女性「9条の会」ニュース21号 2012年3月号

特集   女性「九条の会7周年の集い

 
  お話しする品川さん チェソンエさんの演奏とお話・三宅進さんのチェロ演奏

 

1面    今こそ九条を世界に発信しよう         千葉恵子さん(弁護士)

  三、一一東日本大震災から一年が過ぎました。
 被災され亡くなられた方のご冥福を心からお祈りし、今後の復興に私も微力ではありますが、できることをしていきたいと思います。
 あっというまの一年でした。
 平穏に生きていくことが実は当然のことではない、幸せなことなのだと思いました。
 震災後の風景について、東京大空襲の被害者の方が、あの時と同じ風景だと言っているとの記事を見たことがあります。
 戦争も、何の罪もないふつうの人の命、家族、地域、仕事、仲間を奪います。地震、津波の直接の被害(これには原発の事故などのさけられた被害は含みません)と違うのは、それは私たちの力で避けることができるということです。
 私たちは、平穏に生きていくことは、当たり前のことではなく、自分達の力で守らなくては守れないものであること、そして、自分達の力で守ることが出来ることがあるのだということを常に考え続けることが大事だと思います。
 日本が誇れる九条を守り、そして、世界に発信して行きましょう。
(女性「九条の会」世話人)

 

素晴らしかった 7周年記念 講演と音楽のつどい


 女性九条の会は、七周年を記念して二月二五日(土)に東京ウイメンズプラザに於いて「七周年のつどい」を開催しました。
 司会は女優の冨田恵子さん。翻訳家の池田香代子さんと方言指導の大原穣子さんが呼びかけ人として挨拶をされました。
 第一部は情熱的な品川正治さんの講演と若者との対話、第二部は崔善愛(チェ・ソンエ)さんのピアノと三宅進さんのチェロの、美しく感動的な演奏という、たいへん贅沢なプログラムでしたが、あい
にくの雨と寒さのためか、参加者は二百名ほどで、ちょっともったいない集会になりました。しかし
参加された方からは「すばらしい集会だった」という感想を多数いただきました。講演内容は次ページに掲載していますが、誌面の関係で抜粋とさせていただきました。

2面〜3面

品川正治さんの講演から

拡げよう九条!とめよう戦争!

■この男たちは死にに行く
 私は一九二四年、大正一三年生れで、今年八八歳。小学校に入学した年に満州事変が始まり、中学のときには日中戦争、京都の三高に入学したときには、すでに太平洋戦争が始まっていた。それまでは学生には徴兵猶予があったのだが、私が入ったときからなくなり、学生生活の半ばで召集令状がきた。二週間ほど鳥取の連隊にいたが、入隊したその日に非常なショックを受けた。全連隊三千数百名が、私たちに向かって整列する。そして連隊長が全将兵に向かって「今朝入隊したこの現役兵の顔をよく覚えておけ。この男たちは死にに行くのだ。この男たちを殴ったりいじめたりする将兵がおれば、俺は即座にその者を処分する。以上」と訓話したのだ。私たちは入隊した以上は〝戦死〟は覚悟していたが、「死にに行く」と決めつけられた時には大きな動揺が走った。

■「トラウマ」を抱えて
 戦争体験者は戦争の話をされない。トラウマを抱えながら六十余年を生きてきた人たちに、今それを言えといっても言えないのだ。私自身も非常に辛いトラウマを抱えている。
 配属されたのは北支の部隊。どこに行くかも知らされることなく、共産軍の本拠地に近い最も戦闘の激しい地域に行かされた。私たちの部隊は攻撃目標とされ、連日迫撃砲や機関銃からの照射を受けていた。私の入っていた壕の隣の壕に戦友がいたのだが、ある日「やられた!助けてくれ」と叫び、続いて私の名前を連呼する。「品川、品川、品川・・」と。しかし助けることはできなかった。あの激しい戦闘地域のことを思うと、その事実ばかりが私の中に甦ってくる。その後、私自身が敵の迫撃砲弾の直撃を受けて、その場で倒れ、五時間も意識を失っていた。足にはその時の破片が残っている。しかしその経験以上に私の名を連呼しながら戦死した男のことを忘れられないでいる。

