女性「9条の会」ニュース59 号 2024 年11月号

 

1面  

  人としての尊厳を守り抜きたい                                                               

                                沖縄県平和委員会 代表理事 上野郁子 


  「また、少女が米兵の犠牲になった。しかも今回は、その事実を、日本政府が隠していた。」
 このとんでもない事実を沖縄県と県民が知ったのは、今年6月25日。マスコミの発覚によるものでした。半年も前の2023年12月24日、公園に一人でいた16歳未満の少女に米空軍兵長ワシントン(25歳)が近づき、基地外にある自宅に連れていきレイプしたのです。少女は泣きながら家に帰り、母親に訴えました。母親はすぐに警察に通報しました。
本来であれば、何より被害者と家族の心のケアをするための対策がとられるべきです。そして、新たな被害者を出さないための対策。
 米軍に対して抗議・自粛などの申し入れを行うべきです。ところが、この事件は隠蔽されました。無かったことにされていたのです。
 マスコミの取材によって、少なくとも3月27日の起訴前には、関係省庁と首相官邸が情報を共有していたということが明らかになりました。首相官邸は、なぜ、公表しなかったのでしょうか。
◆事件の4日後、12月27日政府は、辺野古新基地建設設計変更申請に対して承認をしない沖縄県に、史上初の「代執行」を行いました。 
◆4月岸田総理(当時)は、少女の事件に全く触れずに日米首脳会談を行い、米大統領から「日米同盟始まって以来のグレードアップだ」と言われ肩を抱かれていました。
◆裏金問題で自民党逆風の中、6月16日沖縄県議会議員選挙では、自民党候補全員が当選し玉城デニー知事与党が過半数割れをしました。
◆6月23日慰霊の日には、沖縄戦没者慰霊式典に参加した岸田総理は、事件を隠したまま「沖縄県民の負担軽減に取り組む」と平然と言ってのけました。
 このように事件が隠される一方で政治的なたくらみが着々と進み、沖縄では新たな女性の被害者が米兵の犠牲になっていたのです。被告人であるワシントンは、「裁判ですべてを奪われた。私の人生を取り戻したい」と、無罪を主張しています。 被害者の少女は、法廷に出廷し7時間にも及ぶ尋問に震えながらこたえ続けました。
 少女と沖縄がダブります。少女と国から見捨てられてきた多くの人々の姿がダブって見えます。
 人としての尊厳を踏みつぶされないために、声を上げ続けなければ、泣きながらでも歩き続けなければと決意を新たにしています。


2面〜8面             女性「九条の会」学習座談会報告 
                      
                                
日時 2024年11月23日 14:00〜   於 文京区男女平等センター

          

        政府は私たちをどこに連れて行こうとしているのか
                どう対抗するか


              講師 大久保 賢一さん

 


 大久保賢一です。日本版反核法律
家協会の会長、核兵器廃絶日本NGО連絡会の共同代表、非核の政府を求める会常任世話人などを務めておりますが、弁護士をなりわいにしております。
 石破茂首相は所信表明演説でこのように述べています。
 「ルールを守る」「国民を守る」「地方を守る」「若者・女性を守る」「日本の未来を創り、そして未来を守ります。現実的な国益を踏まえた外交により、日米同盟を基軸に友好国・同志国を増やし、外交力と防衛力の両輪をバランスよく強化し、我が国の平和、地域の平和の安定を実現します。その際 自由で開かれたインド太平洋というビジョンの下、法の支配に基づく国際秩序を堅持し、地域の安全と安定を一層確保するための取り組みを主導してまいります。 日米同盟は日本外交・安全保障の基軸であり、インド太平洋地域と国際社会の平和と反映の平和基盤です。まずはこの同盟の抑止力・対処力を一層強化します。加えて同志国との連携強化に取り組んでまいります」。

安保三文書(防衛3文書)とは
  (2022年12月)

 「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」の三つからなっています。

◆世界の分断と軍事力依存

 国際社会は時代を画する変化に直面している。グローバリゼイションと相互依存のみによって国際社会の平和と発展は保障されないことが改めて明らかになった。
 普遍的価値を共有しない一部の国家は、独自の歴史観・価値観に基づき、既存の国際秩序の修正を図ろうとする動きを見せている。我が国周辺に目を向ければ、我が国は戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面している。

