女性「9条の会」ニュース25号 2013年4月号

「今日本国憲法最大の危機」─高橋哲哉さん講演会より

   
  お話する高橋哲哉さん  

 

1~5

自民党憲法改正草案について

 自民党は、現行憲法は米国の占領下で押しつけられたもので、国柄に合わない、日本国にふさわしくないとして、自主的な憲法をつくるべきだと結党以来言って来た政党です。結党五〇年となった二〇〇五年に、自衛隊を「自衛軍」として正式に軍隊として認めることを中心にした「新憲法草案」を発表、そして、それでは物足りない、もっと本来の自民党らしい、右翼的なものにしたいという意見によって、昨年の四月二七日に再び「憲法草案」を発表しました。
 四月二七日は、一九五二年にサンフランシスコ条約が発効した日の前日にあたります。二八日は、日本の独立と引き替えに沖縄の統治権をアメリカに譲ってしまった日であり、沖縄にとっては屈辱の日なのですが、その日を意識して「改憲草案」を出したということなのです。安倍晋三首相は昨日国会で、四月二八日には、国を回復した記念の祝典をやろうというような発言をしました。現行憲法が占領憲法であることを、国民に意識させたいという狙いがあるに違いないのです。

 〈改憲の狙いは何か〉
 自民党をはじめとする改憲勢力の主たる狙いは、まぎれもなく九条を変えることです。しかし、九条だけを見ていたのでは、今自民党が考えている改憲の本質は見抜けません。
 自衛隊を「国防軍」という名前の正式な軍隊にすると、日本は戦争をする国になります。そうなったとき戦後六〇年以上戦争をしないできた日本社会は、果たして耐えられるのかが問題になります。その課題を克服するために、教育に愛国心を盛り込むなど、戦後の日本国の性格そのものを変えてしまうことが彼らの狙いなのです。九条だけを変えても戦争はできないのです。

 具体的に見ていきます
■憲法九九条(憲法尊重擁護義務)

「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」
 九九条は、立憲主義(主権者は人民である。主権者の中から立法や司法という国家権力を行使する人々を選び出して、彼らに権限を委ねることによって国を営む)に立って、その上で、主権者である国民が権力者に対して、国を営む際に何をするべきか、そして何をしてはならないのかを予め定めておく、それが憲法なのだという考え方を明確にしたものです。逆に言うと、国民はこの憲法を守らなくてはならないとは書いていないのです。それが近代的な民主主義的な憲法の基本なのです。
 しかし自民党の改正案(第一〇二条)では、「天皇及び摂政」が消え、かわりに「全て国民はこの憲法を尊重しなければならない」という文言が冒頭に書き加えられています。「国民はこの憲法を尊重しなさい」とお上が国民に命令している形になっているわけです。

 ■前文
 前文には「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と、立憲主義の原則をまず最初にうたいあげています。大事なことは、日本国民が国民主権を宣言し、この憲法を確定すると言っていることです。
 自民党の案では「日本国民は」ではなく、「日本国は」から始まります。そして「長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇をいただく国家であって」と続きます。「長い歴史と固有の文化」、実は、ここに彼らの考えている「国柄」というものを入れたいわけです。彼らの言う「長い歴史を作っている日本の国柄と文化」とは「万世一系の天皇」でしかないのです。「国柄」という言葉はもともと「国体」と同じです。戦前、戦中から「国柄」という言葉は、「万世一系の天皇制」を表す「国体」という言葉と交換可能な言葉として使われていました。それが「長い歴史と固有の文化」というところに隠されているのです。
 第三段落でようやく「日本国民は」と出てくるのですが、「日本国民は国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」、すなわち、「日本国民は国防を責務とする」と言っているわけです。その後には「和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」という言葉が続きます。

■改正案の第一章「天皇」
  第一条には 「天皇は、日本国の元首であって、日本国民の統合の象徴である」と明記されていますが、「日本国は天皇をいただく国家」なのですから、元首という言葉は天皇の権威を一層高めるためのものであることは間違いありません。
 第三条には「国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする」となっています。これは一九九九年に成立した国旗国歌法と同じです。それを憲法に書き込もうというのです。
 しかも第二項で、「日本国民は国旗及び国歌を尊重しなければならない」と、まるで国民に命令するかのように「尊重せよ」と言っています。「日本国民は」ですから、教師だけでなく、生徒や保護者も強制の対象になります。
 続いて第四条では、「元号は法律の定めるところにより皇位の継承があったときに制定する」となっていて、天皇をいただく国家、国柄にふさわしい国に続く、天皇の権威を高めるための条項ではないかと考えられます。

