女性「9条の会」ニュース2号 2005年4月号

〈1面〉

二十一世紀を平和な時代に!

2004年6月10日、日本の良識を代表した大江健三郎さんなど九氏の呼びかけ「憲法九条いまこそ旬」と「九条の会アピール」を発表したその日、自民党は「論点整理」を発表、憲法改悪への第一歩を踏み出しました。
 この「論点整理」では「我が国の歴史、伝統、文化等を踏まえた〝国柄〟を盛り込むべき」などを書き込み、「婚姻・家族における両性平等の規定(24条)は、「家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである」との文言も明記しました。
 以来、04年11月17日には憲法改正草案大綱を出し、自民党改憲論の本音を繰り返し強調しました。今年に入ると、4月4日には自民党・新憲法起草委員会の小委員会要綱を出し、「追加すべき新しい責務」として「国防の責務」「社会的費用を負担する責務」「家庭等を保護する責務」をあげています。
 7月7日には自民党・新憲法起草委員会は「要綱第一次素案」を発表。「自衛のために自衛権を保持する」「 〝公共の福祉〟を 〝公益及び公共の秩序〟 に置き換えると明記しています。24条にかかわる問題としては、私たちのすばやい反対の運動もあり、「さらに議論すべき項目」の中に入れられました。
 これらを下敷きにしながら、8月1日、自民党は「新憲法第一次案」を発表しました。この第一次案では、まだ「前文」の内容は示されていませんが、自民党としては、はじめて条文として出し、憲法改悪への本格的取り組みを国民に示し、改憲が重大な局面に入ったことをあらわしています。
 みなさんご存知のように、憲法改正には、衆参両院の総議員の三分の二の賛成と、国民投票で過半数の国民の同意を得るという二つのハードルを越えなければなりません。そのため、当面は自民党各議員の主張を押さえ、改憲対象を絞らざるをえません。
 この一次案では、その対象は九条二項と九六条の国会の改正発議要件である総議員の「三分の二」を「過半数」に変えることです。この二か所の改悪により、「憲法に風穴をあけることができる」と自民党は考えているのです。 
 新聞報道によると、この第一次案の条文に沿って、「前文」や「九条」の文言をつめ、10月28日には発表することを決めているといわれます。
 国会では、郵政民営化法案に国民に関心を引きつけながら、最終案になる「自民党新憲法案」を10月末に出してくることは明確です。
 憲法を守りぬくたたかいは、女性九条の会を含め、全国で3000を超える会が運動を展開し広がっています。この速度をもっと早めようではありませんか。
 現憲法で守り抜いてきた平和を、二十一世紀の子どもたちの平和な未来に、必ずつなげようではありませんか。

 

憲法改定を問うシンポジウム報告

なぜねらわれる?9条・24条

 

第1回コーディネイター 本尾 良       2005,9,21 津田塾会本館にて

大脇雅子さん発言より

旧民法下の女性の地位 
  戦前、まだ新憲法ができる前の女の地位がどんなものであったかということをお話したいと思う。1898(明治31)年に民法典ができた。この民法典の中心は家制度で、国家と個人の間に村落共同体や家という集団を置き、家を通じて国家への奉仕を要請するシステムを明治政府は取った。戸主という男性を家の中心に置き、家は生産の単位であると同時に扶養の集団であるというシステムである。国は国民から税金を徴収し、徴兵制を敷く。徴兵の義務の基礎は戸籍であった。戸主は絶対的権力を持っていた。婚姻も養子縁組みも戸主の同意なしには決められなかった。相続は家督相続で、長男だけ。女性は結婚すると同時に婚姻無能力者になり、売買をしたり自分の財産を持つことはできず、嫁入り道具なども夫の管理下に置かれた。離婚原因も不平等で、夫は姦通しても離婚の原因にはならないが、妻の姦通は離婚の原因になった。子どもの親権も父親のものだった。というように女性は隷属的な地位に置かれていた。公娼制度を国家が認めていたことも含め、女性には人権というものはなかった。
 1946年、終戦を迎え、相続の平等が確立した。しかし、制度は変わったけれど、古い民法の中で連綿として培われた家制度の道徳的規範は、慣習という形で女た
ちを縛っていた。私は1934年生まれで、憲法ができたときは中学生になったときだった。大学に行き、卒業後は弁護士になった。弁護士をしながら結婚をして、夫の両親と同居した。私が自分の意見を言うと、弁護士である私の舅は、私に向かって「嫁がしゃべった!」と言った。
 私はしかし仕事を辞めろと言われても辞めずにいたが、うちの両親が夫の両親に呼ばれ、「この爆弾娘を連れて帰ってくれ」と言って帰された。夫は傍で黙って見ていた。
 私の同級生は、朝新聞を読んでいたら、姑に「嫁が新聞を読む!」とそしられたという。結局その離婚事件を私が担当することになった。
 古い民法の中の女性の地位がいかほどであったかが分かると思う。そして憲法の私たちの生活に及ぼす意味、これが変わったらどうなるかということを考えて、私は死んでも「9条と24条」を変えないために頑張りたいと思っている。