 ロシアによるウクライナ戦略により、国際秩序を形作るルールの根幹がいとも簡単に破られた。同様の深刻な事態が、将来、インド太平洋地域、とりわけ東アジアに置いて発生する可能性は除去されない。
 我々は今、希望の世界か、国難と不信の世界のいずれかに進む分岐点にあり、そのどちらを選び取るかは、今後の我が国を含む国際社会の行動にかかっている。

◆我が国の安全保障に関わる総合的な国力の主な要素

 第一に外交力 我が国は、長年にわたり、国際社会の平和と安定、繁栄のための外交活動や、、国際協力を行ってきた。その伝統と経験に基づき、大幅に強化される外交の実施体制の下、今後も多くの国と信頼関係を築き、我が国の立場への理解と支持を集める外交活動や他国との共存共栄のための国際協力を展開する。
 第二に防衛力 防衛力は我が国の安全保障を確保するための最終的な担保であり、我が国を守りぬく意思と能力を表すものである。国際社会の現実を見ればこの機能は他の手段では代替できない。防衛力により、我が国に脅威が及ぶことを抑止し、仮に我が国に脅威が及ぶ場合にはこれを阻止し、排除する。そして根本的に強化される防衛力は、我が国に望ましい安全保障環境を能動的に創出するための外交の地歩を固めるものとなる。
 ということで、我が国の領土・領海・領空を守り抜くための「基本方針」を定めています。


我が国の基本方針

 平和国家として、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を堅持するとの基本方針は今後も変わらないとしつつ、
一、我が国自身の防衛体制の強化
 ①我が国の防衛力の抜本的強化
 ②国全体の防衛力体制の強化
二、日米同盟による共同抑止・対処
①日米同盟の抑止力
②対処力の強化
③共同対処基盤の強化
④在日米軍の駐留を支えるための取
り組み
三、同志国との連携 を上げています。

◆我が国自身の防衛体制の強化

 「我が国を守り抜くのは、我が国自身の努力にかかっている。自らが守るという強い意思と努力があって初めて同盟国等と共に守り合い、助け合うことができる。
 このため、防衛力の抜本的強化を中核として、国力を統合した我が国自身の防衛体制を、今まで以上に強化していく」。

防衛力の抜本的強化
防衛力とは「我が国の安全保障を最終的に担保する力」である。
 抜本的に強化された防衛力とは「我が国自体への侵攻を阻止・排除しうる能力」であり、「新しい戦い方に対応できる能力」である。鍵とされるのが「スタンドオフ(離れたところからの)防衛能力を活用した反撃能力」である。

反撃能力
「反撃能力」とは、相手の領域において、有効な反撃を加えることを可能とするスタンドオフミサイルを活用した自衛隊の能力をいう。
そうした能力は武力攻撃そのものを抑止する。その上で万一、相手からミサイルが発射される際にも、反撃能力により、相手からの更なる武力攻撃を防ぎ、国民の命と平和な暮らしを守ることができる。

◆国全体の防衛体制の強化

 しかし安全保障の対象・分野が多岐にわたるため、外交力・経済力を含む総合的な国力を活用し、我が国の防衛に当たる。
 研究開発、公共インフラ整備、サイバー安全保障、抑止力向上のための国際協力の四つの分野における取り組みを関係省庁の枠組みの下で推進し、総合的な防衛体制を強化する。
 これに加え、地方公共団体を含む政府内外の組織との連携を進め、国全体の防衛体制を強化する。
 自衛隊員がその能力を一層発揮できるようにするため、人的基盤を強化する。隊員の処遇の向上を図る。
 自衛隊の総力を結集できる体制を構築し、戦傷医療能力向上のための抜本的開花を推進する。

私たちへの直接の影響 その1

 「国、地方公共団体、指定公共機関等が協力して、国民保護のための体制を強化する。円滑な避難に関する計画の速やかな策定を行う。住民避難等の各種訓練を行う。全国瞬時警報システム(J―ALERТ)の情報伝達機能を不断に強化しつつ、弾道ミサイルを想定した避難行動に関する周知・啓発に取り組む」。
※つまり、ミサイルが飛んでくることを想定しての避難訓練が行われるわけです。南西諸島の住民にどこに避難しろと言うのでしょう。沖縄戦の悲劇が再現されます。ミサイルには核弾頭が装備されているとして、ヨード剤や雨合羽が支給されています。実際の核攻撃があれば、そんなものはなんの役にも立ちません。 