 第三章 国民の権利及び義務
■第12条(国民の責務)
  自民党の改正案は「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」となっています。これは自民党や、保守派の人たちが言い続けて来たことで、「現行の憲法は、権利が二〇回、義務が三回でバランスが悪い。だから権利ばかりを主張するワガママな国民が増えた。それは憲法のせいである」というようなことを言うわけです。
 これはとんでもない間違いです。憲法は「主権者である人民、国民が国家権力者に対して、自分たちの権利や利益を損なってはならない」として定めてあるものなのだから、当然「この権利は侵してはならない、この権利は保障しなさい」となります。これは民主主義の憲法では当たり前であって、どこの国でもそうなっています。
ところが、聖徳太子の「一七条憲法」や「明治憲法」などをモデルだと思っている人たちは、説教めいた形で義務を書き込みたいと思っているのですね。
 さらに「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と書き代えています。これは全体にかかってきます。いろいろなところで「公益及び公の秩序」という言葉が「公共の福祉」に代わって出てきます。現行憲法で、「公共の福祉のために権利を乱用してはならない」と言っていますが、これは国民の間で人権の主張が対立したときの、調整の基準として「公共の福祉」という言葉が書かれているのです。ところが、「公益及び公の秩序」となると、これは「公」を「国」と置き換えてみればわかりやすいと思いますが、「国益及び国家の秩序」を意味しています。したがってここでは、国家権力が、国民の人権に対して「公益及び公」の名の下に制約を課すという縦の関係になってきます。

■第13条(個人の尊重等)
  「全て国民は個人として尊重される」が、自民党案では「すべて国民は、人として尊重される」となっています。「個人」の個が消されて「人」になっているのです。大したことはないと思うかもしれませんが、これは旧憲法下で、個人が天皇のため、国家のためには犠牲になっても当然であるという考え、個人よりも国家、国体、つまり天皇が重要だという考えからきています。戦前、戦中に政府がつくった「国体の本義」など国民道徳的な文章などを読みますと、「個人主義は日本の国柄にふさわしくない」。「個人主義は西洋から入ってきた思想で、自由主義や社会主義につながる。家族国家、和の国家である日本にはふさわしくない」ということを繰り返し言っています。そして、「生命、自由、及び幸福を追求する権利」も、国家権力者が決める基準に従って制約されていくことになります。

■第20条(信教の自由)
  ここでは信教の自由が保障されら、元首という言葉は天皇の権威を一層高めるためのものであることは間違いありません。ています。そして同時に、個人の信教の自由を保障するためにも、制度的に特定の宗教団体と国家が結びつかないために、政教分離原則を定めています。それが入った経緯は、帝国憲法下で「国家神道」が政治と結びつき、靖国神社が軍国主義を支えるということが行われていたからです。ですから内閣総理大臣の靖国神社参拝等に対して憲法違反の疑いが生じ、高裁レベルでもときどき違憲判決が出たりするのはまさにこの二〇条によってなのです。
 自民党案では、例外を認めようというのです。国及び地方公共団体は宗教的活動をしてはならないけれども、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについてはその限りではない」となっています。これは明らかに神道のことを言っているのです。内閣総理大臣が八月一五日に靖国神社に参拝する。これは宗教的活動であることは否定できない、しかしそれは「社会的に認められている戦没者追悼という儀礼的な行為ですよ」といえば、例外として認められるということです。つまり憲法違反であるとは言えなくなるということです。これも又九条の改憲に関わって、自衛隊を改め国防軍、兵士たちの士気を高め、国民の意識を一定の方向に持っていこうとするために使われる恐れがあるのです。