■戦争を起こすのは人間
 私は「この国は国家理性を失ってはいないか」、「国家が戦っているときの、国民としての生き方は、死に方はどうあるべきか」ということを会得してから、戦地に行きたいと思い、わずか二年という短い在学期間中に、先生のお力をお借りしてカントの「実践理性批判」を読んだ。しかしそれを会得することはできなかった。戦争を「国家の起こした戦争」という目でしか見ることができなかったのだ。戦争を起こすのは人間、それを止めることができるのも人間なのだ。なぜそれに気がつかなかったのか、これが私の戦後の大きな座標軸になった。私は、今だからこの言葉を申し上げないといけない。「戦争を起こすのは人間」なのだ。

■戦争を人間の目で見る
 戦争を普通は「国家」の目で見ている。国連でさえ、国連軍を持ち、戦争を国家の目でしか見れない。それが今までの憲法解釈のあり方だった。しかし、今の戦争は必ずと言っていいくらい母親が死ぬ。子どもが死ぬ。赤ん坊が死ぬ。日本の憲法九条は、世界でたった一つの「戦争を人間の目で見る憲法」。制定されたときにはそこまでは論議が及んでいなかったが、今国民は戦争を人間の目で見ることを身につけて来たと思う。

■経済を人間の目で見る
 私は経済人として経済の第一線に立ってきた。私の願いは、九条を持つ日本が率先して経済も人間の目で変えていくことだった。保険会社の社長をしていたときも、経済同友会をやっていたときも、少しでもその方向に進められないものかと思っていた。ところが現実には戦争や経済を国家の目でみるどころか、国家でさえ撹乱されてしまう、そういう金融資本の市場原理が世界全体の傾向になっている。
 二〇一一年は、チュニジアから始まったアラブの春、ニューヨークでは「九九%が一%の利益独占者に操られてたまるか」の声、そして日本の東日本大震災、原発、これらの問題が表面に出た年。資本主義を問い、民主主義を問い、科学の進歩が人間の進歩なのかという疑問さえ投げかけられた。原発に関しては、もう科学者の確率論には任せられない。事故の可能性は一万分の一だとか十万分の一だとかという言葉はもう許せない。事故は起こったではないか。いっぺん起こってしまえば確率なんて使えない。
 これは基本的な問題であり、しかも民主主義を問うている。 今年七周年を迎えられた女性九条の会は、その問題に直面していることを認識していただきたい。

 

高校生の質問に答えて 
世話人の関さん、高校生のI君による品川さんとの対談

I君 日本の宝でもある憲法九条がありながらも自衛隊という強力な軍隊があるという矛盾をどう考えるか。
品川 現在の日米安保体制が日米軍事同盟になっていることをまず知ってほしい。この六〇余年間は、一発の銃弾を敵に向かって撃っていないし、一発も撃たれていないという自衛隊だった。ところが、日米軍事同盟という形になって、「武器を使えるようになりたい」、「武器を使えるようにしないと不平等条約ではないか」などの声が非常に強くなっている。
 これに対して「日米軍事同盟と憲法とどちらが大事なのだ」と立ち上がったのが沖縄。政府がそれにどう対処するのか。たいへん危ない時期に今は差しかかっている。

I君 これから僕たちはそういう問題に立ち向かっていかなければならないと思うので、若者に期待するものがあれば聞かせてほしい。
品川 日本の聖地、沖縄の人たちが日米関係を基本的に論議している。若い人たちは力の及ぶ限り頑張っていただきたい。ノーベル賞を貰うよりも日本の九条を守ってほしい。