◆3つ目は、国際永久平和主義

私は、皆さんの女性「九条の会」の活動に心からの敬意をもっております。
 私は、戦争は数字で語ってはならないと思っています。ワシントンのベトナム戦没兵士の墓も、プリンストン大学本部の入口正面にも、沖縄摩文仁の丘の平和の礎にも、戦没者一人ひとりのお名前があります。寒い冬の日に、ワシントンのベトナム戦没兵士の墓で、一つの家族が花束をおいて、一人の兵士の名前をさもいとおしそうになぞっているのにあったことがあります。
 そうなんです。関千枝子さんが『広島第二県女二年西組:原爆で死んだ級友たち』(筑摩書房、1985年)に書いたように、一人ひとりの少女が生き、そして、原爆死したことが重大なことなのです。何としても、第9条を死守しましょう。

◆ 私たちへの直接の影響 その2

「我が国と郷土を愛する心を養う。自衛官、海上保安官、警察官など、我が国の平和と安全のために危険を顧みず職務に従事する者の活動が、社会で適切に評価されるような取り組みを一層進める」。
※愛国心が強調され、実力組織構成員に対する敬意が求められます。私たちが安心・安全なのは「兵隊さんのおかげです」という教育が行われるでしょう。そして、それに同調しない市民は「非国民」「反日分子」として監視され、ヘイトスピーチの対象とされるでしょう。
 

◆日本版「先軍思想」 現代版「国家総動員体制」 

 研究開発が防衛力の強化に組み込まれている背景に、政府の「学問の自由を擁護していると、地政学的競争に負けてしまうという認識があるので、軍事研究を拒否する学術会議は邪魔者とされ、「学問の自由」や「大学の自治」は防衛省の都合で踏みにじられるのです。
 自衛隊員は待遇が改善されるかもしれないけれど、戦死の覚悟を迫られることになります。「九条があるから入った自衛隊」という川柳は過去のことになります。


日本被団協にノーベル平和賞

 日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。核兵器のない世界を実現するために努力し、核兵器が二度と使われてはならないと、証言を行ってきた」と、日本被団協と被爆者の「並外れた努力」を、敬意を持って評価したものです。

◆日本被団協結成宣言

 日本被団協は原爆投下から 年後の1956年8月に結成され、「世界への挨拶」と題して、結成を宣言しました。
「原爆から 年あまり経った今になって、私たちは、はじめてこのように全国から集まることができました。あの瞬間に死ななかった私たちが今やっと立ち上がって集まった最初の全国大会なのでございます。今日まで黙って、うつむいて、別れ別れに、生き残ってきた私たちが、もうだまっておれないで手を繋いで立ち上がろうとして集まった大会なのでございます。
 私たちは、遂に集まることができた今日のこの集まりの熱力の中で、何か『復活』ともいうべき気持ちを感じています。
 私たちの受難と復活が新しい原子力時代に人類の生命と幸福を守る砦として役立ちますならば、私たは心から『いきていてよかった』と喜ぶことができるでしょう」と述べました。

◆原爆被害者の基本要求 1 (1984年11月18日)
 
 「原爆は広島と長崎を一瞬にして死
の街に変えました。赤く焼けただれふくれあがった屍の山。眼球や内臓の飛び出した死体。黒焦げの満員電車。倒れた家の下敷きになり、生きながら焼かれた人々。髪を逆立てて、ずるむけの皮膚をぶら下げた幽霊のような行列。人の世の出来事とは到底いえない無惨な光景でした」。
 「原爆は、人間として死ぬことも、
人間らしく生きることも、許しません。核兵器はもともと『絶滅』だけを目的とした狂気の兵器です。人間として認めることのできない絶対悪
の兵器です」。
 
