悪い文書の抹消する部署、愛情省=拷問する部署、平和省=戦争をやる部署というように、言葉の意味を変えています。こうやって国民を洗脳し、思想を統制する極端な管理社会を描いた小説です。今これが日本でも進行しているのではないだろうかと思うのです。
 例えば「武器輸出」を「OA装備」と言いました。昔から日本はそういうことをやってきましたね。撤退を転進、敗戦を終戦、占領軍を進駐軍と言いました、ずっとこうでした。
 今イラクで起きていることについて、アラブ側のニュースを翻訳して送ってくれる人がいるのですが、それによると今私たちが見聞きしているニュースとは大分違います。もし、オーウエルの小説が指摘しているような事態が進行しているのに気がつかないでいると大変なことになります。アメリカはもうお金はないし、出すとしても無人機だけになります。だから「イラクに入っていくのは日本、お前の仕事だよ」と自衛隊を出せと言われたら、イラクは石油が出るし、国家の存亡に関わると政府は言うかもしれません。


集団的自衛権 

■72年の「政府見解」を歪曲

 集団的自衛権についての私的懇談会が行われましたが、出してきたものは大変お粗末で、詭弁の塊のようなものでした。例えば自民党の高村さんは、集団的自衛権の根拠に59年当時の砂川裁判を持ってきましたが、当時の最高裁判事自身が、「当時集団的自衛権のことは考えたことはない」と言っています。それに72年に田中内閣が示した「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な事例の措置を認める」という政府見解ですが、これを「個別ではなく、集団的自衛権も含む」と解釈するわけです。72年はベトナム戦争中であり、アジアの国々や韓国はアメリカの要請で軍隊を出していました。日本に対しても協力要請がくるのではないかと心配されていました。その時に、「日本には憲法があるから」と「海外には出さない」としたのが田中内閣の見解です。「集団的自衛権は行使しない」と書いてあるのに、これを集団的自衛権の根拠だと言うのです。

■ 集団的自衛権の概念の成り立ち

 最初の国連憲章には、国には自衛権というものが自然権として存在するとしていました。ところが当時はアメリカが大きな力を持っていて、その隣の小さな国々はアメリカが怖かったのです。それで何かあったときに小さな貧しい国々が力を合わせる事が認められたのです。ところがここに目をつけたのが大国だったのです。
 まずソ連がハンガリーの傀儡政権の要請を受けて集団的自衛権を行使して行ったハンガリー動乱、プラハの春もそうでした。ベトナム戦争もそうでした。ニカラグァにアメリカが介入したのも集団的自衛権を振りかざしたのです。アフガニスタンもそうですし、イラクがクエートに侵攻したときも集団的自衛権を行使しました。集団的自衛権は小さな国々のためにつくられたのに、これを行使しているのは大国だけなのです。だから日本がこれを認めたらアメリカの言うなりになるしかないのです。TPPとおなじです。TPPも小さな国がやっていたのを、これはいいとアメリカが言ってきたということなのです。
 国際社会って本当に理念とか高いモラルを目指すとか言ったってダメじゃないかと思ったりするけれども、歴史はどんな紆余曲折があろうとも、理想主義の方に動いているのですから、私たちはどんなに大変でも、理想に向かって輪を回していかなければいけない。集団的自衛権とか何とか威勢の良いことを言っている人たちこそが戦争を知らない発想だと私は思います。


■ 集団的70年間外国人を殺さないという「日本ブランド」

 世界規模の安全保障にはさまざまな役割を演じる国が必要です。日本は一人の外国人を殺したことのない唯一の先進国です。「一人の外国人も殺したことのない自衛隊」という価値を世界のために役立てるべきなのです。この貴重な「日本ブランド」を他の国と同じように、つまり戦争の出来る国にして、戦闘に加わって、みすみす失うのは愚の骨頂であり、世界的な損失です。
 今、憲法九条にノーベル平和賞をという動きがあり、それが委員会に受理されましたけれども、憲法九条は日本の宝であると同時に世界の宝でもあるのです。このことが私たちの安全保障に最も大きな力となっていることに思いを生かせずに、宝物をドブに捨てるということをしたがる違憲国会、違憲政権は、直ちに解釈改憲などという企てを放棄すべきです。


■グッドルーザー(いさぎよい敗者)の憲法

 第2次世界大戦が終わり、1945年10月に「国連憲章」が発効しました。その第1章、第2条の第4項にこうあります。「べての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」。日本国憲法はこの数ヶ月後に書き上げられ、翌年に成立しました。国連憲章ができたての時に書かれた日本国憲法九条が、国連憲章の戦争禁止条項と似通っているのは当然なのです。つぎはぎ以上の意味があります。国際連合は英語ではユナィテッド スティツです。戦争中の連合国(ユナィテッド スティツ)と同じです。戦後世界は、日本のかつての敵である連合国が、世界を主導することを受け入れることによって始まったわけです。敵国であった日本は、国連憲章の戦争禁止条項をより徹底させ、戦争放棄という形で自らの憲法に掲げました。それは日本が戦争で迷惑をかけた人々への心からの謝罪でもありました。これがあるので、アジアの国々への戦後賠償をアメリカが睨みをきかせて止めさせたのです。
 この謝罪が本当なのかどうか、アジアの人々は見ています。迷惑をかけた国々の人々、むごたらしい地上戦を経験し、戦後ずっとアメリカの統治下に置かれ、米軍基地が居座っていることで苦しんでいる沖縄県の人々が、私たちの憲法実現を厳しく見つめています。それを台無しにする放言を、これまで、歴史がわかっていない、心ない政治家たちがまき散らしてきました。その度に私たち市民は糾弾し、踏みつぶし踏みつぶして、やっとここまできました。にもかかわらず、迷妄に捕らわれた最低の政治家が「戦後レジームからの脱却」とか言います。「侵略の定義は定まっていない」などとまで言っています。そしてこともあろうか、大向こうの喝采を得ているのです。これは何としても止めさせなければなりません。
 侵略戦争はしない、係争解決のために武力に訴えないという戦後世界の理念をいち早く、最もラジカルに私たちのものとした私たちは、これを日々我が物とし続けることによってグッドルーザーとして、いさぎよく尊敬に値する敗者として頭を上げて、心から謝罪する敗者を私ちは目指すべきだと思うのです。
憲法前文は私たちの安全保障政策の指針です。そして憲法九条はアジアへの詫び状だと思います。

