女性「9条の会」ニュース16号 2010年11月号

                   特集  女性「九条の会」五周年のつどいのご報告

 去る10月7日、女性「九条の会」は、作曲家の池辺晋一郎さんをゲストにお招きして、五周年のつどいを銀座ブロッサムで開催しました。櫻川梅寿寿社中のみなさんによる江戸伝統芸能「かっぽれ」の軽快な踊りと、女声コーラスグループ「エーデルワイス」の美しい歌声で幕を開け、司会は、舞台にテレビに映画にと大活躍の根岸季衣さんに担当していただきました。当日の参加者は火曜日の午後にもかかわらず800人。池辺さんの講演は「こんな楽しい講演会ははじめて」とたいへん喜ばれ、呼びかけ人の3分間スピーチも大好評をいただきました。

 

 呼びかけ人の挨拶      

     大原穣子さん(方言指導) ─開会挨拶として─


 「私たち日本人は65年前に新しい憲法、日本国憲法で「武器は持ちません、もう戦争はやりません」と世界に向けて宣言した。それ以後日本はどこの国にも銃を向けていない。それは私たちが憲法九条を守り、愛し、育ててきたから。世界には今でも戦争をしている国がある。自分たちの愛する町が焦土となり、愛する夫が、子どもたちが戦禍に身をさらしていることに心を痛めている母や妻が大勢いる。そうした人たちに憲法九条のもとで生きる私たちのしあわせ伝えていきたい。

      内海愛子さん(恵泉女学園大学名誉教授) 

 平和の中に潜む問題を常に監視していかなければ私たちの平和は足下から崩れていく。最近の選挙で「夫婦別姓は家族を解体する、外国人参政権は日本の国家を解体するから反対だ」というポスターがあった。外国人参政権は、私たち女性が参政権を手にした時。同時に外国人が排除されたのだ。こういう歴史を私たちは考えていかなければいけない。   
 フィリピンやその周辺国には115万体もの遺骨が未だに収集されずに放置されているが、この中には朝鮮人や台湾人が含まれている。遺骨を海外に放置したままの戦後日本というのは何だったのだろうか。平和を考える時に、私たちとともに9条を手にすべきだったアジアの人、そしてサンフランシスコ条約で切り離された沖縄、沖縄とアジアの視点を踏まえて、私たちはこれからも9条を守り、問題を広げて行動し、考えていきたい。

      本尾良さん(市民運動家)
 

 私の母は戦後すぐに私の上の姉を肺結核で亡くした。母はいつまでも泣いていたが、広島の原水禁集会に参加して以来「平和は大事、戦争はいけない」としっかり歩き出した。この母の願いを私の世代が引き継ぎ、私は若い世代に思いを受け止めて欲しいと思ってここに立っている。安倍晋三内閣の時に、「改憲手続き法」ができ、3年間の猶予を経て今年の5月にいよいよ改正をする力を持った。しかし今はまだ9条を守ろうという力が拮抗しているため、改憲までには到っていない。その力を大事にして、私たちは今九条改憲反対の大きな波をつくっていかなければならない。
 沖縄の基地の問題は今あのようになっており、「平和を解決するには戦争だ」という逆説が出てこないとも限らない状況にある。私たちはこの「九条を守ろうという力」を若い人に委ねたいと思う。

     湯川れい子さん(音楽評論家・作家)

  

 安倍晋三さんが総理大臣の時に、「美しい日本」という言葉を使って、仮想敵国をつくり、日本を強くしようという危険な発言をしていた。その後政権交代が行われた。しかし私たちは「九条はどうなるのか。民主党は憲法9条をどう考えているのか」と不安を感じている。私自身本当に見えなくなっている。でも、だからこそ政治は私たちが選ぶのだ。与党である民主党の議員一人ひとりに「あなたは九条をどうするつもりですか?」と私は聞いている。私たちが彼らの票田なのだから、「九条を変えることがどれだけ危険か」ということを説得して、毎日の行動の中で示していくこと以外には九条は守れないと思う。政党頼りでは守れない。私たち自身が政党の頼りになる存在になりたい。

    吉武輝子さん(評論家

 

 私は病気のデパートのオーナーをしている。今年新たに慢性白血病まで加わった。しかし私は“病気はするけれど病人にはならない”と決めた。
 私の戦後は進駐軍の集団性暴力でスタートした。私は、それは女の落ち度と思い込んでひたすら苦しんでいた。2度自殺をし、2度とも未遂に終わった。戦争を知らない今の子どもたちは小学校の4年生で初潮を迎えているが、私は18才だった。その時に初めて自分が奪われたものは肉体ではなく、幸せになりたいという意思だったのだと思った。こんな性暴力によってたった一回の人生を潰してなるものか。それ以来私は憲法が保障する男女平等のすべてを実現したいと考え、親の反対を押しきって自力で大学を出、そして「嫌なことは嫌、戦争は絶対にしない」と言い続けて今日まで生きている。みなさんも病気があっても病人にならないで長生きしてください。

    江尻美穂子さん(元日本YWCA理事長)─閉会挨拶─

 

 池辺さんのお話から、私たちが自然体で生きていくためには平和でなければいけないとつくづく感じさせられた。ちょうど6年前、私たちは、地に足を着けて生きる女性たちが、力を合わせて九条を守るための活動する場ををつくりたいと、熱い思いで女性「九条の会」をスタートさせた。
 私たちが平和平和と叫ばなくてもいいように、みんなが自然に生きていけるような社会にしていくために、これからも平和をめざして努力していきたい。

                     

