女性「9条の会」ニュース3号 2005年12月号 

読んでみましたか?自民党「新憲法草案」

第九条 「平和主義」 日本国民は正義と秩序を貴重とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永遠にこれを放棄する。(下段②を削る)
第九条の二(自衛軍)我が国の平和と独立並びに國及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権
者とする自衛軍を保持する。
2 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認とその他の統制に服する。
3 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。

第九六条 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議に基づき、各議院の総議員の過半数の賛成で国会が決議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体であるものとして、直ちに憲法改正を交付する。

 

九条の会がシンポジウム

 九条の会は一一月二七日にシンポジウム「自民党改革案は日本をどこに導くか」を開き、「新憲法草案」について厳しく批判しました。
 シンポジストの奥平康弘さん(憲法研究者)は、自民党改憲案について「前文で国民主権、基本的人権、平和主義をばっさり切っている」「九条を含めた全面改正をのませようと目くらましがちりばめられている」と述べ、質問に答え、「軍事裁判所の設置は、スパイ防止法、憲兵などの軍事警察などができる効果が大きい。戦前をよみがえらせてはいけない」と述べました。
 山内敏弘さん(竜谷大学)は、九条の一項が残されたことで平和主義が維持されたという見方があることへの批判から入り、九条二項を削除して、自衛軍の保持を明記したことの危険性を明らかにしました。また、人権に対する抑圧や、総理大臣の権限の強化など、多面的に「戦争をする國」をめざす方向が打ち出されていると指摘しました。


 

第2回 憲法改定を問うシンポジウム報告

天秤にかけていいの?生存の権利と軍事費

9条・25条の改悪をめぐって

 

羽田澄子さん発言より

満州で終戦を迎える
 中国の大連で生まれ、19歳で終戦を迎えた私は、日本の軍国主義教育をまともに受けて育ち、天皇のためにいつか死ぬんだと本当に思っていた。女学校を卒業後、自由学園に入学したが、最後の一年間は学徒動員で中島飛行機製作所に行かされた。そこは東京の空襲が本格的に始まったときに最初に爆弾が落ちた工場で、それ以来空襲の度に爆弾が落ち、クラスメートも犠牲になった。卒業後満州に帰るが、数ヶ月後にソ連軍の進撃がはじまり、関東軍は人民を置き去りにして真っ先に満州から出て行ってしまった。そのため多くの開拓民が殺され、大連にたどり着いた難民も指導体制がない中、混乱を極めた。その中でたくさんの残留孤児がつくりだされた。私は「軍隊は国民を守るものではない」ということをそのときに身をもって知った。
満州での3年間
 終戦後、船が出なくなって日本に帰れなくなり、3年間をソ連の軍政下の大連で過ごした。仕事をすることはできなかったが、検閲でしまわれていた本が市場に出回り、はじめて私は日本の歴史を知った。日本の労働運動や元始女性は太陽だったという言葉を知ったりした。だからその3年間は、私にとっては本当に貴重な、世界観が変わる3年間だった。平和憲法ができたことはソ連軍が出す『民主新聞』で知ることができて、「ああ日本は平和な国になったんだ」とつくづく思った。
鷹巣町の福祉を見つめる
 日本に帰国後、羽仁説子先生に声をかけていただいたのを契機に岩波映画に入社し、定年までを過ごした。その後いくつかの作品をつくるうちに老人問題にぶつかった。『痴呆性老人の世界』『安心して老いるために』などを作りながら、どうしても日本でのシステムを考えなければいけないと思い、秋田県の鷹巣町の福祉の取材を続けた。鷹巣町の町長は大きな理想を持って3期12年の間に日本一といわれる福祉を築いた。しかし4期目に合併特財政という補助金で町を活性化させようと訴える対抗勢力に押されて大敗した。財政が大変なのに福祉のやりすぎだと、つまり年寄りはもういいという雰囲気が町の中に出てきていた。それはまさに今の日本の状況とよく似ていると思う。
学校で近現代史が教えられていない
 田中喜美子さんが編集された『ファモポリティク』という本の一部を紹介したい。NHKの「戦後60年じっくり話そうアジアの中の日本」という番組があり、その中で町村(前)外務大臣が驚くべき発言をしたという。今の若者は近代史を勉強していないという話に関連して、「近代史を教えると、どうしても教員の政治思想が現れる。当時は日教組を初めとしてマルクスレーニン主義を教えたがる教師が多かったので、近代史は教えさせるわけにはいかなかった」と。その発言には会場から拍手が起こったという。「明治以降の歴史は入学試験には出ないから勉強しなくて大丈夫だよ」とはっきり断言する教師が少なくないが、その背後にこんな事実が潜んでいたのだった。しかもこの発言を取り上げるマスメディアは全くなかったのだ。
芸術で伝えることの大切さ
 戦争というのは、体験した人が本当に体験したように人に伝えることはできないのだ。あまりのひどさに言えないし、言っても分からない。そうやって戦争のひどい体験が全部死んでいってしまう。私は芸術でしかそれは伝えられないと思っている。小説にしろ、ドキュメンタリーにしろ映画にしろ、その人が感動するような芸術でないと伝わらないと私は思っている。