◆原爆被害者の基本要求 2
 
 「私たち被爆者は原爆被害の実相を語り、苦しみを訴えてきました、身を持って体験した『地獄』の苦しみを、二度と誰にもあじあわせたくないからです」。
 「『ふたたび被爆者をつくるな』は、私たち被爆者のいのちをかけた訴えです。それはまた、日本国民と世界
の人々の願いでもあります」。
 「被爆者は『安全保障』のためであれ、戦争『抑止』の名目であれ、核兵器を認めることはできません。『核の傘』を認めることは、核兵器を必要悪として容認するものです。『核の傘』とは、私たちにとって、原爆のキノコ雲以外の何物でもありません」と訴えてきました。

◆私たちは何をすべきか

 私は、とにかく、「行動の見える化」が必要だと思います。今日も、こうして皆さんにお話をしに伺っています。院内集会をして、議員の理解を得る努力をしています。昨年 月、今年に入って2月、次は6月にいたします。3・8国際女性デーには、選択議定書批准を求める横断幕をもって、渋谷をパレードしました。
7・ 女性の権利デーには、銀座パレードをしようと言っています。
 ОPーCEDAWアクション のメンバーは、今日も、津々浦々の地方議会議員の皆さんを訪ねて、選択議定書早期批准のロビイングに出かけています。そうしたNGОの努力が道を開くことになると信じています。
 赤松良子さんの口癖は、「政局が厳しい時こそ、懸案が解決するチャンス」「しっかり準備していなさい。運が良けりゃうまくいくから」でした。いまそのチャンスが到来しているのではないでしょうか?
  月には、日本報告審議の傍聴にジュネーブに出かけて、もうひと頑張りしたいと思います。

 世紀被爆者宣言
  核兵器も戦争もない世界を
     (2001年6月5日)
 

 「国が戦争責任を認めて、原爆被害への補償をおこなうことは、核戦争被害を『受忍』させない制度を築き、国民の』『戦争を拒否する権利』を打ち立てるものです。
 この権利は核時代に『平和に生きる権利』を保証する根幹であり、アジアの人々の、犠牲を含め、すべての戦争被害に対する補償制度へ道を開くことになるものだと考えます。
 『法』が生きる日本、核兵器も戦争もない世紀を、私たちは生あるうちにその平和のとびらを開きたいと願っています。
 日本国政府が戦争責任を認めて原
爆被害への国家補償を行い、非核の国・不戦の国として輝くこと。アメリカが戦争責任を認めて原爆投下を謝罪し、核兵器廃絶への道に進むこと─。
 その扉を拓くまで、私たち被害者は、生き、語り、訴え、たたかいつづけます」。

◆「天地の公理」

 「この提訴は今も悲惨な状態のまま置かれている被害者またはその遺族が損害賠償を受けるということだけでなく、この賠償責任が認められることによって原爆の使用が禁止されるべきである『天地の公理』を世界の人に印象付けるでありましょう。 またこの訴訟の提訴進行自体によって、判決に先立って、世界の人類が原爆問題に対して、その認識を種々の角度から新たに致すでありましょう」と述べています。
 私もそう思います。
 核兵器が使用されれば何が起きるかについて、広島・長崎の被爆の実相から知ることができます。
 原爆投下による広島市の死亡者数は、1945年12月までに約14万以上とされていて、前年2月時点での人口と比較すればその死亡率は41・6%。広島市は「この数値は、歴史上他に類を見ない高い数値であり、原子爆弾の非人間性、特異性を示すもの」としています。  
 そしてその一人ひとりにかけがえのない日常があったのです。広島の平和資料記念館に展示されている「人影の石」は、原爆投下によって瞬時に消えて、影だけが残されていますが、消えなかった人はこの世のものとは思えない姿で水を求めて彷徨し、手当を受けられないまま死んでいきました。生き残った人々は「生き残った罪の意識」や「原爆病」に苦しめられました。だから被爆者は「人類と核は共存できない」と訴えて、核兵器の禁止と廃絶を求めてきたのです。