自民党のもくろみは「権力が国民を縛る憲法」
 自民党には改憲に反対する人がいないわけではないのだが、彼らが憲法調査会委員になると、必ず改憲派に差し替えてしまい、改憲派ばかりになった。当初民主党は半々、公明党は改憲反対だったが、選挙の度に若い人が増え、改憲派が増えて、結局、共産党と社民党だけが反対ということになった。
 8月に出た自由民主党の新憲法案には24条は書かれていないが、岸信介の時の憲法調査会では24条がターゲットであったこと、2004(平成16)年の6月に自民党から出た憲法改正プロジェクトチームの論点整理では、「愛国心」「日本人のアイデンティテイである伝統と文化」「公共を支える共同体と家族」というのがキーワードになっている。つまり昔から言われた伝統、その伝統と文化を日本人のアイデンティテイとして、家族というものの道徳体的な価値や、地域、村落というものを再び再編成しようという意図はあきらかである。
 憲法というのは私たちの自由と権利を規定するものであるが、自由民主党は、個人の行為規範として憲法をつくると言っている。道徳規範を法律や憲法に規定し、それで私たちを縛る、権力が国民の生き方までも縛るのを憲法だと言う。

ファッショにならないために
 どんな集団でも少数意見を踏みつぶしてはいけない。抵抗する集団がいないと、政治というものはファッショになる。どんな会でもNOという、そういう精神が一番大事なときではないかと思う。小泉が圧勝した今だからこそ、大事だと私は思う。

 

赤松良子さん発言より

映画「ベアテの贈り物」によせて 
 ピアニストの父とともに5歳で来日したベアテ・シロタ・ゴードンは、1945年のクリスマスの日に、留学先のアメリカから、GHQ(進駐軍総司令部)の一員として両親の住む日本に帰国した。翌2月に、日本の憲法草案が出た。それは明治憲法と同じようなものだった。そこで、GHQで憲法草案を書いて双方を突き合わせようということになり、ベアテに、女性のところを書くよう命令が下りた。彼女は5カ国語に精通していたので、各国の憲法を読み、良いと思う部分を参考に草案を書き、提出した。しかし上司に大幅に削られ今の14条と24条だけが残った。それを日本の草案とぶつけると、日本側はその条文は受け入れられない。そんなものは日本の伝統ではないと言うのだった。結局それは通って、14条、24条となった。
 今、この憲法は押し付けだと言う。改憲論者は押し付けだから変えるのだと言う。押し付けだって「いいもの」はいい。だから映画の題も「ベアテの贈り物」とした。素晴らしい贈り物なのだ。大事にしなければいけないと思っている。これがなくては今の私たちはないと思っている。私の目が黒くなくなっても、憲法は生き残ってもらえるように、戦前のことを知らない人たちにこの憲法は大事だと思って欲しいと思って、この映画をつくった。

9条と24条は車の両輪  
 9条だけをたいせつに思う人は少なくないけれど、それは間違い。9条と24条は車の両輪であって、9条が危ないときは24条も危ない。24条が危ないときは9条も危ないのだ。

徴兵制度を知っていますか?  
 9条がなぜねらわれるかというと、それは戦争がしたい人が、9条を嫌いだから。少なくとも戦争のできる国にしたいと思っている人はいる。あるとき、若い甥と食事をした。彼が「やっぱり自分の国は自分で守らなければ」と言う。つまり自分の国を守れるように改憲した方がいいということだ。私は彼に徴兵制度を知っているか尋ねた。彼は知らなかった。それで私は徴兵制について、事細かく話してやった。そして「そういう道に戻らなければならないということが分かった上で、自分の国は自分で守るべしとあなたは言っているのか?」と聞くと、ショックを受けたようで、後に「考えが変わりました」と言ってきた。何も考えないで、自分の国は自分で守ると言う奴は多い。そういう人には言ってあげる。「ちょっと考えてごらん。これこれこういう国に戻る、それでいいの?」と。「それが当たり前の国?普通の国?そんなんだったら私は普通の国なんかになりたくない。なりたくないという自由を失いたくない。」と。

吉武輝子さん発言より

 私は1931年生まれ。敗戦を迎えたのは14歳の時。当時、ラジオで憲法の論議を胸を躍らせながら聞いていた。反対派が、最後まで反対したのは天皇の主権の項目でもなければ、憲法九条でもない、男女平等と個人の尊厳を基本に置いた憲法24条に対してだった。反対派は、「家制度が廃止されてしまったら、天皇家族主義国家の国体が危機になる」といって反対した。戦前は、天皇の赤子である国民は天皇の言うことには是非を問うことなく従わなければいけなかった。このおかげで一億総懺悔もできた。しかし、個人を認めてしまうと、天皇の命令にも家長の命令にも、「私は嫌です」と言えるようになってしまうからだ。