江尻美穂子さん発言より

 権利としての健康へ
 憲法に、健康は基本的人権、つまり人間としての権利、人間として生まれつき誰でも与えられている権利だという考え方が盛り込まれたのは、新しい憲法になってからで、戦前は健康についてもそれが人間の権利としての捉え方ではなくて、「お国のために」男性は立派な兵士になるために健康でなくてはいけない、女性は「お国のために」立派な子どもを生むために健康でなくてはいけない、そういう捉え方だった。本人のために与えられている権利としては捉えられていない。だから、病弱の人は兵隊にいけないからお国のために役立たないとして見下された。また、今でこそ医療機関にかかるのは女性のほうが多いようだが、昔は男の子と女の子が病気になってどっちを大事に考えるかというと男の子という状況があったし、紡績工場の女工哀史という言葉もあるように、、女性が健康を害していくことは顧みられない時代があった。しかも人間が生きるよりも戦争に勝つほうが大事だということで、軍事費にはお金はつぎ込んでも福祉にはお金をかけるわけにはいかないという考え方でやってきた。しかし、この考えは戦前どころか今もそれが続いている。日本は軍隊を持たない国のはずなのだけれども、自衛隊があって、世界第三位の軍事費を使っている国になっている今、「高齢者は弱者ではない」とか保険も自己負担分を増やすなどの案がでている。高齢者だけでなく、病弱児や障害を持った子どもたち、障害者などすべてのところに現れてきている。
憲法25条のもつ意味
 憲法25条は、生存する権利だけでなく、人間としての尊厳を保つ生活ができる権利をうたっている。第1項は「すべて国民は健康で文化的な最低の生活を営む権利を有する」、第二項には「国はすべての生活部面について社会福祉、社会保障および公衆衛生の向上および増進に努めなければならない」となっている。健康で文化的なとなっていることが大事なのだ。結核療養中の朝日さんに、貧しい兄がなけなしのお金の援助を約束したことで生活保護費が削られたことに対して起こした朝日さんの訴訟は、朝日訴訟と呼ばれているが、私は必ず授業で取り上げることにしてた。朝日訴訟は一審で勝訴した後、2審で敗訴、その後最高裁に持ち込んでいる途中でご本人が亡くなられたが、生活保護費を見直すきっかけになった。
 平和を守ろうというときには、人間の尊厳を守ろうという考え方をしていかないといけないのではないか。人間なんかどうでもいいんだという考え方がそこに入ってくると平和は守れないし、平和が守れないということは人間の尊厳も守れないということになるのだ。
武器の製造をやめさせよう
 軍需産業をやっぱり止めなければならないと思う。武器を作り出せば、それを消費されてはじめてまた新しい商品が作り出されるわけだから、どうしても武器をつくるということを止めていかなければいけない。そのために私たちに何ができるかということを考えていかなければいけないんじゃないかと思う。