◆請求の原因 

「米国は広島と長崎に原爆を投下した。原爆は人類の想像を絶した加害影響力を発した。人は垂れたる皮膚を襤褸(らんる=ボロのような様)として屍の間を彷徨号泣し、焦熱地獄なる形容を超越して人類史上における従来の想像を絶した酸鼻なる様相を呈した」。
「原爆投下は、戦闘員・非戦闘員たるを問わず無差別に殺傷するもので、かつ広島・長崎は日本の戦力の核心地ではなかったのだから、戦力破砕の目的に出たものではなく、闘争心を失わせるための威嚇手段であった」。
「原爆投下の広域破壊力は人類の滅亡をさえ予測せしめるものであり、人類と人類社会の安全と発達を志向する国際法とは相容れない」。
「国家免責規定を原爆投下に適用することは人類社会の安全と発達に有害であり、著しく信義公平に反する」。
「米国は平和的人民の生命財産に対する加害について責任を負う。被害者個人に賠償請求権が発生する」
「対日平和条約によって、日本国民個人の請求権が雲散霧消することはありえない。憲法29条3項により補償されなければならない」。
「補償されないということであれば、吉田茂全権たちは、日本国民の請求権を故意に侵害したことになるので、国家賠償法による賠償義務が生 ずる」。 
「人類の経験した最大の残虐行為によって被った原告らの損害に対して、深くして高き法の探求と原爆の本質に対する審理を行い、その請求を容 認していただきたい」。

◆政府の答弁 

 それに対する政府の答弁はこのようなものでした。
「原告の主張する権利は、各国の実定法に基礎を有することなく、したがって、権利の行使が法的に補償されていないもの、権利として実行されるべき方法ないし可能性を備えていないものである。講和条約によって請求権が認められるとしても、それは講和条約によるものである。敗戦国の国民の請求が認められることなど歴史的になかった。原告らの請求は、法律以前の抽象的観念であるというだけでなく、講和に際して、当然放棄されるべき宿命のもの」。
「原告が請求権なるものを有するとしても、それはなんら権利たるに値しない抽象的な観念でしかない。そのような観念の存在や侵害を前提とする請求は失当である」。
「憲法29条は、これによって直ちに具体的な補償請求権が発生するわけではない。具体的立法が必要だ」。
「国は原告らの権利を侵害していない。平和条約適法に成立しているのに、締結行為を違法とすることはできない。被告に賠償義務はない。被告は、被爆者に対して深甚の同情を惜しむものではないが、慰藉の道は、他の一般戦争被害者との均衡や財政状況等を勘案して決定されるべき政治問題である」。

◆裁判所の判断

 1963年12月7日、判決が出されました。判決主文は「原告らの請求を棄却する」というものでした。

1、国際法違反

 「広島・長崎は防守都市ではない。また広島・長崎には一般市民がその居を構えていた。仮に原爆投下が、軍事目標を目的としたのであったとしても、原爆の巨大な破壊力からしても、盲目爆撃であり、無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法から見て、違法な戦闘行為であると解するのが相当である」。
 「国際法が要求する軍事目標主義に違反する。かつ原爆は非人道的兵器であるから、戦争に際して不必要な苦痛を与えてはならないとの国際法に違反する」。
 「のみならず、原子爆弾がもたらす苦痛は、毒、毒ガス以上のものと言って過言ではなく、広島と長崎に対する投下は、不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の根本原則に違反している」。

2、被害者の損害賠償請求権
 「国際法上の権利を持つのは、個別の条約で認められていない限り、国家相手に提訴することになるが、日本の裁判所は米国を裁けない。それは国際法上確立した原則なので、原告はそのような裁判は起こせない。結局、原告は国際法上も国内法上も権利を持っていない」。

3、対日講和条約による請求権の放棄
 「国民には国際法上も国内法上も請求権はないので『原告らは喪失すべき権利を持たないわけであって、法律上、これにより被告らの責任を問う理由もない』。要するに、原告には元々権利はないのだから、対日講和条約は原告になんの影響も与えていない」。

4、政治の貧困 
 「人類の歴史始まって以来の大規模、かつ強力な破壊力を持つ、原爆の投下によって損害を被った国民に対して、心からの同情の念を抱かないものはいないであろう。戦争を全く廃止するか、すくなくとも最小限に制限し、それによる惨禍を最小限に留めることは、人類共通の希望であり、そのために我々人類は日夜努力を重ねているのである。
 戦争災害に対しては当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずる。『原子爆弾被害者の医療等に関する法律』があるが、この程度のものでは到底救済にならないことは明らかである。
 国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのだから、十分な救済策を執るべきである。
 しかしながら、それは裁判所の職責ではなく国会及び内閣の職責。そこに立法及び行政の存在理由がある。本件訴訟を見るにつけ、政治の貧困を嘆かざるを得ない」。