関 三・一一以後、自衛隊や日米の「お友だち作戦」などがほめられて、九条がかすんできているが…。
品川 今年は九条が再び問題になる年だろうと思う。自民、民主、公明三党が問いかけ、大阪の橋下が大きな遊撃隊の役割をするだろう。
 それから、今月になって政・官・財を中心に「日本フォーラム」というのができ、松下政経塾や青年会議所などをひっくるめた形で九条の会に対抗する勢力を結集しだした。彼らは活動年限を三年と限って「三年以内に必ず憲法を改正してみせる」としている。私はたまたま経済同友会の元役員なので情報が入るのだが、国民はまだ察知していない。しかし、現実にはもうそういう問題が始まっているということを、この機会に申し上げる。

I君 どうやったら経済を人の目で見るようにしていけるのか…。
品川 人間の目というのは言い換えれば女性の目。子どもを産み、育てていく女性の目。今の原発の問題、あるいは原爆の問題、戦争の問題、全部女性と若い人の問題なのだ。 広島や長崎の人は核には反対で、核が日本の成長に役立つなどとは全然考えない。核の平和利用などといいながら、戦力としての核を生み出せる国に残しておきたいというのが、日本の原子力政策の根本にある。日本政府は核の抑止力という言葉で日本の安全保障を考えようとする。武器輸出三原則と言いながら沖縄の基地を中心に、日本はアメリカに基地を提供している。基地の提供は一番大きな武器なのだ。
 今までは九条によってある程度の制約を受けてきたが、しかしもうごまかしは効かない。そこで三年以内に九条を持たない日本に変えようとしているのだということを心に刻んでいただきたい。

 

感想から(高校生の感想をお伝えします)

 品川正治先生のお話に深く感銘を受けました。 私はいま高校二年生ですが、先生の高校時代のお話を伺って、とても驚かされました。自らの死を前提とし、「死ぬ前に学びたいこと」を懸命に学んだとおっしゃっていたからです。はたして、今の私には、死ぬ前に学びたいことがあるのだろうか…と考えました。それに、学ぶということを理解していなかった自分に気づかされました。学校での勉強を、学ぶということよりも、それがどのような役に立つのだろうかという、目先のことばかりを考えて学んでいたように思います。また、戦争を国家の目でみるのではなく、人の目で見るというお考えに深く共感しました。戦争はたくさんの人が死んでしまうということ、もし、これが友人や家族なら身近かに感じることができるのに、かつてどこかで起こった戦争となると、はるか遠くのことのように感じてしまう。とても怖いことだと思います。戦争は二度と起きないでほしいので、これからも九条をなくさないでほしいです。(M子)

 

「7周年のつどい」の出演者とコメント(抜粋)
演奏中の崔善愛さん(ピアノ)と三宅進さん(チェロ)ご夫妻(ノクターン・革命のエチュード・鳥の歌など)など)崔さんは「あなたは〝国民〟ではないから」という某弁護士の言葉へのショックを語り、今なお根強く残る在日差別の問題を訴えられた。

司会 冨田恵子さん
お姉さんの草笛光子さん同様とても美しく、めりはりのある話し方で会を引き締めてくださった。

開会挨拶 江尻美穂子さん
「私たちは諦めないで、戦争は二度としないことを心に刻んで、多くの方々とともに歩んでいきたい。」江尻さんは当日の夕刻にアメリカで開かれる国連女性の地位委員会に参加するために成田を発たれた。

 呼びかけ人挨拶   池田香代子さん
「ドイツでは、七はラッキーかラッキーじゃないか運命の分かれ目。昨今九条が話題になっている。改憲派が破棄したいのは九条の二項と地方自治の項目。地方自治を奪い、九条二項を奪ったらどういう国になるか、私たちは本当に七年目の大切な年を迎えたと思う。」

呼びかけ人挨拶   大原穣子さん
「戦争は国民学校一年生の時、そして新制中学一年生で新しい憲法、もうすぐ一生を送れると思ったら原発事故…。みなさんと一緒に力を合わせて幸せに一生が暮らせるように頑張りたい。」

閉会挨拶 本尾良さん
「〝平和なくして文化なし〟という言葉を、今日の集会ほどはっきりと目にする、耳にする、そして教えられた会はなかったと思う。〝美しい音楽を聞き、平和を考える〟ことが日本にも根付いてきたということを、しみじみと感じさせていただいた。」