暉峻淑子さん発言より

勇ましい言葉に騙される日本人   
 敗戦を迎えた時、大人たちはみんな「騙された」と言った。学校の先生も、大人たちも「私たちは騙されたんだ」と。今度の選挙でもやっぱりみんな騙されている。日本人は自分から騙されるのが好きな国民なんだろうか。勇ましいことと、正しくても勇ましくないことを両方言われると、みんな勇ましい方へ行ってしまう。戦争というのはどんな理屈でもつけられるから、北朝鮮からテポドンが飛んで来るとか、あの国をやっつけないと地球が無くなるとか言われると、みんな勇ましい方に行ってしまう。騙されてしまう。日本のように、「外国から何と言われても靖国参拝をやり通すから小泉さんはいい」なんて尊敬している国では、「戦争もやり通すのがいい」とか、「止めたりするのは弱腰だ」なんてことになるから、戦争をいっぺん始めたら終わらせることはできないと思う。戦争を止めさせることができる国は、民主主義が発達した国だ。だから日本人にとって平和を守ることは本当に大事なことだと思う。
心の中の「なぜ?」を大切にしよう
 騙されないようにするには、自分の判断を持つことが必要だ。勉強も大切だし、新聞の経済面などを丁寧に読むことも大切。でも、心の中から湧き上がってくる疑問や思いを大切にしていれば、私はあんまりイデオロギーなどに操作されない人間になるんじゃないかと思っている。人間は「何かのため」の道具ではない
 戦前、私たちは何かのための道具だった。何かのための奴隷だった。天皇のために死ななければいけない、何々のためにというものが上にあって、その「ために」自分の人生を全部捧げなければいけなかった。だけど新しい憲法が約束してくれたのは「あなたたち一人一人の人生は、あなたたちのための人生なんですよ」ということ。誰も命令をして軍隊に行けとか、天皇のために死ねとか、そういう目的のために私たちを引っ張りまわすことはしませんという約束なのだ。九条は憲法の中で唯一の禁止規定だ。他は何々を放棄するとか、責任を負うとかいう言葉だが、九条の2項は「戦力はこれを保持しない、国の交戦権はこれを認めない」という否定になっている。その意味を大事にしたい。
巧妙な世論操作に負けないで!
 現在は日本に限らず、権力を持っている政治家は広告代理店を雇って、巧妙に世論操作を行っている。今度の選挙でも、世論操作を背景に政権党が3分の2を獲得して、憲法をいつでも変えることができるようになった。今、投票法案が審議されている。投票法案の中で一番危ないのは、国民を扇動するような文章を新聞に書くことを禁じる点。投票をするためには、いろいろな情報が必要であり、大きな言論の自由がなければいけないのに、それを禁じるという。共謀罪も出てきた。共謀罪では集会をして批判をしたりすると謀略だということになる。これは戦前の治安維持法と同じだ。こういう集まりもそのうちできなくなるかもしれない。これを止めるには、意見書を出したり、新聞や雑誌に投書をしたり、デモンストレーションをしたりして、憲法を守りたいと思っているとか人権を大事にしたいと思ってるとか、戦争には反対だということを身をもって知らせないといけないと思う。
ともかく政治家は次の選挙でどうなるかとか、国民の動きを気にしているのだから。
 

感想から
○ 私は憲法や政治に関する関心はあまりありませ  んでした。友だちとの話の中でも話題に上ることはありません。最近外国のお友だちができ、自分の意見をしっかり持たねばならないと切に感じています。私の母は、私たち子どもに戦争の悲惨さを絵本や映画で伝えようとしました。私の祖父はアメリカの捕虜となり戻ってきました。今祖父は92歳です。今でも終戦記念日が 近づくと体調を崩すそうです。
○ 「無告の民」(苦しくなっても救いを求めると  ころがない)の一言が大切だと痛感しました。また家族の中での会話の大切さ、その通りだと思います。一人ひとりの行動を作り出すために尽力したいと思います。居住地の「那須野が原・九条の会」で女性中心の企画をしようという話が出ていますので、参考にしたく、本日参加させていただきました。
○ 3人のパネリストのお話、それぞれ興味深く拝  聴しました。戦争体験者が国民のごく一部とな  り、高齢者ばかりになってしまったのを再認識しました。体験していない人たちは簡単にだまされてしまうでしょう。郵政民営化は民意に添ったというけれど、憲法改正には反対している国民の方が多いのですから、その民意に添うよう声を上げて行きましょう。○ 羽田澄子先生の戦前、戦中、戦後の人生の実体 験に基づいたお話に感銘を受け、いかに平和が人間の生き方までも大きく左右するかということを感じました。
○ 江尻美穂子さんのお話からは、人間を教育する上での健康観の大切さと、健康、人権、人間ら  しさ、豊かな人生を送ることと憲法のつながり  を認識しました。
○ 平和は自然環境の保護とも、健康とも深く結びついているというお話、本当だなと思いました。
○ 暉峻淑子先生のお話に全く同感です。9月の選挙の結果を見て本当にがっかりし、日本人はだまされやすい、だまされたい国民なのかと思ったものです。ヒットラーがドイツの国民の心をつかんだやり方を調べ、そうならないようにしたいと思います。
○ 自分の頭で考えて判断することが大事で、そのもとになるべき読書力や、新聞や社会情勢への 関心の低さが、だまされる人間を作り出してしまうことなどを強く感じました。
○ 私もともすれば今の日本、日本人に絶望してしまいそうなのですが自分は微力でも頑張って自分のやれることはやってみなければと、あらためて思いました。私も体験者として声を上げて行かなければと思います。人間を信じて。