■第21条〔表現の自由)
 これも重要です。「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」ということで、民主主義社会を支える最も重要な権利の一つです。これに対しても、やはり、「前項の規定にかかわらず公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社を行うことは認められない」ということで国益と国家の秩序が制約としてかかってくるということになります。つまり民主主義社会において、主権者である国民、人民の意志を表明する重要な手段である言論、出版も含め、集会、結社、が国益や国家の秩序に反すると考えられる場合には制限されることになります。弾圧されることにすらなりかねない。戦争反対、原発反対、再稼働反対のデモをすることは国益に反する、国家の指導に反すると権力者が考えれば、これを弾圧することが可能になる。この二一条は特に重要だろうと思います。

■第24条〔表現の自由)
 「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」という、戦後の憲法で初めて入った男女の本質的な平等、そしてそれが個人の尊厳とペアになっている非常に重要なところです。ここも、自民党の保守派の人たちは、できれば変えたいと思っていますが、男女平等を削ることはさすがにできない。そこで、「家族」を入れてきて、「家族こそ社会の基礎的な単位であるから、尊重されなければならない」「家族は互いに助け合わなければならない」としています。これは明らかに教育勅語の発想です。
 「家族が社会の自然かつ基礎的な単位である」ということは、一三条で「個人」の「個」を取って「人」にしてしまうこと、つまり、「個人よりも国家、共同体が大切」という考えと連動しているということができると思います。日本社会はますます一人世帯が増えていますが、どうしてそうなるのかという根本的な社会要因を分析して、その上でそれに対応するということをしないで、憲法に「個人よりも家族だ」ということを書き込むということは、やはり問題ではないかと考えます。
 このように国の性格そのものを変えて、国家権力と国民との関係を変えていく。それは憲法九条を変えて、日本がいざとなれば戦争をする国になっていくことと連動しているということです。

九条はどう変わるか
■改憲案の第二章(安全保障) 
 現行憲法の九条では、一項では戦争放棄、二項では戦力の不保持、軍隊を持たないということと、国の交戦権の否認、それを主権者である国民が、国に対して命令しています。
 自民党改憲案では、戦争放棄自体はさすがに否定できない。戦争放棄を消してしまうとやっぱり戦争をするつもりかとわかってしまいますから、そんなことはできない。現行憲法の特徴とされている国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義という三原則を消すことはできません。国民、あるいは周辺アジア諸国等に反発されるのを避ける意味でもこれは残して置かざるを得ないのですが、しかし別の面、天皇と国家を中心に考えるという側面を強調することによって、三原則を弱めようとしているということだろうと思うのです。
 戦争放棄は変えられないのですが、第九条の第一項の二に、「前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない」と書かれています。すなわち「軍隊を持たない」と、「国の交戦権を持たない」を消して、代わりに、「自衛のための戦争ならやりますよ」ということです。
 自衛権には「個別的自衛権」と「集団的自衛権」があります。憲法が明文改憲されれば、当然「集団的自衛権」も行使できるということになるでしょう。
 「国防軍」という名で正式な軍隊となる自衛隊には、新しい役割が明記されています。「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保する活動」、これは現在の自衛隊にも認められています。問題は九条の二の三というところです。「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するための活動」に加えて、「国際社会の安全を確保するために、国際的に強調して行われる活動」が入ります。これは正式な軍隊として、戦場に入っていくということが憲法上正当化されることになるわけです。これからアメリカがどこでどういう戦争を起こすかわかりませんが、そういうときにアメリカと協調して行われる軍の活動が憲法上合憲となるのです。
  さらに、「国防軍」には「公の秩序を維持し、または国民の生命もしくは自由を守るための活動」を行うことができるとなっています。公の秩序、すなわち国家の秩序を維持するための活動を軍隊が行う、これは治安出動のために軍が出動するということ以外の何ものでもありません。こういう第二第三の活動が国防軍に認められていくことに大きな危惧の念を抱かざるを得ません。
 九条の改憲によって、日本は正式に軍隊を持って米軍と共に世界中で国際的な軍事行動を行っていくことになりますが、そうなったときに徴兵制が出てくる可能性も否定できないということも付け加えておきたいと思います。実際に自民党が二〇一〇年の三月四日に、憲法改正の委員会が徴兵制について検討しているということを発表しました。
 自衛隊は、今ではまだ、若い人にとって安定した公務員としての就職先という面を持っています。けれども国防軍兵士となって海外で軍事行動をすることになれば、当然戦死者が出てきます。戦死者が出たときに国防軍に入る若者がいなくなってしまう可能性が出てくるわけです。正式な軍隊になればいつ戦場で死ぬかわからないということになるわけですから、兵士のなり手がいなくなってしまう。そしたら、やはり徴兵を考えることになるでしょう。第一八条が変えられるということがあるかもしれないことに注目しておいてほしいと思います。