■これから出てくる「国家安全保障基本法」

 去年の暮れには「特定秘密保護法」が成立しました。けれどもあれは「国家安全保障基本法」ができたときに必要になってくるものなのです。「国家安全保障基本法」というのは日本が集団的自衛権を行使するために必要なものです。国家安全保障基本法に明記すると憲法との齟齬が出てくるので、「国民投票法」も通ってし
まいましたので、次は憲法改正ということになります。つまり現実に必要なものから逆につくっているのです。
 一昨年2012年に自民党の総会でこの「国家安全保障基本法案」を了承しました。この自民党案は、1994年に防衛庁の内部で秘かにつくった「安全保障基本要綱」によく似ています。1994年は、東西の冷戦が終わって間もない時です。首相だった細川さんが、「冷戦が終わったのだから自衛隊を縮小し、日米安保だけでなく、他の国々とも安全保障の仕組みを作るべき」と言いました。それに危機感を持った防衛庁は、自分らの益になるようなものをつくっておこうと、秘かに書いていたのです。つまり、政治家の言うことなどは聞いていないのです。そしてこれを下敷きにした「国家安全保障基本法自民案」が
つくられたのです。
 この二つは構図は同じなのに、いくつもの違いがあります。94年の方は「日本国憲法に則り」という文言が入り、日本国憲法の縛りを意識していて、その縛りの中でどこまでできるかということを
考えています。「外交努力を払う」とも書いてあります。それが自民案ではなくなっているのです。国連という文字もないのです。日米安保だけですから、国連などは目じゃないのですね。「節度ある防衛力の整備」という文言が94年の方には結構出てくるのですが、自民案にはない。代わりに「実行力ある」と書いています。
 次にはこれが出てきますので、ぜひ皆さんの学習会でもこれについて取り上げて、専門家の下で勉強していただきたいと思います。

 

やさしいこどばで 日本国憲法 前文

日本のわたしたちは、
正しい方法でえらばれた国会議員をつうじ、
わたしたちと子孫のために、
かたく心に決めました。
すべての国ぐにと平和に力をあわせ、
その成果を手にいれよう、
自由の恵みを、この国にくまなくいきわたらせよう、
政府がひきおこす恐ろしい戦争に
二度とさらされないようにしよう、と。
わたしたちは、
主権は人びとのものだと高らかに宣言し、
この憲法をさだめます。
国政とは、その国の人びとの信頼を
なにより重くうけとめてなされるものです。
その権威のみなもとは、人びとです。
その権威をふるうのは、人びとの代表です。
そこから利益をうけるのは、人びとです。
これは、人類に共通するおおもとの考え方で、
この憲法は、この考え方をふまえています。
わたしたちは、
この考え方とはあいいれないいっさいの憲法や、法令や、詔勅をうけいれません。
そういうものにしたがう義務はありません。
日本のわたしたちは、平和がいつまでもつづくことを
強く望みます。
人と人との関係にはたらくべき気高い理想を
深く心にきざみます。
わたしたちは、
世界の、平和を愛する人びとは、
公正で誠実だと信頼することにします。
そして、そうすることにより、
わたしたちの安全と命をまもろうと決意しました。
わたしたちは、
平和をまもろうとつとめる国際社会、
この世界から、圧政や隷属、抑圧や不寛容を永久になくそうとつとめる国際社会で、
尊敬されるわたしたちになりたいと思います。
わたしたちは、確認します。
世界のすべての人びとには、恐怖や貧しさからまぬがれて、
平和に生きる権利があることを。
わたしたちは、信じます。
自分の国さえよければいいのではなく、どんな国も、政治のモラルをまもるべきだ、と。
そして、このモラルにしたがうことは、独立した国であろう独立した国として独立した国として
ほかの国ぐにとつきあおうとする、
すべての国のつとめだ、と。
日本のわたしたちは、誓います。
わたしたちの国の名誉にかけて、
この気高い理想と目的を実現するために。
あらゆる力をかたむけることを。

 日本国憲法第九条

 わたしたちは、心からもとめます。
  世界じゅうの国が、
正義と秩序をもとにした、平和な関係になることを。
そのため、日本のわたしたちは、
戦争という国家の特別な権利を放棄します。
国と国との争いを解決するために、
武力で脅したり、それを使ったりしません。
これからは、ずっと。
この目的をまっとうするために、
陸軍、海軍、空軍そのほかの、
戦争で人を殺すための武器と、
そのために訓練された人びとの組織をけっして持ちません。
戦争で人を殺すのは罪ではないという特権を国にみとめません。