家庭の中に24条を根付かせよう
 女がジェンダーフリーで生きるには、家庭と社会と職場と3つのバランスが整う必要がある。しかし、この3つの中で一番意識の遅れる場所が家庭だろう。職場や地域では差別に対して憲法で闘うことができるが、家庭の中は憲法や法律が通用する場所ではない。私の夫は護憲派であっても「女が仕事を持つのは好かん」と言う。「何が24条だ、昔から夫と妻はそういうもんだ」とも。家庭は古い意識を引きずるだけでなく、再生産していく場にもなっているのだ。

はじめは24条がターゲットだった
朝鮮戦争の後、日本を極東の基地にするという派が議会を占め、9条を変える目的で憲法調査会がつくられた。会長は戦犯だった岸信介だ。その案には「9条はいずれ変える、その前に24条を変えるべきである」と書いてあった。最初の改憲案は9条ではなくて24条だったのだ。その時多くの女性が反対の声をあげた。24歳だった私もデモに参加しながら、憲法を守る運動は駅伝で、次から次へと伝えていかなければという思いとともに、自分の家庭の中から、憲法を日常の中から守っていこうと決意した。

個人の力は非力ではない!
 私は1980年に「戦争への道を許さない女たちの連絡会」を立ち上げた。この年、自民党が圧勝し、有事立法、靖国法案などが通ってしまった。放っておいたら戦前に戻ってしまう。しかし個人に何ができるだろうとあきらめが出てきてしまっていた。それで「NO!って言える場所を女たちでつくろうよ」ということになり、1000人以上が呼びかけ人になって、反戦と女性解放、つまり9条と24条をセットにした運動体をつくった。
やろうと思えば、「私」から出発する運動は誰でもできるのだ。
 24条の何が大事かというと、「私は」という一人称の存在だと思う。一人の指導者に従う集団なら、その一人を変えれば全てが変わってしまうが、「私は」と、自分で選択した人が1000人集まったら、その1000人を全部を説得するのは大変。今のような軍事大国になってくると、「私は9条を通さない」と、「私」という個人はすごい力があるんだっていう、ここから運動をして行く必要があると思う。          

 

感想文より

○ 9条と24条が車の両輪の如く、ということが今日は大変よく理解できました。若い娘がおりますが、この話を是非伝えたいと思います。
○ 一見平和で一人一人が尊重されているように思われてしまう社会に生きているこわさをしっかりと認識し、考えてゆきたいと強く思いました。
○ 生まれた時すでに男女平等になっていて苦労もせずに育ちました。歴史の中でこのような闘いがあったことを知り大変勉強になりました。
○ 女(いのちを生み出す)がNO!と言える限り平和は守れますよね。「一人は非力ではない!」のお話しに勇気をもらいました。
○ 地道に「知らせていく」を努力したい。九条の会こそ、それに応えるものではないか。
○ この平和憲法を命を懸けてまもること!あらためて心底強く感じました。パネリストのみなさんの一言一言をすべて納得しました。私も出来ることをあきらめずに続けます。
○ 「憲法24条より9条を訴えねば」という運動論を持っていたことを反省しました。すっきりしたという感じで、これから運動に参加し平和と個人の尊厳を守るためにがんばります。
○ 今日参加してよかったです。個人が非力と思うことはやめて、小さな力を結集して闘っていく
べきだと思った。
○ 先の総選挙で、軍靴の音が徐々に近づいてくるような危機感を覚えました。こうした会が効果的に護憲の意識を広めていってくれればと思います。

○ 今の日本の平和、戦後生まれの私は享受するばかりでした。不安や危機感と面と向き合うことを避けてきたと思っています。パネリストの心の底からの叫びを聴いて、私はこうした方々におんぶしていただいて今日まで生きてこられたと思いました。
○ 9条と24条のつながりを初めて考えました。「平和と平等」はセット。本当にそうですね。一人称で生きられる自分になるためにもっと学習して強くならなくては…。
○ 時間配分を考えるべきである。パネリストの中に若い人をいれるとよいのでは。

今後の取り組み・企画への希望
* 20代、30代の若い人の参加が多くなるような工夫が必要。(同様の意見が多数ありました)
* 学習会みたいなものをしてほしい。
* 連続講座的なものをお願い。本日のようなシンポをこれからも企画してください。
* 今夕のような内容のシンポジウムを是非ローカルにおいても実現してもらいたい。
* やはりこういう地道なシンポジウムを継続的にすることが大事でしょう。
* 今回女性の国会議員が増えたので、各政党の立場で論議をしていただき、会場の参加者も発言、
討議する会も開いてほしい。
* 憲法改正の動きについてもっと知りたい。