■第一八条(奴隷的拘束及び苦役からの自由)
 現行の「何人も如何なる奴隷的拘束も受けない」は、自民党案の第一八条では「奴隷的拘束を受けない」が消されています。さらに「犯罪人の処罰の場合を除いては意に反する苦役に服させられない」が、「社会的又は経済的関係において身体を拘束されない」となっています。社会的または経済的関係以外であるなら、例えば軍事的関係であれば意に反する苦役に服させられる、身体を拘束されるということになりかねないのです。徴兵制の検討と連動している可能性を指摘しておきたいと思います。

最後に
 今この国が大きく変えられようとしています。戦後六〇数年、憲法九条の下で、沖縄に米軍基地が押しつけられるという重大な問題もありますが、日本軍が戦争をするという事態だけは避けられてきました。この憲法がこの案に沿って改悪されれば、当然戦争という事態が現実になるでしょう。そして国民主権の国から、天皇をいただく国に変えられる危険が見えてきたのではないかと思います。戦後最大の民主主義憲法の危機です。連帯して、何とか改憲策動を阻止していきたいと思います。
 まずは七月の参議院選挙ですね。このままいきますと目先の利益に囚われた人々が自民党に大量の票を投じてしまう恐れもあります。こんなことが考えられているんだということを身の回りの一人でも多くの人に伝えていただいて、ぜひ、改憲の策動を阻止していきましょう。


ベアテさんの娘さん ニコール・ゴードンさんと懇談

 

  向かってへダリがニコールさん

女性九条から3人が ニコールさん  

 五月一〇日の「ベアテさんの志を受け継ぐ会」(一八時二〇分から津田ホール)の準備を進めていますが、三月二八日、来日中のベアテさんの娘さん、ニコール・ゴードンさんが、西早稲田のwam(女たちの戦争と平和資料館)を訪問されましたので、女性九条の会からも三名が伺い、ニコールさんとお話をしました。ニコールさんは五月一〇日には来日できないので、メッセージをいただくことになっていますが、その会のことなどをより深く知りたいというお気持ちがあり、wam訪問の機会に話し合いが持てたわけです。
 ベアテさんには、お子さんが二人あり、長女のニコールさんは弁護士として活躍中、弟さんは芸術関係の仕事をされているそうです。
 ニコールさんは、今度の来日で広島に行きました。平和を愛するベアテさんは、原爆や慰安婦の問題についても関心が高かったそうです。
 ベアテさんは、体が悪くなってからも、大学に講演に行かれて若い方に語るなど、最後まで頑張っておられましたが、八月にお連れ合いが亡くなり、かなり力を落とされたようです。病名は膵臓癌でしたが、家にいたいと入院しませんでした。一二月に朝日新聞からインタビューの申し出がありました。結局会うことができず、電話を使ってのインタビューになりましたが、最後の力を振り絞って応じ、「憲法を守ってほしい。平和と女性の権利を大切にしてほしい」ということを強調しました。「しかし、母には母には一番大切なことをやり遂げたという満足感があったと思う」と言っておられました。ベアテさんの死は、ニューヨークタイムズにも大きく出たし、全世界の新聞で報じられました。
 ベアテさんの思い出話で印象深いのは、ルーズベルト夫人に会ったときのことだそうです。ルーズベルト夫人は良識派で尊敬を集めている方でした。ベアテさんは、日本に駐留している米兵士と日本の女性の間に生まれた混血児が生活に困っていることを話したのですが、ルーズベルト夫人は「大学進学の資金を考えよう」と言われた。ベアテさんは、「子どもたちは今生活に困っているのです」とルーズベルト婦人の対応に怒ったそうです。社会の実情に詳しい、ベアテさんらしい話ですね。
 興味深い話をたくさん伺え、女性「九条の会」からも、朝日新聞や、共同通信の記事でベアテさんの遺言を読み、「ぜひ志を受け継ぐ会」をしたいと思ったことを伝え、ベアテさんの平和への思いをいっぱい入れたメーセージにしてくださいとお願いしました。