                     ♩ ♪ ♫ ♩ ♪ ♫  池辺晋一郎さん語録♩ ♪ ♫ ♩ ♪ ♫

音楽は生き物とおっしゃる池辺晋一郎さんは、作曲やその作品をオーケストラ用に書き直す作業のことなど、ご自身の音楽の仕事について盛んにだじゃれを連発しながら語り、また、モーツアルトをはじめ、名曲の特徴などを、心に響く音色のピアノ演奏を交えて話してくださいました。笑いに満ちた楽しい講演会でした。
 しかし、そこは池辺さん、楽しいだけではなく、説得力のある「池辺語録」をいくつも披露してくださいました。紙面の関係でその中からいくつかをご紹介します。


■「戦後65年たったから憲法変える」説について

 ドイツが東西に分かれていた頃、西ドイツのシュミット首相は、「戦後長い時間が経った。しかしドイツが再び過ちを犯さないという確約はできない。」と言った。勿論ナチスを指しているのだが、こういうことを言える日本の政治家がいただろうか。最近になって、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作氏が実は密かに核兵器を持とうとしていたことが明らかになった。ひた隠しに隠していたこと明らかになった。沖縄基地に関する秘密文書、核持ち込みに関する秘密文書などさまざまな秘密文書が全部明らかになってきている。こういうことが繰り返されている間は本当に戦後が終わったとは言えない。今の憲法をもう65年も経ったから変えようなどということは言わせてはいけない。

■「日本国憲法はGHQの押しつけ」説について
 確かに憲法はアメリカとの話し合いの中から生まれてきた。しかし、ジェームス三木さんの言葉を借りると、「日本の民主主義はアメリカからきたもの、大日本帝国憲法はドイツから学んだもの、大宝律令は中国からきたものではないか。」ということである。日本独自のものはどこにあるのか、漢字だって中国のものだ。文化というものは伝搬し、その国のものになっていくのであって、誰が押しつけたかというような問題ではない。
 日本国憲法の持っている理念は、人類の理想だ。人類が本来理想とすべきことをどこよりも早く条文化した、それが日本国憲法なのだ。日本政府はその理念を世界に向かって掲げなくてはいけない。

■谷川俊太郎さんの詩「平和」から
 「平和、それは花ではなくそれを育てる土だ」美しい花が平和と思うかも知れないが、それを育てている土が平和なんだ。「平和、それは旗ではなくて汚れた下着」目立つ旗ではなく、それを支えている人々の力、それが平和だ。この詩の最後は、平和は毎日の生活の中で踏んづけるようにして使いこなすことだと結んでいる。
 僕は平和のメンテナンスとよく言う。平和というものは放って置いて守れるものではない。九条が大事だということを訴え、確認する、それがメンテナンスだ。それは花を育てる土と同じだと谷川さんは言っていると思う。日々確認し、訴え続ける、それこそが本当の平和であるということ、それがとても大事だと思う。

■音と付き合う
 音とは自分が自然な状態でないと付き合えない。僕が平和について考えるのは、音と付き合うためである。戦禍の中では、音とバランスを保って付き合うことはできない。
 僕にとってはそれが音であるように、いろいろな方に、それぞれの何かがあると思う。平和や九条を考えることは大切なことだ。しかし、そうしなければならないからではない。拳を振り上げるのではなく、自分たちの日常の生活、自分たちのしていることを続けるには、平和を保たなければならないから、必然的に九条を考えなければならないのだと思う。自然な状態で平和を望む、それが平和を自分の問題としてきちっと考える礎になると思う。そのことがとても大事なのではないだろうか。


                         ●●●〈私たちのまちの女性9条の会〉の近況●●●

◆おおさか女性9条の会
 10月2日、「5周年のつどい」を開催。記念講演は「私の歩んだ道、そして9条への思い」と題してに津村明子さん。交流会では、保育園の保護者に毎月9の日に「どろんこ9」と名づけた機関紙を発行している若い保育士の報告や、原水爆禁止世界大会に参加した高校生も発表をした。

◆「九条かながわの会」実行委員会
 10月9日、基地の街で平和を考えようと「やっぱ9条inヨコスカ」集会を開催し、1600人が参加した。作家の澤地久枝さん、詩人のアーサー・ビナードが講演をされ、「基地と9条」「教育と9条」「基地報道と9条」など九つの分科会も開催、また、米兵犯罪現地調査、軍港めぐりなど五つのフィールドワークを実施した。実行委員長は岸牧子さん。

◆女性9条の会・ひろしま 
 「第9条の会ヒロシマ」と共催で、結成4周年事業として、8月7日、映画「シロタ家の20世紀」の上映会を行った。125人参加。藤原智子監督からベアテ・シロタさんの言葉「原爆65周年の翌日に広島で映画が上映されたことをとても喜んでいる」が紹介され、疲れも吹き飛ぶ思いだった。(第9条の会ヒロシマ会報67号より)
10月9日、憲法改悪反対の「署名」に取り組む。

◆福岡女性九条の会
 10月15日、「アートと音楽が共演する講演会」を開催。ゲストは画家、富山妙子さん、ジャズサックス奏者swingMASAさん。

◆秋田女性9条の会
 10月16日、「2周年のつどい」を開催。のしろ文化学園の丹波望氏が講演。

◆かながわ女性九条の会
 11月10日、神奈川県民ホールで「愛LOVE9条 かながわ9条 のつどい」を開催。参加者2000人。
 湯川れい子さんが講演、「我が窮状」を歌手のジュリー(沢田研二)が歌った。