◆判決の受け止めー被団協の評価

 この判決が出た1963年12月当時、日本被団協、原水爆禁止運動の分裂の影響を受けて「機能不全」とも言える困難に直面していたようです。その被団協はこの判決について、「一つの光明が現れた。被爆者の要求、とりわけ国家補償要求に根拠となる法の理論を与えるものであった」と評価しています。そしてこのようにも言っています。
 「この裁判は、その後、被爆者援護施策や原水爆禁止運動が前進するための大きな役割をになった。
 1957年4月、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(原爆医療法)が制定され、判決後の世論の高まりもあり、1968年9月には、「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」、1995年7月には、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(被爆者援護法)が施行されたのである」。

◆私の感想

 私はこのような判決を書いた裁判官たちは「時代に挑戦する勇気ある人たち」だと思っています。米国の原爆投下を国際法違反だとし、被爆者への支援に怠惰な「政治の貧困」を嘆くなどということは、なかなかできることではないからです。
 裁判官たちは、原爆投下を法的に評価するうえでの基礎知識をきちんと学ぼうとしたのです。「法は核兵器とどう向き合うべきか」について正面から受け止めていたのです。核兵器使用が、裁判という形で法的に問われたケースは「原爆裁判」以外ありません 国際司法裁判所の勧告的意見も「裁判」ではありません。今後、核兵器が使用されることがあれば文明が滅びているでしょう。そういう意味で「原爆裁判」は空前絶後の裁判となるでしょう。。 

◆国際法への影響  国際司法裁判所の勧告的意見

 1996年、国際司法裁判所は国連総会の諮問に答えて次のような勧告的意見を発出しています。「核兵器の威嚇または使用は、いかなる許可も存在しない。
国連憲章2条4項に違反し、かつ第 条の全ての要件も満たさない。核兵器を用いての武力による威嚇または武力の行使は違法である。核兵器の威嚇または使用は武力紛争にて適用される国際法の規則、そしてとりわけ人道法の規則に一般的に違反するであろう。
 しかしながら、国際法の現状及び利用しうる事実の書要素から考えると国家の存亡そのものが危険にさらされている自衛の極端な状況において、核兵器の威嚇または使用が合法であるか、違法であるかについては確定的結論を出すことはできない。

◆勧告的意見の論理と限界

「核兵器は潜在的に破滅的なものである。核兵器はあらゆる文明と地球上の生態系を破壊する潜在力を持っている。核兵器の使用は将来の世代に対する重大な危険となる。
 裁判所はここで、『抑止政策』として知られている慣行に判断を下すつもりはない。裁判所は多くの国が、冷戦時代の大半の時期に、この慣行を支持し、今なお支持していることに留意する」。
※「いかなる場合も違法」とするウィラマントリーたちの反対意見はあったけれど、国際司法裁判所は「核抑止論」の呪縛から逃れていなかった。

核兵器禁止条約  禁止から廃絶へ

 核兵器のいかなる使用も、それがもたらす「壊滅的な人道上の結末」を深く憂慮し、その結果として核兵器が完全に廃絶されることが必要である。このことがいかなる場合にも。核兵器が決して再び使用されないことを保証する唯一の方法である。「核兵器のいかなる使用も」というのは、意図的な使用だけでなく、事故や誤算による使用も含まれる。「歴史的には、意図的使用の危険性も、事故や誤算による核兵器発射の危険性はあった。決して仮定の話ではないのです。

禁止から廃絶へ

 この意味は「適切に対処できないこと、国境を超えること、人類の生存、環境、社会経済的な発展、世界経済、食料の安全及び現在現在のと将来の世代の健康に重大な影響をあたえること、並びに女性並びに少女に不均衡な影響(電離放射線の結果としての影響を含む)を及ぼすこと」ということです。勧告的意見の「核兵器はあらゆる文明と地球上の生態系を具体的に破壊する」という表現と通底しています。

◆「核抑止論」の克服  ─例外なき禁止から廃絶へ 

 核兵器禁止条約はこのような結末を避けるためには「核兵器を完全に廃棄することが唯一の方法」としています。
「自衛の状況極端な状況についての例外」を認めていません。核兵器の廃絶が決意され、核抑止論は克服されているのです。1963年の「原爆裁判」は、1996年の国際司法裁判所の勧告意見を経由し、2017年採択の核兵器禁止条約の採択へと継承されています。
 その核兵器禁止条約は2021年1月に発効しています。そして2024年9月25日現在、署名94ヵ国、批准73カ国となっています。国際社会は、抑止論を克服し、「核兵器なき世界」を実現するための法的枠組みを作り出し、それを運用しているのです。
「原爆裁判」は生きているのです。

◆「原爆裁判」判決の限界と憲法9条 

 「戦争を全く廃止するか少なくとも最小限に制限し、それによる惨禍を最小限にとどめることは、人類共通の希望であり、そのためにわれわれ人類は日夜努力を重ねているのである」と判決は語っています。このことと憲法の関係を考えてみましょう。

◆日本国憲法の平和主義

 九条1項 日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国      際紛争九条1項 日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による 威嚇または      武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、これを放棄する。
 2項 前項の目的を達するため陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
 
  国の交戦権はこれを認めない この意味について当時の政府は次のように言っていました。

◆日本国憲法交付時の政府見解

  「一度戦争が起これば人道は無視
され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に戦争の原因を収束せしめるかの重大な段階に到達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を滅亡させることを真剣に憂えている。ここにおいて本章九条の有する重大な積極的意義を知るのである」。
 これは1946年1月の内閣発行の『新憲法の解説』に書かれていた文章です
 識者とは幣原喜重郎のことですが彼はこのように述べています。
 「我々は今日、広い国際関係の原野に於きまして、単独にこの戦争放棄を掲げていくのでありますけれども、他日必ずや、われわれの後についてくるものがあると私は確認しているものであります。原子爆弾というものが発見されただけでも、戦争論者に対して、再考を促すものになっています。日本は今や、徹底的な平和運動の先頭に立って、この一つの大きな旗を担いで進んでいくのであります。すなわち戦争を放棄するということになると、一切の軍備は不要になります。軍備が不要になれば、われわれが従来軍備のために費やしていた費用はこれもまた当然に不要になるのであります」。

◆ラッセル・アインシュタイン宣言

 哲学者バートランド・ラッセルと物理学者アルバート・アインシュタインを中心とする世界的科学者が、1955年に出した核危機の克服を訴えた宣言です。日本の湯川秀樹も署名しています。
 「およそ将来の世界戦争においては必ず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続を脅かしているという事実からみて、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然と認めるよう勧告する。したがってまた、私たちは彼らに、彼らの間のあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段を見出すよう勧告する」。
 この宣言は、憲法九条誕生当時の日本の議会や政府の問題意識と重なります。

日本国憲法前文

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷属、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 核兵器だけでなく、一切の戦力を持たずに安全と生存を保持しようという決意なのです。

◆反核と非軍事平和は別問題だけれど

 核兵器廃絶と戦争放棄は別問題。核兵器がなくても戦争はできるから。ロシアでは核兵器使用なしでウクライナを侵略しているし、イスラエルもパレスチナでの虐殺を継続している。レバノンなども攻撃しています。
 だから反核運動の中に九条の擁護や世界化には消極的な人もいるし、「改憲阻止」をいう人に核兵器禁止条約を語ってもスルーされてしまうこともあります。
 けれども戦争という手段がある限り、核兵器は最終兵器だから手放さない人が出てきます。現に世界はそうなっています。だから核兵器と九条の擁護・世界化をリンクさせなければ、核兵器も戦争もなくならないことになります、憲法九条には戦争を2度と引き起こしてはならないという決意とともに、この地球上のどこでも核戦争を絶対に引き起こしてはならないという決意が込められています。
 非核の世界をつくるたたかいと平和なアジアをつくる戦いは、憲法九条という点で深く結びついています。『非核と平和を一体』として草の根から運動を進めましょう。核兵器も戦争もない世界の一刻も早い実現を!

 

 

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